(2) (改)

「あそこ、友達から聞いたんやけど、十四年くらい前に、まじで一家惨殺事件があったんやって」


 舞美さんが得意げに言った。


 この話はわりに知られていることだったが、元々の事件に尾ひれが付いて、一人娘がレイプされて殺された。その霊が出るという噂になっていた。事件の数年後には自殺者も実際に出ている。他にも遠くからわざわざやってきて自殺する人間が後を絶たない、とか。


 今になって分かったことだが、あの日、空き家で私は自殺した人間と遭遇したのだ。死体を見たショックでひきつけを起こした、と周囲は思っているようだった。


 確かに十歳の子供に死体は衝撃的だったろう。では、押し入れで見たものは何なのか。私に「完璧な家族になろう」と囁いた存在は何なのだろうと考えると、恐怖に身震いしてしまう。


「知っとう知っとう。殺された女の霊が出るんやろ? 見たら呪われるち有名やん」

「やけさぁ、ほんとに出るか、見てみらん? レイタンも試したいしさぁ」


 甘えてくる舞美さんに、先輩は鼻の下を伸ばして頷いた。


「分かった分かった。行くかぁ。でも昼間やのうて夜行かんか? 昼はさすがに幽霊出らんとちゃうん」


 舞美さんが唇を尖らせて、可愛いと思っているのか、小首をかしげて考えるそぶりを見せた。


「いいよ。夜行こ」


 私は、ますます漫画に夢中だという振りをした。絶対に私にも来いと言うに違いない。


「翔太、おまえも来るんちゃ。わかっとーな、これは命令やけん」


 私は先輩を見ず、無言で頷いた。嫌だと言っても先輩から殴られはしないだろうが、代わりに追い出されるのは勘弁してほしかった。


 私の返事を見て、先輩は舞美さんに目を向けると、私がいるにもかかわらず、キスを始めた。


 1Kの部屋に隠れる場所はなく、こういうときは決まってスマホと財布を手に取り、靴を履いてこそこそと外に出るしかなかった。




 駅前の公園で暇を潰し、暑くてたまらなくなると駅前のコンビニやショッピングセンタービル内を歩き回って涼を得た。


 日も落ちかけて、ようやく私は先輩のアパートに戻った。


 先輩は開け放った窓の外へたばこの煙を吐き出しながら、外を眺めている。舞美さんはテーブルの上に折りたたみの鏡を置いて、髪型を整えていた。


「おう、戻ったんか」


 私は頭を軽く下げて靴を脱ぎ、部屋の隅に座った。


「今六時やけぇ、十二時になったら出るか」


 六時間も何するんと、舞美さんが文句を言っている。


「何言いよるんか、おまえは。あんまり早い時間に行ったら、だれかに見られるやろ。それにこういうとこは夜中に行くけ、面白いんやないか」

「あっそ」


 ふてくされたように鏡を覗き込んでいたが、舞美さんも考えを変えたのか、レイタンを手に持って寝っ転がり、ボタンを押して光らせて遊び始めた。


「なぁ、テレビ付けて」


 誰にとは言わず、先輩が言った。


 私はすぐにリモコンを手に取って、先輩がよく見る番組にチャンネルを合わせた。




 夕飯にカップラーメンをっ込み、ダラダラ時間を潰して、ようやく夜中の十二時近くになった。


 前もってコンビニで買っておいた懐中電灯を持ち、歩いて十五分の場所にある空き家に三人で向かった。


 駅前の繁華街を過ぎると、さすがに電灯の数も少なくなり、頼りない外灯だけがポツンポツンと道を照らしている。防犯対策で点している明かりは薄ぼんやりとしていて、道路に被さる影のほうが濃く、本来の仕事を全く果たしていない。


 駅前の公園を過ぎてしばらく歩くと、丁字路に差し掛かった。


 先輩が懐中電灯を点けて、目の前の廃墟を照らし出した。


 門は六年前のままだ。虎ロープが張り巡らされ、さらに腐ってボロボロになった門扉が傾いて、異様な様相を呈している。


 唯一、変わったといえば、売り家と書かれた張り紙がなくなっていることくらいだ。持ち主は売ることすら諦めたということか。


 私はこの空き家を視界に入れない為に、小学校へはいつも遠回りして通っていたくらいだった。人に説明したことはないが、多分出来そうにないほどトラウマだった。

 だから、空き家を目の前にして、足がすくんでしまった。


「何しよん。行くぞ」


 何も知らない先輩が、私が怖がっていると知ってニヤニヤと笑っている。舞美さんも、「怖いん? まじで?」と馬鹿にしたように私を見た。


「幽霊なんちおるわけなかろうが。っちゃ!」


 先輩風を吹かして、乱暴に私を呼んだ。仕方なく私は震える足を文字通り叩きながら前に進み、虎ロープの前まで来た。


「早よ来ぃや、ゆうとろうが!」


 私がなかなか虎ロープを跨がないことに苛ついたのか、声がだんだんと荒っぽくなってくる。


 私は目をつぶり、六年ぶりに空き家の虎ロープをくぐった。


 夜だからか、記憶にある昼間の光景よりも不鮮明で、反対に少しだけ恐怖が収まってきた。


 先輩が玄関の割れたガラスの格子戸を思い切り引いた。支えながら引き戸が開いていく。


 やっと人一人通れるくらいの隙間が出来た。


 気分がましになったと思ったのは気のせいだった。家の中が見えた途端、私は全身に冷たい汗が噴き出るのを感じた。


 隙間をすり抜けて、ずかずかと先輩が入っていく。


 舞美さんはポケットからレイタンを取りだして、早速ボタンを押した。


 ピカピカと白い光が明滅した後、まるでルーレットのように青緑赤と順番に光ると、やがて赤色に点った。


「見てみてぇ! 赤やん。悪霊がおるんかな? 怖いぃ!」


 その割には、舞美さんは楽しそうにはしゃいでいる。それに対して、レイタンの反応に興味がない先輩が、呆れた様子で、舞美さんに来るように促した。


「早よ、来ぃや。そんなん中でいくらでもやったらええやん」

「なんなん、面白ない」


 淡泊な先輩の態度が不満らしく、舞美さんがぼやいた。

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