第二章 鷹村 翔太

(1) (改)

「見てみて。これ、なんやち思う?」


 やや甘ったるく語尾を伸ばし、磯部先輩に話しかけているのは恋人の舞美まみさんだ。


 夏休みが終わり、新学期が始まったばかりの頃だ。


 当時十六歳の私は、両親と気まずくなって家出中だった。寝食する場所に困っている私に、サッカー部OBで、近郊の大学に通う磯部先輩が声をかけてくれた。

それで、一週間ほど世話になっているのだ。


 就活もうまくいって、単位も十分だと先輩は言っていたが、本当のところどうだったか分からないくらいには、先輩の生活態度は怠惰だった。


 今日も安アパートの一室で、窓を全開にし、恋人とだべっている。


 九月になったとはいえ、まだ暑い部屋で、舞美さんが磯部先輩にぴったりと寄り添い、手に持ったキーホルダーを先輩の目の前に差し出した。


 寝っ転がって漫画を読んでいる目の前に差し出されたので、先輩が迷惑そうにその手を払いのけようとする。


「なんなん、邪魔やろ」


 払いのけている割りには力弱く、じゃれ合うように手を絡ませて、先輩はニヤニヤと表情を崩した。


「聞いてっちゃ。これさ、霊魂探知機ってゆうんち。略してレイタン」


 ここのボタンを押すとねと、大きめの梅干しくらいの、無骨な菱形をした不透明なアクセサリーの表面にある突起を、舞美さんが押して見せた。


 途端にレイタンが、次々と色を変えて光り出した。


「これが青に光ったら、守護霊が側におるんやって」


 しかし、レイタンは緑色に点った。


「青やないやん」


 すると、舞美さんは得意げに、「緑は危険な霊はおらんちゆうサインなんやっち」ともう一回ボタンを押した。


「へぇ、じゃあ、危険な霊がおるときはどうなるん」

「赤に光ると」


 私はそのおもちゃをじっと見ていた。舞美さんは本当に霊なんてものがいると信じているのだろうか。しかし、私は心の底ではそういった不可思議で理解できない、証明できないものは存在していると信じていた。小学生の時に恐ろしい体験をして以来、そういった存在に対して過敏に反応してしまうようになった。


「でね」


 舞美さんはおねだりするときのとろんとした顔つきで、先輩を見つめる。


「レイタンで、霊がほんとにいるっち見てみたいんよ」

「じゃあ、この部屋でやってみたらいいやん」

「ううーん、そうやない。そういうことやなくて、心霊スポットに行って、試してみたいんよ」


 先輩が訝しげにまゆを寄せる。


「心霊スポットォ?」

「ねぇ、いいやろう? この近くにさぁ、あるやん。最凶心霊スポット」


 舞美さんが先輩の肩に顔を乗せて、しなだれるように抱きついた。


「最凶っち、あそこしかないやん」


 私はそれを聞いて、落ち着かなくなって鼓動が早まった。


 最凶心霊スポットとは、あの空き家のことなのだ。


 私が中学生になる前から、学校中であの空き家は噂の的だった。


 元々連続殺人鬼の住処だとか、一家惨殺事件があったとか、呪われているとか、とにかく不吉なことの代名詞に使われるくらいには有名だった。


 誰もあの空き家の持ち主の名前を知らない。とにかく虎ロープの空き家は肝試しにぴったりな格好の場所だったのだ。


 不法侵入は取り締まるのが当たり前な昨今では考えられないが、あの空き家の鍵はいつも開け放されていて、入り放題だった。


 さすがに、私があの空き家で騒ぎを起こした後は鍵がかけられたらしいが、だれかが壊して侵入し、また鍵がかけられるが、すぐにだれかに壊されて、が続いたせいで、とうとう放置されるようになったようだ。


 七年前、私が入り込んだときは綺麗に現状維持されていた空き家も、今ではすっかり荒らされ、窓ガラスが割られ、壁中に落書きをされて、廃墟といったほうがいいくらい変わり果てているらしい。


 私が恐ろしい目に遭って病院に運ばれたのが学校中の噂になったせいか、中学生の時に空き家の肝試しに誘われることはなかった。


 さすがに高校生になると、何も知らないクラスメイトから空き家に肝試しに行こうと誘われることが多くなった。


 最凶と言われる由縁はよく分からない。大袈裟な呼び名を付けて、自分が行ってきたことを誇張したいのかもしれない。


 当時流行っていた風水に詳しいヤツは、「路殺ろさつ」と言われる凶相の家だと言ってみたり、オカルトが好きなヤツは「新興宗教の施設だった。呪いの儀式に使われた」とのたまったりしていた。


 しかし、実際に人が死んでいるのは確かだそうで、母などは私の件もあってか、あの家のことを酷く嫌っていて、早く取り壊してほしいと文句を言っていたものだ。


 その空き家に行って、レイタンを試したいと、舞美さんは言うのだ。


 正気の沙汰じゃないなと、内心思うけれど、口に出して言うことは出来ない。この人達に対して、私の発言権などないに等しいし、ましてや先輩は好意で私を置いていてくれているから、文句のひとつも言えない状況だった。


 先輩はすっかり舞美さんの膝枕でメロメロだったし、私は必死に漫画を読んでいる振りをした。


「最凶心霊スポットかぁ。でも、幽霊見たヤツっておるん?」

「見たっちゆう人、おるみたいよ」


 噂でしか聞かないあやふやな目撃情報を口にする舞美さんは、自信なさげだが意固地に言い張った。


 レイタンを試して霊がいることを確認したいという人間に、本当にいると信じているヤツはいないと思っている。信じている人間はレイタンなど使わなくても信じているし、レイタンのライトの色など気にしない。


 乱数で光る色が変わるだけのおもちゃにそんな能力はないと思う。


 私はレイタンを使いたいという舞美さんを、ある意味、軽蔑の目で見ていた。


 それにどうせ先輩も同じ穴の狢だ。舞美さんが行きたいというなら、いいよと言うだろう。霊の存在など信じていないから、心霊スポットに行く気が起こるのだ。


 霊の存在を信じている人間が、霊の存在証明の為に心霊スポットに行くなんて、正気の沙汰ではない。


 私は霊を信じている。レイタンなど使わなくても、空き家に霊がいることを知っている。だから、行く気はさらさらないし、あの恐怖を二度も味わいたくないと思っていた。

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