(7) (改2)

 隼也を連れて買い物に行った帰り道、息子は口には出さないけれど、視線をじっと空き家の門に向けて目を離さなかった。


 その様子を見ていると、なんだかざわざわと胸が騒がしくなる。


 隼也は何を見ているのか。隼也にとってそれは害意のあるものなのだろうか。


 そんな考えが頭に浮かび、隼也の手を握る力が強くなる。


 十歳の時の私は、あれが死ぬほど恐ろしかった。六歳の隼也はなんともないのだろうか。


 家に辿り着くと同時に三善さんと交代する。今日は散歩に行ったらしい。公園に来なかったと言うことは、空き家のある丁字路をまっすぐ行くコースにしたか、正反対の方向へ行ったか、どちらかだろう。


 ほどよく疲れたのか、満足した顔つきで、母がソファに座りお茶をすすっている。


「母さん、散歩は楽しかった?」

「散歩? 散歩なんて行ってないわよ?」


 散歩から戻ってすでに三十分くらい経っているせいか、母はもう散歩のことを忘れていた。


 三善さんを振り返ると、苦笑いを浮かべていた。それを見て私も苦笑する。


 ほどなく三善さんは帰り、私は茶菓子を用意しておやつにした。


「隼也」


 リビングに隼也の姿がない。私はドキッとする。まさか、また勝手に外に出たのだろうか。でもブザーは鳴っていない。廊下に出て、寝室へ行き、また名前を呼ぶ。布団に隠れている様子はない。


 玄関ホールにある階段を上って、二階へ行く。二階には私の部屋の他に一部屋、それと納戸がある。登り切り、廊下に出ると、私の部屋のドアが開いていた。


「なんだ、そこにいたのか」


 呟きながらドアから部屋を覗くと、クローゼットの中に体を半分うずめて、隼也が何か物色している。


「おもちゃなら納戸にしまってると思うけど……」


 声をかけると、隼也がクローゼットから顔を出した。


「これ」


 そしておもむろに何かを私に差し出す。一枚の紙のようだ。


「なんだ、これ?」


 私は紙を受け取った。それは一枚の写真だった。十センチ角の大きめのフィルムだ。裏面には何も書かれておらず、少し黄ばんでいる。ひっくり返すと、家族写真だった。やや褪色はしているが、カラーのインスタントフィルムだ。


 手前にぼやけた黒い影があり、その向こう側の家族にピントが合っている。


 家族にフォーカスしているので、家族以外の風景は完全にぼやけて写っていた。


 母親らしき女性と、その向かいに中学生くらいの少年ともう少し年が上の少女が、ダイニングテーブルに着いて、満面の笑みをカメラに向けている。


 一見とても幸せそうに見える家族写真だ。そして、その家族は見知らぬ赤の他人だった。


 一度は受け取ったが、不安が湧き上がってきて、なんだか急に気持ち悪くなり、汚いものをつまむように持ち替えた。


「これどうしたんだ?」


 隼也に尋ねると、「ここにあったよ」とクローゼットを指さした。


「おもちゃなら、納戸にあるから、出してやろうか?」

「うん」


 ゲームやお絵かきにも飽きてしまったんだろう。


 納戸には、私が小さい頃に遊んでいた玩具がしまっているはずだ。レールを敷いて遊ぶ列車の玩具もあったはず。組み立てて遊ぶブロックもあったように思う。


「下に行ってなさい。見つけたら持って行くから」

「うん」


 隼也は素直に返事をして、階段を降りていった。


 私はもう一度家族写真を眺めた。


 幸せそうな家族。幸せな生活の一部を切り取った写真だ。撮ったのは父親がだれかだろう。


 それにしても、こんなものがどうして私の部屋にあるのだろう。なんだか見覚えもあるが、フッと掠めた記憶は頼りなげに消えていった。


 どうにも思い出せず、母に聞いてみようと思い、ジーパンのポケットに差し込んだ。


 納戸に行き、ダンボールにマジックで書いたメモを見ながら、ようやく、「翔太おもちゃ」と書かれたものを見つけた。何歳の時の物かは分からないが、玩具で遊ぶ年頃はだいたい限られていると思う。


 私が六歳の頃はブロックが流行っていた。小学校に上がり、携帯ゲーム機を買ってもらってからは、級友と友達通信をしながらいっしょに対戦して遊んだ記憶がある。


 懐かしい記憶に耽っていたが、隼也に玩具を持って行く約束をしていたことを思いだして、中身を確認した後、ダンボールごと一階の座敷に持っていった。


 リビングには、茶菓子を食べ終え、ぼんやりとテレビを見る母と、その隣でゲームをしている隼也がいた。


「隼也、おもちゃ持って来たぞ」


 嬉しそうに隼也が顔を上げて私を見る。


「座敷にあるから、気が向いたらそれで遊んだらいい」


 途端に、ゲーム機をテーブルに置いて、隼也はドタドタと騒がしく出て行った。


 相当退屈していたようだ。


 私は苦笑しながら、自分のお茶を注いで、母の隣に座った。


「そういえば、これ」


 ポケットに入れた写真を取り出し、母に見せた。


 母が写真に目を向ける。


「どなたの写真?」


 私はガッカリして写真をテーブルの上に置いた。


 母も知らない家族写真なのだ。だったら何故こんなものが家にあるのだろう。


 なんとなく気味の悪い写真だ。出自が不明なだけではなく、幸せそうに見えること自体が薄気味悪く思えてきた。私は写真をつまみ、ダイニングにあるゴミ箱に、写真を捨てた。


 視界から写真が消えると、なんとなく不安な気分も持ち直したように思えた。


 ただ、記憶に蓋をしたような感覚になる写真だった。どこかで見たことがあるような、けれど懐かしくもない。出来れば、手元に置いておきたくない写真だった。

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