(2)
少年の命令を素直に聞くべきか私は迷った。虎ロープが張り巡らされている門を、呆然と見上げることしか出来ない。
私を囲む四人の少年達は、私の困り果てた様子を見て、ますますニヤニヤと嫌らしげに顔を歪めて、口々に「早く入れ」と急かした。
私は空き家に入らずにすむ言い訳が自分の頭の中にないか、焦りながら探す。勇気を出して「嫌だ」と言えたらよかったが、日に焼けた体格の良い少年達に囲まれると、圧を感じて何も言えなくなった。
辛うじて、「勝手に入ったらいけないんじゃないの」と弱々しく漏らす。
すると、少年の一人が得意げに、「俺は入った。何もなかったっちゃん。普通の家やけぇ」と言い放った。
「そうっちゃ。中に入って、何でもいいけ、取ってきたらいいっちゃん。簡単やろ?」
「早よ、行きぃ」
口々に「早く行け」と急かし出す。
何故、空き家といえど他人の家に入らねばならないのか、当時の私には理解できなかったが、今になってみると、それは少年達の仲間になる為のイニシエーションであり、胆力を示す行為だったのだろう。
私は門を見上げる。開いた扉の向こう側には、鬱蒼と茂った庭木が放置されて四方八方に枝葉を伸ばしているのが見えた。もっと向こうに、玄関のガラスの格子戸が見えて、しっかりと閉じてあるのが分かった。
「鍵がかかってるかも」
苦し紛れに私が言うと、たたみかけるように少年達が言葉を重ねる。
「鍵はかかっとらんよ」
「みんな、入ったっちゃん」
「ぜんっぜん、怖くなかったっちゃ」
「そうっちゃんね、何も出らんかったし、平気っちゃ」
その言葉を聞いて、ますます不安になる。彼らが出ないと言っているのは何なのか引っかかる。
「何か出るの?」
聞きとがめるように訊ねると、少年達が顔を見合わせてクスクス笑った。
「戻ってきたら教えちゃる」
「入らんとね」
「な?」と言い合う姿を見ていると、やはりこの空き家には何かあるのだろうと感じられた。
背中を押されて、虎ロープが私の胸に当たる。
渋る私の態度にとうとう痺れを切らして、思わず手が出てしまったようだった。
少年達は悪びれもせず、今度は強い口調で私に詰め寄る。
「早よ、行けっちゃ」
「俺ら、外で見張っとるし。なんかあったら呼んじゃるけ」
「早よ、行けや」
肩や背中を小突かれて、よろよろと私の足が虎ロープに当たる。後ろを振り向くと、逃げ場を塞ぐように横一列に少年達が並んでいた。
「戻ってきたら、サッカーに混ぜちゃるけぇ」
本当にサッカーの仲間に入れてくれるかも分からないし、ここまで強引に詰められると、むしろ仲間になど入りたくない気分になった。
ただ、自分にはもう逃げ場がないというのは理解できた。
恐る恐る足を一歩前に出す。体をかがめて、虎ロープの隙間から門の中へ入った。
背後から、「なんか取ってきぃよ」と声を投げかけられる。少年達の無情な言葉に、私はのどの奥がぐぅっと引きつるのを感じた。
門の内側に入り込むと、それまで肌を刺していた日差しが遮られたせいか、すぅっと温度が低くなった。
雑草の青臭い匂いが辺りに充満している。玄関前の庭にぼうぼうと雑草が蔓延り、地面を覆い尽くしている。
イネ科の植物の葉が、歩く度に脛を引っ掻いて皮膚を掠める。鋭い痛みを感じて足を見ると、うっすらと一筋の血がにじんでいるのが目に入った。
雑草を避けられるようなものもなく、私は痛みを我慢しながら、石造りの玄関に辿り着いた。
後ろを振り向くと、門の向こうから、目をらんらんとさせた少年達がじっと私を見ている。
もう逃げ道はない、このまま玄関を開けて中に入るしかないと、私は諦めて覚悟を決めた。引き返せば、何をされるか分からなかったからだ。
目の前のガラスの格子戸から中を覗くが暗くて何も見えない。
心が縮こまるのと同時に、温度が一層下がったように感じた。昼でもなお暗いその空き家に、一人で入り込むという恐怖が、うなじから背筋を通り、尾てい骨をひやっとさせた。
そっと引き戸に手をかけて、横に引く。鍵はかかってないと言われたとおり、すんなりと引き戸が開いた。
思わず、後ろを振り向く。門の向こうで少年達が興奮したように手を振っているのが見えた。
私は引き戸の内側に身を滑り込ませて中に入った。
途端に、まるで冷蔵庫に入ったような寒気に襲われて、鳥肌が立った。あまりにも露骨に鳥肌が立ったので、さっと手を腕に這わせた。つぶつぶと毛穴が収縮している。
あれほど暑気に汗を掻いていたのに、嘘のように汗が引いていた。むしろぞくぞくと震えがくる。無意識に両腕に手を這わせて擦っていた。
暗い玄関の三和土に立つ。引き戸の隙間から外の空気が塊になって押し入ってくる。同時に家の中の空気が蠢くのが分かった。空き家の奥から漂ってくる埃の臭いが鼻を突く。
玄関には据え付けの靴箱があるきりで、スリッパもなければゴミすらない。上がりかまちに埃がうっすらと積もっているだけだ。
最近、誰も家の中に侵入していないのか、足跡もついてないのを見て、少年達が口から出任せを言っていたのだと悟った。それともずいぶん昔に入ったきり、何年も経ってしまって新たに積もった埃に足跡が埋もれてしまったのか。
そのときの私に、それを確かめる術はない。意を決して土足のまま、上がりかまちに足をかけて家の中に入っていった。
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