(15)

 頬に当たるお姉ちゃんの体がどんどん冷えていって、固くなっていく。


「お姉ちゃん……」


 どのくらいそうしていたか分からないけど、いつの間にか日が暮れていて、部屋が真っ暗になっていた。肌寒い空気に、ぼくは少し体を震わせた。


 お姉ちゃんが冷え切っている。


「お姉ちゃん、寒くない?」


 お姉ちゃんは黙っている。だからお姉ちゃんの体を持ち上げてダイニングの椅子に座らせた。お姉ちゃんの体は羽毛のように軽かった。小さくなったお姉ちゃんの真向かいに、めった刺しにされたお母さんを座らせる。


 ぼくはご飯の用意をし始めた。お姉ちゃんの好物を作るつもりだ。


「少しご飯遅くなるけど、ごめんね」


 この数ヶ月でぼくの料理の腕は、随分上がったんじゃないかな。いつもお姉ちゃんはぼくの料理を美味しそうに食べてくれたから、自信過剰じゃないはず。


 お母さんは食べたくないのか、テーブルにうつ伏せになった。


「お母さん、そんなにぼくの作るものが嫌いなの? 寝たふりするのはやめてよ」


 お母さんが起きないので、ぼくはお母さんを椅子の背もたれに凭れさせた。


 食卓に温かい湯気の立つ料理を並べる。味噌汁の具はお姉ちゃんが好きなサツマイモとタマネギだ。甘くて頬が落ちそうと言ってくれた。


「美味しい?」


 ぼくはお姉ちゃんの口元に味噌汁を持っていって飲ませてあげた。血の泡といっしょにだらだらと味噌汁がこぼれた。


 マカロニグラタンのベシャメルソースは手作りだ。市販のホワイトソースの素は美味しくないと言って、お姉ちゃんは嫌いだから。


 お姉ちゃんは食欲なさそう。


 結局、お姉ちゃんとお母さんは食事を残してしまった。もったいないなぁと思いながら、ぼくは料理を捨てた。


 お姉ちゃんをお風呂に入れてあげた後、血だらけの寝間着を新しいものに替えてあげた。時々お姉ちゃんが「ぐぷぅ」と声を上げたけど、概ね満足そうだ。


 ベッドに寝かしつけて、ぼくも着替えて布団に入る。お姉ちゃんの体が冷え切っているので温めてあげようと思って抱きしめた。




 毎日お姉ちゃんをリビングに連れていって家族で団らんする。お母さんは自分の寝室で寝てないみたいだ。着替えもしてないから少し臭ってきた。


「お母さん、お風呂くらい入りなよ」


 でも、お姉ちゃんも最近臭くなってきた。仕方ないから、ぼくは部屋で使用する消臭剤をたくさん買ってきて、部屋中に置くことにした。


 その頃には、お姉ちゃんを持ち上げるのは難しくなった。触ると皮膚が剥けてくる。皮膚病かもしれないから、包帯を巻いてあげた。


 毎日、ぼくは食卓でお姉ちゃんと話をする。他愛ない話だ。お母さんがいるから、聞かれても困らないことばかりだけど。


 なんだか虫がたくさん庭から入ってくる。虫を駆除するのが日課になった。


 日に日に強くなっていく臭いを、少しでもましにする為にサッシを開けて、すっかり寒くなった外気をリビングに入れた。


 隣のおばさんが、時々来ては、「何かゴミを置き放しにしてない?」と文句を言ってくる。


「ゴミはちゃんと捨ててます」

「そういえば、最近お姉ちゃんとお母さんを見かけないけど、元気にしてるの?」


 いろいろと詮索するから少しうざい。


「元気にしてます」


 本当は二人とも元気がなくなって寝てばかりいる。ぼくはお姉ちゃんに一生懸命元気になって貰おうと話しかけている。


 最近、部屋中が暗い。家全体を黒い影が包んでいるみたいだ。太陽が差し込んでいるはずなのに、部屋の隅の影が濃い。ぼく自身もすす汚れたみたいな色になっている。視界が悪くてよく物にぶつかるようになった。




 今まで何度も来た中学校の教師が、久しぶりにやってきた。家の電話に何度も掛けたけど、ぼくが出ないから心配になったそうだ。いつもならお母さんが出てくれていたらしいけど、けんもほろろに登校を拒否してきてたから、一度ぼくも交えて家族と話をしに来たらしい。


 ぼく自身は話すことなんてないから、帰って貰おうと面談を断った。


 すると、先生が渡したいプリントがあると言ってきた。高校に進学するか専門学校に行くか、決めてくれと言うんだ。


 仕方なくて、玄関を開けた。


「プリントを渡すだけだから」


 格子戸越しに先生が言ってくる。プリントだけ貰おうと思って隙間から手を出した。


 途端に先生が「うっ」と声を上げた。


「なんの臭いだ? すごく臭いけど大丈夫なのか?」

「大丈夫です」


 ぼくは奪うようにプリントを手に取って玄関を閉めようとした。


 でも、先生が引き戸の隙間に足を差し入れて閉めさせてくれない。


「ぼく、今から用事があるんです。帰ってもらえますか」

「ちょっと上がらせてくれないかな、お母さんと話がしたい」

「母は留守です。夕飯作るから帰って下さい」


 どうにか先生を帰したけど、夕方に警察を連れて先生がやってきた。ぼくの制止を聞かず、警察官が一人家に上がって、大きな声で騒いだ。


「やめてよ! お姉ちゃんが驚くだろ!」


 ぼくが警察官に注意すると、もう一人の警察官と先生がぼくを羽交い締めにした。


 力一杯抵抗したけど、だめだった。


 それから、すぐにたくさんの警察官が来て、勝手にぼくの家に上がっていった。


 ぼくにいろいろ質問してくる警察官もいたから、正直にお姉ちゃん達と暮らしている。今も夕飯時だから食事を作らないといけない。みんながおなかを空かせて待っている、と説明するのに、真面目に聞いてくれなくて、何度も同じ事を聞かれた。


 ぼくは警察署に連れていかれて、お姉ちゃんと引き離された。お姉ちゃんの安否を聞いても、そのたびに、「君のお姉さんは亡くなってるんだよ?」と言われるんだ。そんなことはないと言い返すけど、聞いてくれない。


 そのうち、白い服を着た人のいるところに連れていかれて、ここでも何度も同じ質問をされた。


 昔、お母さんに連れてこられたところと雰囲気が似てる。とうとうぼくは脳みそを手術されてしまうんだろうか……。


 自分のことより、お姉ちゃんが心配で仕方ない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る