(4)

 昼下がりの公園で、隼也が遊具で遊ぶ姿を見守りつつ、気を抜くとフッと意識が遠のくふわふわした心地に身を任せていた。


 実家に戻ってきて、まだ二週間も経たないが、私はすっかり慢性的な寝不足に悩まされるようになった。夜中に母を起こして用を足させるだけなのだが、母より先に寝てもいけないし、母より遅く起きてもいけない。


 気を張り過ぎているのか、こうして隼也を遊ばせる為に公園のベンチに座って見守っている時が、一番気を抜いてしまう。


 すぅっと気絶するようにいつの間にか目を閉じてしまっては、ハッとして顔を上げ、隼也を探す、を繰り返す。


 そのたびに腕時計を見て、時間を確認する。三時まで、あと二十分ほど残っているのを見て、安堵する。買い物を済ませて自分の脇に買い物袋を置いている。今日はたまたま足の早い食材を買っていなかったので、こうして公園に寄り道できていた。


 隼也は公園の砂場でおとなしく山を作って遊んだり、子供達に混ざって滑り台で遊んだりしている。その姿を認めて、また茫洋と公園や空を眺めた。


 次の瞬間、顔を上げて隼也の姿を探した。また気を失っていたようだ。時計を見るともうそろそろ三時になろうとしていたので、隼也に帰ろうと声をかけようと思い、立ち上がって買い物袋を片手に持った。


 確か、滑り台のある遊具で遊んでいたはずだと思い、周辺に寄っていって、隼也を探した。


「あれ?」


 思わず声が出た。隼也の姿が見当たらない。付き添いの母親たちがいるので少し恥ずかしくはあったが、声に出して隼也を呼んだ。


 何度呼んでも隼也は現れない。


 公園はそれほど大きいところではないので、ぐるりと巡った。砂場にも遊具にも隼也の姿はなかった。


 まさか、公園から出てしまったのだろうか。隼也は家までの道を覚えているはずだから一人で家に戻ったのかもしれない。


 慌てて道路に出て、家に続く道の先を眺めた。通行人の中に隼也の姿はない。腕時計を見てみると後何分かで三時になる。急がないと三時を過ぎてしまうと焦ってしまった。


 小走りで一旦駅まで戻った。眺めるだけでは分からないけれど、隼也はいなかった。今度は家までの道を辿る。


 六歳だけれど、割合しっかりした子なので、やっぱり一人で家に戻ったのだろうと信じて、足早で戻り、家の玄関の前で立ち止まった。


 そのとき、スマホがポケットの中で振動した。


 いきなりだったので、ビクッと体が震えた。慌ててスマホを取り出すと、スマホの画面に三善さんの名前が表示されていた。


 出ると、三善さんが元気な声で訊ねてきた。


「すみません、三時なんですが、お帰りは時間がかかりそうですか?」


 腕時計を確かめるとすでに十五分過ぎていた。


「あ、すみません。今家の前にいるんですけど、息子がいなくなっちゃって」

「今、家の前にいらっしゃるんですか?」

「ほんと、すみません。もう少し母を見ていてもらえますか?」

「分かりました」


 三善さんは私のいいわけを聞くこともなく、もう少し時間を延ばしてくれると快諾してくれた。この後に行くだろう訪問先があるだろうに、ますます私は焦って、今来た道を引き返した。


 どうか、公園に戻っていてくれと祈りながら走っていると、あの丁字路に差し掛かった。


 子供があの空き家の門の前に佇んでいる。


「隼也!」


 私は隼也に寄っていって、もう一度呼びかけた。


 隼也が私を見上げて、笑顔を浮かべる。


「今までどこにいたんだ!」


 やっと見つかったことに安堵したが、どうしても怒鳴らずにはいられなかった。


「なんで公園から出たんだ、探したんだぞ!」


 私の顔を不思議そうに眺めていたが、隼也は嬉しそうに答える。


「あのね、影の人がここにおいでって」


 私は慌てて周囲を見渡したが、隼也の言う大人はどこにもいなかった。私を相当困らせたのに、楽しそうにしている息子に苛立ってしまう。


「誰もいないじゃないか」


 私が隼也を責めると、隼也はくるりと振り返って門を見る。


「いるよ、おうちの中に入っていった。でも、知らない人のおうちに遊びに行ったらいけないってお父さんと約束したから、ここで背の高い影の人を待ってた」


 沙也加と私が、以前、隼也に言い聞かせたことを覚えていてくれたんだ。しかし、それと同時に頭から血の気がすぅっと引いた。背の高い影の人……。確か、初めて息子と丁字路の前を通ったときに息子が言っていた。


「その影の人はどんな人だった?」

「真っ黒だよ」

「肌が黒いの? 服が黒いの?」


 隼也が無邪気に言う。


「ううん、全部黒いよ」


 黒いと聞いて、私は背筋が震え、悪寒が走った。嫌な記憶が脳裏を過る。


「もう黒い人に付いていったらダメだ。分かった?」


 隼也は納得のいかない表情を浮かべていたが、こくんと頷いた。


「さぁ、家に帰るよ」


 私は隼也の小さな手をぎゅっと握って、半ば引きずるように家まで引っ張っていった。




 リビングに入ると、すでに帰り支度をして、三善さんが待っていた。


「お帰りなさい。今日はお風呂に入ってもらいました。ね、さっぱりしましたね!」


 笑顔を母に向けて同意を求める。


 母も機嫌好さそうに、理解してなさそうな笑顔で、「そうねぇ」と答えている。


「今日はすみませんでした。お時間大丈夫でした?」


 三善さんが少し困った表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻った。


「大丈夫ですよ。でも、遅くなりそうでしたら今度からは電話をください」


 これからは三善さんに頭が上がらない。きっと、かなりタイトなスケジュールになっているだろう。申し訳なくて何度も頭を下げた。


 玄関で三善さんを見送り、私はダイニングに買い物袋を置きに行った。中身をテーブルの上に出していると、買ったばかりの卵がいくつか割れていた。


 それだけのことで、今日一日ついてないと気持ちがモヤモヤしてくる。リビングの隼也と母に目をやる。


 二人並んでソファに座っている。隼也が持って来たゲームで遊んでいて、母はテレビをじっと見ていた。


 三善さんが帰ってしまうと、家の中の雰囲気が変わった気がする。明るく笑う三善さんに私の緊張がほどけるからかもしれない。助けがあるというのは、本当に頼りになるものだ。


「隼也、今日はオムライスにしようか」


 割れた卵をボウルに移しながら話しかけた。


 返事がないので、隼也に目を向けると、私に顔を向けてニコニコしていた。


「オムライス好きだもんなぁ」

「うん!」


 さっき、私を死ぬほど困らせたけれど、こうして隼也の笑顔を見ると、心が和やかになった。

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