(5)
ふと目を覚ますと、真っ暗な部屋に橙色の豆電球の明かりに浮かび上がる天井が見えた。
今何時だろうと、枕元に置いたスマホを手探りで取り、見てみる。母を寝かしつけて布団に入ったのが午後十一時。まだ一時間しか経っていない。
何気なく隣に寝ているはずの隼也の様子を窺うと、布団がめくれて、息子の姿がない。
トイレにでも行っているんだろうと思い、自分もなんとなく寝苦しかったので、キッチンに行って水でも飲もうと起き上がった。
部屋を出て、キッチンに行く前にトイレに寄る。しかし、誰もトイレに入っていなかった。
不審に思って、母の部屋にも行き、隼也がいないか確かめると、母の布団もめくれていてもぬけの空だった。
母がいない。隼也も。
私は一気に全身から血の気が引いた。
最初は呆然として戸惑い、しっかりしろと自分を奮い立たせ、着の身着のままで鍵とスマホを手に、急いで外へ出た。
信じられない。一日になんで立て続けにこんなことが起きるのだ。冷静になれ、冷静になれと、自分に言い聞かせる。隼也や母にこれほど振り回される自分を、情けなく思う。
夜中の住宅街は、しんと静まりかえり、点々と窓明かりが点る以外は真っ黒く塗りつぶしたように暗い。
大声で名前を呼ぶのは近所迷惑になると思い、家の周辺を歩き回って、道を覗いていった。
母はともかく、隼也はまだこの辺りを一人で歩いたことがない。二人同時にいなくなったと言うことは、まさか母が隼也を連れ出したのだろうかと勘ぐってしまう。
もう少し探索範囲を広げようと思い、公園の方角に向かっていった。
結局、公園にもおらず、駅前に向かう。
等間隔に点る外灯の明かりを頼りに、暗い夜道を歩いて行き、丁字路の空き家の近くまで来た。
もし、駅前にもいなかったら、警察に電話をして、母と隼也を探してもらうしかないかもしれない。
そう思いつつ、暗い影とほのかな外灯の明かりの中をくぐっていく。
空き家の門の前は暗く沈み、虎ロープがよく見えない。ちょうど外灯の明かりが届かないのだ。
その前に、蟠る黒い闇が見えた。濃い藍色よりも一層暗く色彩を失った塊があり、じっと佇んでいる。
まさかと思って静かに近づいていくと、それが人の影だと分かった。
もしや母だろうか。母であってくれと願いながら影のそばに行くと、遠い外灯の明かりが四つの光が反射した。
「ひっ」
私は心臓が止まるかと思った。
あの日、私が見た目玉かと思うほど、黒い闇は白い目玉を私に向けてじっとしている。
「お父さん」
聞き慣れた母の声がした。低い位置で光る目玉は隼也のものだった。
二人とも笑顔で私を見つめている。
私は、安堵と怒りとで、声が出なかった。責めたい気持ちに急き立てられたが、ぐっと押し止める。
母に何を言っても無駄だし、隼也を叱っても、そもそも家を勝手に抜け出そうと誘ったのが隼也かどうか分からない。家に戻って経緯を聞くしかないと思った。
「家に帰ろう、な」
私は気が抜けて力ない声音で二人に促した。
隼也の手を握り、母を支えて、家に向かった。
憤りにも似たわだかまりが喉につかえていたが、むしろ丁字路で二人が見つかって良かったのだと、落としどころを自分に与えようと、言い聞かせるようにため息を吐く。
納得のいかなさと探し回らずに済んだという安堵が、交互に自分の感情を揺るがす。
なんなんだ、一体どうして……。
と、そこまで考えたところで、私はつばを飲んで、自分を落ち着かせた。
いや、こんなことを考えてはいけない。こんなことを考え出したら、この先自分は……。
私は思考を別の方向に向ける努力をした。
まだ始まったばかりだ。こうすると自分で決めたのだ。だから、怒りや憤りに我を忘れてはいけない……。
とぼとぼと三人で家路に就き、暗い玄関の明かりを点して、二人をそれぞれの寝室に連れていった。母が私に、「あの子は誰? どこの子なの?」と言った。
「隼也だよ。俺の息子。母さんの孫だよ」
母が首をかしげて不思議そうに言う。
「私に孫なんていたかしら……」
「生まれた報告はしたけど、初めて会うから仕方ないよな」
「そうなの? じゃあ、仲良くしないとねぇ。私たちに孫なんていたのねぇ、お父さん」
今夜は訂正するだけの元気もない。訂正しても翌日には忘れてしまうんだから無駄だ。
「さ、母さん。おやすみなさい」
「おやすみ」
母をベッドに寝かして、寝室に押し込んだ隼也の様子を見に行った。
隼也はおとなしく布団にくるまって寝ている。東京の家にいたときは、なかなか寝ない子だった。知らない土地に越してきて、友達も作れないでいることを不憫に思う一方で、夜中に外に出たことを叱りつけたいという欲求が高まってくる。
私はため息を吐き、ダイニングに行って、冷蔵庫の中を物色する。買い置きのビールがあったので、取り出してプルトップを開けて缶のまま飲んだ。
苦みがスーッと喉を通り、胃の腑に落ちるのを感じる。胃の腑にアルコールが染み渡った。「ふぅ」と思わず声に出して息を吐いた。
もしも、今後、母が今日のように家から抜け出して徘徊するようなら、何か対策を講じないといけない。明日、伊藤さんに電話をしてどうしたらいいか聞いてみようと思った。
部屋に閉じ込めてしまうことも出来る。しかし、そんなこと、倫理的にも論外だし、可哀想だ。体が健康なのが良いことなのか良くないことなのか、認知症の徘徊に関しては答えが出ない。
私はビールを飲み干して、燃えないゴミ用のゴミ箱に捨てた。
それにしても……。何故、隼也は空き家の前に母と一緒に立っていたのか。子供心に興味をそそられたのだろうか。
あんな気味の悪い家に、まさか入り込んだりしてないだろうか。明日の朝、もう一度強く空き家には行かないように言い聞かせるしかないのだろう。沙也加なら、どうしたろう。彼女の答えを知りたい。
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