(5)

 閉め切られたふすまの向こう側から、聞き慣れた電子音が微かに聞こえてくるのが分かった。沙也加のスマホにこんな電子音を登録した。


 沙也加のスマホを持っているのは隼也だから、押し入れの中に隼也がいるはずだ。


 いきなり開けると怖がらせてしまうと思って、「隼也か?」と声を掛けながら、ふすまを開いた。


 目に入ったのは上段に置かれたスマホだった。私は無意識にスマホを手に取った。


 下段を見ると、体育座りをしている、寝間着姿の隼也がいた。一瞬、ドキッと心臓が止まった。なにか、恐ろしいものを見たのか、顔を俯けて、黙ったまま、身動き一つしない。


 それでも、無事に隼也が見つかったことが嬉しかった。


「隼也!」


 蹲って隼也の顔を覗き込み、私は息を飲んだ。


 隼也の顔色は紙のように白く、真っ黒に塗りつぶされた瞳が虚空を見つめている。


 隼也の形をした何かに、私は驚いて腰を抜かした。腰を畳に突いた途端、畳がたわむ。手の中のスマホがまた電子音を鳴らした。この音は何かの通知音だと気付いた。


 思わずスマホを見る。通知音を鳴らしていたのは、先日、削除したSNSアプリだった。隼也が削除したアプリを再インストールしたのだろうか。


 しかも、あの家族写真が表示されている。写真が明らかに記憶にあるものと違う。そこには、隼也と母の姿があった。


 ありえない。普通に、こんなことは起こりえない、慌てて日付を見ると、投稿は今日だった。だれかが、隼也と母の姿を加工して、この家族写真を作ったんだろうか。


 わたしは、目の前の隼也が本物の隼也であることを祈りながら、前を見た。


 子供は、相変わらず、じっとして動かず、顔を俯けている。


 私はじりじりと後退り、座敷の縁まで下がった。ゆっくりと、隼也の形をした何かを刺激しないように、座敷を降りた。畳は私が後退った形でたわんでいる。


 考えてみると、体重を掛けただけでたわむ畳が、私が上がるまで腐っていても表面は綺麗だったことを思い出した。


 あの子供はどうやってあの押し入れに入ったのか? そして、上段に置かれた沙也加のスマホはどうしてあそこにあったんだろう。


 通知音とは別の音がスマホからする。子供の様子を窺いながら、スマホを見ると、画像が表示された状態で、低い男の声が聞こえてきた。あまりに小さな音声なので、聞き取りづらい。


 何故か、その声を聞き取らねばと思い、スマホを左耳に当てる。男のひしゃげた声が、たどたどしく喋っている。


「完璧な家族になろう……」


 私は思わずスマホを落とした。スマホの音量が少しずつ大きくなる。


 何度も何度も、声がループする。


「完璧な家族になろう完璧な家族になろう完璧な家族になろう完璧な家族になろう完璧な家族になろう完璧な家族になろう完璧な家族になろう完璧な家族になろう完璧な家族になろう完璧な家族になろう完璧な家族になろう完璧な家族になろう完璧な家族になろう」


 私は音声を切ろうと、スマホを手に取って画面を見た。が、家族写真は動画ではなく、ただの画像だった。どうにかして音声を止めたくて、スマホの音量をオフにした。


 やっと静かになったが、画像がまた変化している。隼也と母の隣に、先輩と舞美さんが並んで写っていた。


「え?」


 どういうことなんだ。投稿時間もついさっきだ。どうやって撮ったんだ? 不可能じゃないか。


 画像には、三人家族と隼也と母、先輩と舞美さんの他に、見知らぬ顔ぶれが、にこやかにこちらに向かって微笑んでいる姿が映っている。


 私は慌ててアプリを閉じた。


 顔を上げて押し入れを見ると、子供の姿はなくなっていた。どこに行ったのか確かめようと後ろを振り向こうとした。


 そのとき、背後で床が鳴る音がした。私は辛うじて振り向くのをやめた。背後から聞こえる、足音。素足で床板を踏み、その反動でたわんだ床がぎぃぎぃと軋んでいる。


 ゆっくりと背後から近づいてくる気配に、全身の毛穴から脂汗が吹き出る。寒いのに、ぞくぞくと悪寒が走る。


 耳元近くで生臭い息がかかる。


「完璧な家族になろう……」


 得体の知れないものが腰をかがめて、私の後頭部を舐めるように見た後、頬を私の耳にくっつけた感触がした。


「完璧な家族になろう」


 再度囁かれて、私は悲鳴を上げた。足が絡まって、また私は腰を抜かし、床に這いつくばった。今にも吐きそうなほど、恐怖に胃の腑が縮み上がっている。子供の頃のトラウマが、鮮明に蘇る。


 顔を上げる必要などなかったのに、私は背を向けていたダイニングを見て、呆然とした。


 荒れ果てていたダイニングが一変している。


 いつの間にか、部屋の中が綺麗になっていた。割れたガラス、落書き、穴の開いた床、崩れた天井、それらが一切なく、先ほどまでだれかが生活していた気配を感じた。


 今は夜中のはずなのに、窓から差し込む光は金色で、まばゆく温かい。


 ダイニングに人がいる。まばゆくて見えなかった姿が、徐々に目が慣れて見え始める。


 だれかがダイニングテーブルの席に座っている。その背後に幾人も並んでいるのが目に入った。


 ダイニングテーブルに座っている顔ぶれに、私は息を飲んだ。


 沙也加と、その真向かいに母と隼也がいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る