(2) (改)

 インターホンの画面を見ると、ヘルパーの三善みよしさんだった。これからは午後一時から二時までの一時間、三善さんが母の見守りをしてくれる。私が福岡に来る前から、ケアマネージャーの伊藤さんと話し合って決めたことだ。そんな短い時間で母の様子の変化に気づき、報告してくれたのも三善さんだった。


 今後は様子を見ながら、母をデイケアに連れていくかどうか決めようという話になっている。私の負担を軽くする為でもあると提案された。


 玄関へ鍵を開けに行き、三善さんを出迎えた。


「お疲れさまです。いらっしゃい」


 三善さんは笑顔がチャームポイントの可愛らしい二十代の女性だった。両手に買い物袋や大きめのトートバッグを提げている。丸い頬をしていて、目はリスのようだ。


「こんにちは! 初めまして、鷹村さん。上がらせていただきます!」


 そう言ってきちんと靴を揃えると玄関に上がり、リビングへ向かった。私はその後ろを付いていく。小さい体なのにきびきびしている姿を見ると、変に頼もしい気持ちになってきた。


「佳子さーん、こんにちは! 今日のお加減はどうですか?」


 三善さんが母の前に膝を突いて腰をかがめた。


「あら、どうもこんにちは」


 笑顔で答える母の様子を見ているだけだと、まるで三善さんのことが分かっているように見える。


「どちら様かしら?」

「三善ですー! お元気にしてますか?」

「えぇ、元気ですよ」


 すると、毎日交わしている挨拶だと思うのに、まるで初めて聞いたように三善さんは嬉しそうに破顔する。


「良かったぁ、ご飯は食べられてますか?」


 すると、母が不思議そうな顔つきになる。


「ご飯? 食べたかしら……、ううん、食べてないかも」

「そうですかぁ……、あ、でも、もうお昼ですもんね! ご飯、持って来ましたよ!」


 私がここに到着したのはお昼過ぎだった。本当なら、配送業者が昼の弁当を持ってくるのだが、事前に電話でキャンセルして、三善さんにスーパーで惣菜を購入してくれるように頼んだのだ。


「すみません、お昼を用意する時間がなくて……」

「いいえいいえ、お引っ越しされてお忙しいときにすみません。伊藤さんが今朝お弁当を持ってきたときは綺麗に完食されたようですよ!」


 今日だけ、朝の九時に一時間、伊藤さんにお願いして、母が弁当を食べるのを見てもらったのだ。無理なお願いをしてすみませんと、また頭を下げると、三善さんは笑って小さく手を横に振った。


「そんな、鷹村さんのお手伝いをしているだけですから、なんでも言ってください」


 それを聞くと、本当に安心できる。今までは電話だけでやりとりをしていたが、実際に会ってみると、彼女の笑顔でかなり気が楽になった。


「じゃあ、駅前に買い物に行ってくるので後はよろしくお願いします」

「はい、行ってらっしゃい」


 私はリビングのソファに座っておとなしくしていた隼也を呼び、一緒に出掛けることにした。




 最寄りの駅まで徒歩で約十分。公園の前を通り過ぎると、この先にある、思い出したくない場所が頭を過る。


 私は、ある空き家に入り込み、二度、恐ろしい思いをした。今でも時々夢に見るくらい、トラウマになっている。


 馬鹿としかいいようがないが、十六歳の時にも、やむを得ずもう一度空き家に侵入したのだ。そのときは私一人ではなかったが、やはり、ろくでもないことしか起こらなかった。


 丁字路にさしかかり、私は足を止める。実家に向かうときもここを通り過ぎた。


 大きな屋根付きの門があり、虎ロープが張り巡らされている。崩れかけた扉の向こう側には草木がぼうぼうと茂り、奥まった場所にガラスの格子戸の玄関が見える。


 昔とまるっきり変わらない様相だ。すでに取り壊されているものと思っていたから、この地を踏んで実家に向かっているときに、視界に入ったこの空き家を見て、私は本当に驚いた。


 一瞬、息を飲んで立ち止まったが、自分の手を握る小さな手の存在を感じて、私は左手にある空き家から目をそらすと丁字路を右に曲がった。




 駅前のスーパーで、夕食の惣菜と米、明日の食材と菓子を何種類か、他に日用品を買い込んだ。


 十六年ぶりに戻った、故郷の町並みはすっかり変わっていた。ショッピングセンタービルが建ち、おしゃれなチェーン店のカフェや垢抜けた店が並んでいる。スーパーもビルの地下に移り、有機野菜など高級食材も扱う店舗になっていた。


 私が高校生の頃は、駅前に唯一あるコンビニの前で部活のOBとつるんで、夜中まで遊んでいたものだ。運が良かったのか、悪い遊びに誘うような連中とは縁がなく、OBの磯辺いそべ先輩に連れ回されていたものだ。


 帰り道、他に遠回りができないので、やはりまたあの空き家の前を通ることになった。


 私が空き家から目を背けて歩いていると、隼也が私に話しかけてきた。


「お父さん、あそこに黒い人がいるよ」


 私は思わず空き家を振り返った。息子の指さす先に門があった。


「え?」


 けれど、誰もそこにいなかった。電柱の陰にも、どこにもいない。


「気のせいじゃないか?」


 隼也を見下ろすと、息子はあどけない表情で、私を見上げる。


「ううん、背の高い、影の人がいるよ」


 私は不吉な空き家の前の道を見回して人影を探してみた。背の高い人間がいれば、隠れるところもない丁字路なので、すぐに見つけることが出来そうだが、人っ子一人いない。


 いつもはこんな困らせるようなことを言う子供ではないのに、私があまり構わなかったせいなのか、関心を引こうとしているのかもしれないと思った。

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