第一章 鷹村 翔太

(1)

「それはここにお願いします」


 引っ越し業者の男性に最後のダンボールを屋内に運んでもらった。実家の仏間にいくつもダンボールが積み上げられていて、その一つ一つに中に入っているものが分かるようにマジックでメモが書かれている。


 その中の一つから、いくつか小物を取り出して、仏壇に並べて置いた。母が父の写真を後ろ向きにしているように、私も自分が持ってきた写真立てを伏せた。


 沙也加が事故で死んだのはちょうど一年前。私が三十三歳になった時に、息子の隼也を残して逝ってしまった。彼女の写っている家族写真を見るのが辛く、伏せておいているのだ。


 ろうそくに火を付けて線香を焚く。おりんを鳴らし、「南無妙法蓮華経」と唱えた。


 火を消した後、認知症の母がいたずらにろうそくを弄らないよう、仏具入れにマッチとライターを仕舞う。


 なんとなく力が抜けて私は足を崩して座り込んだ。


 つい先日まで、私は東京の上場企業で働いていた。実生活も充実し、過不足もなかったが、福岡の実家の母・佳子けいこの認知症が進み、要介護3に認定され、ヘルパーに介助されながらの一人暮らしはこれ以上は無理だと、母を担当している伊藤ケアマネージャーから連絡を受けた。

 

 それまで意識して避けてきたが、そういうわけにはいかないと覚悟を決め、仕事を休職し、実家のある福岡に戻ってきた。


 父は私が高校三年の時に脳梗塞で亡くなった。その後、母から逃げるように東京の大学に進学した私は、そのまま東京で就職し、今まで里帰りすらせずにいた。


 たまにかける電話で話をしたが、母が少しずつ老いていくのを感じていた。妻の沙也加にも一度くらい顔を見せに行けばいいのにと言われてしまうほど、露骨に私は実家を避けていた。


 両親は、これまで育ててきた息子から裏切られたことをどう感じていただろう。


 中学の頃は、母がかなりの高齢で私を産んでくれたことを、口には出さないが感謝していた。高齢出産には母子ともにリスクがあると、沙也加が言っていたのを思い出す。


 けれど、高校に進み、高校二年の時、海外へ修学旅行をすることになった折、私は必要な書類を揃える為に区役所で戸籍謄本の手続きを取った。


 戸籍謄本の記述を見た私は、尋常でないショックを受けたのだ。今まで信頼していた人間から裏切られたと思い込んだ。思春期まっただ中だった少年にとって、それは充分に衝撃的だった。


 養子縁組は戸籍謄本を見ると分かる。名前も分からない女性から生まれた私は、両親の血を一滴も受け継いでいなかったのだ。


 何故、両親がこんな大事なことを黙って、私に教えてくれなかったのか、当時の私には理解できなかった。それまで反抗期すらなかった従順な私が、初めて両親に刃向かった。


 今思えば、とても子供じみていた。拗ねた子供が不機嫌を両親にぶつけて、彼らの親としての愛情を試したようなものだ。そんな拗ね方をした挙げ句、一年後に父親を喪失くして、今また母親を喪失くしそうだ。


 仏壇の位牌を眺めつつ、しんみりとしていると、背後から声をかけられた。


「お父さん、こんなに散らかしてどうするの?」


 母が、ふすまから顔を覗かせて、積み上げられたダンボールを忌々しげに見ている。


「ごめんごめん、母さん。すぐに片づけるから」


 すると、母は不満そうな表情だったが、「そう」と言ってリビングに行ってしまった。


 母はもう私のことが分からない。父に全く似ていない私を、自分の夫だと誤認している。それが私を物悲しくさせる。


 足腰が丈夫なだけに、余計健康そうに見えて、傍目では分からない脳みそが萎縮していく病にかかっているのが信じられない。


 私は、お茶も満足に煎れられなくなってしまった母の介護をする為に意を決して戻ってきたのだ。


「母さん、お茶、煎れよう」


 片付けは後にすることにして、私もリビングに入っていった。




 リビングのソファに母が座って、孫の隼也じゅんやと話をしている。


 にこやかに機嫌の良い母を見ていると、安堵してしまう。隼也が物忘れに苛立っている母を和やかにしてくれるのが、とても助かる。


 隼也はまだ小学校に上がる前で、しかも越してきたばかりで保育園にも入園できず、一日中家にいることになる。今のところ、おとなしくしているから良いが、男の子だけに一人でどこかに行ってしまうことも少なくない。


 母とこうして話し相手になってくれるうちはとても助かる。本人はそんなつもりではなくても、遠回しな親孝行になっている。


「お茶をどうぞ」


 慣れないダイニングで、戸棚をあちこち開けてようやく茶葉を見つけて、テーブルに置きっ放しの急須でお茶を煎れる。隼也には牛乳をコップに注ぎ、リビングに持っていった。


「あら、お父さん、ありがとう」


 母がほほえみながら湯飲みを受け取り、お茶をすする姿を見ると、寂しい感情が湧いた。


「お父さんじゃないよ。俺は、翔太。翔太だって」


 何度も繰り返し教えるけど、思い出してくれない。私との思い出ももう思い出してはくれないのだ。


 私が十八歳の時に家を出てから、三十四歳になるまでのあいだに、母は年を取り、随分小さくなった。


 養子だった私に本当のことを隠していたのは、両親の優しさだったのかもしれない。きっと実の母を知りたいという時は、遠からず来ただろう。あそこまで意固地になって、反抗しなくても良かったと後悔してしまう。気付くのが遅すぎたのだ。取り返しが付かないほどの時間ときが過ぎてしまったのは事実だ。母の様子を見る度に、もっと母と話をすれば良かったと、口惜しい気持ちになった。


 隼也が生まれたときに、沙也加が「あなたのご両親に孫の顔を見せに行くのも駄目なの?」と言ったのを思い出す。


 今更と、気まずく思っていたとしても、妻の言うとおりにすれば良かった。


 しんみりしていると、玄関のインターホンが鳴った。

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