エピローグ

(1) (改)

 ガラス窓も何もかも壊されて割られた空き家の中は、屋外と同じくらい寒い。


 足下には、崩れ落ちた天井と、室内に散らばったガラスの破片、長い間雨風に晒されてたわんだ床、散乱するゴミで溢れている。


 荒れ具合が一番酷いのはリビングだ。他の部屋には落書きはあるけれど、ここまで荒れ果ててはいない。


 つい先日、不法侵入した男女が首を吊った。介護疲れによる心中と言うことだった。何もここで死ななくても自分の家ですればいいのにと、勇二は腹が立った。


 最期くらいは綺麗な場所で死にたいと思わないのか、なぜ、一番荒れ果てたリビングで首を吊るのか、そんな疑問に勇二は頭を悩ませている。


 警察にも、今後こんなことがないように、空き家の管理のあり方を注意された。市からは廃屋の処分などを勧告されている。


 空き家を解体するのも金がいる。その金が惜しくて、勇二は空き家を放置していた。一年前の大学生失踪事件のこともあり、ますます近所からの風当たりも強くなってきた。


 仕方ないので、勇二自身で空き家の見回りを定期的にすることにした。


 昼間でも薄暗いリビングを、引き戸を開けてざっと見回す。


 すると、微かに電子音が聞こえてきた。


 勇二は、一体何が鳴っているのだろうと、リビングに入り、足下に気をつけながら、音の出処を探した。


 音は座敷から聞こえてくる。段差のある座敷の畳に上がる。ふすまを外した押し入れの上段に何かある。スマホのようだ。たわむ畳に気をつけながら、スマホに近づいてじっと眺める。


 画面に何か表示されている。何の変哲もない家族の画像のようだ。


 音声が唐突に流れ始めた。微かに聞こえる音声は、「完璧な家族になろう」と言っていた。じっと聞き耳を立てていると、音声は少しずつ変わっていく。


「完璧な家族になろう完璧な家族になろう完璧な家族になろう完璧な家族になろう完璧な家族になろう叔父さん完璧な家族になろう叔父さん完璧な家族になろう叔父さん完璧な家族になろう叔父さん」


 それを聞いていると、なんとも言えない気分になってくる。


 勇二はぼうっと不思議な心地で、スマホを眺めていた。


 突然、背後に人の気配が生じた。背中に迫る圧迫感に勇二は我に返るが、振り返る勇気がない。頭に浮かぶのは、黒くてやけに背の高い何者かだ。


 その黒い人が、ぐぐっと上体を屈ませて、勇二の後頭部に顔を寄せてくる。生臭い息の匂いがする。耳元で、低くひしゃげた声が、「完璧な家族になろう、叔父さん」と囁いた。


 恐怖がふわっと和らいで、また画像を見ていたときの気分に戻る。頭がぼうっとする。なんだか、ロープで首を括りたくなった。


「ああ、死にたくない……」


 首を括る為のロープを探さねばと、床に目を泳がせた。


「ああ……死にたくないよ」


 口が勝手に言葉を漏らす。頭の中では早く首を括りたい。


 矛盾する感情が、違和感なく勇二の中に存在している。


 リビングの照明の下に、虎ロープが落ちていた。


 勇二はそれに近づいて、ロープで輪を作る。床に転がっていた椅子を立てて、それに足を乗せる。足下がぐらぐらしているが、なんとかロープを照明のコードに結びつけた。


 引っ張って強度を確かめる。


「ああ、死にたくないよぉ」


 口が勝手に動く。早く首を括りたい。


 ロープの輪に首を突っ込む。


「死にたく——」


 椅子がガタンと倒れて爪先が足場を失い、しばらく痙攣していたが、そのうちだらんと弛緩した。






 ガヤガヤとした、ファーストフード店の店内は、塾帰りの学生で溢れている。


 キャハハと黄色い声が時折聞こえてくる。女子校生が友人達と他愛ない話に興じているようだ。周囲も気にせずに大きな声で話をしていた。


 その会話の端々が、衝立を隔てた席に座っている、三善と伊藤にも聞こえてくる。




「『呪いの家族写真』って知っとぉ?」

「知っとぉ知っとぉー。写真に自分が写っとったら死ぬっちヤツだよね」

「そうそう、それ」

「写っとったらまじでやばくない?」

「まじでやばい。やけど、そのアカ、すぐブロックしたら死なんっち、ミカが言いよったよ」

「見たら死ぬのに、ミカ、バカやないん」




 キャハハと女子校生達は笑った。


 三善は、その会話を苦笑いを浮かべて聞いていたが、すぐに自分たちの会話に戻った。


 伊藤も一瞬黙って、聞こえてくる言葉に耳を澄ましているようだった。


「止めてたら、あんなことにならなかったですよね」


 鷹村親子の心中について、さっきまで伊藤と話していた。


「予兆はあったんです。おかしいって分かってたんです」


 伊藤が三善に視線を戻す。


「でも、踏み込めない部分もあるし、鷹村さん、直前まで普通にしてたんでしょう?」

「そうですけど……」

「じゃあ、気にしないほうがいいですよ。鷹村さんは気の毒だけど、これにめげてたら、この仕事できないでしょう?」


 その通りだ、でも三善は割り切れない。亡くなった息子が生きていると信じて、奇行に走った鷹村の異変を見逃していた。踏み込んではいけないと分かっていたけど、助けになると個人的な申し出をした。


 鷹村はその申し出に気付かなかった。家族の支えもなく、介護慣れしているわけでもなく、三善達に頼るわけでもなく、何もかも一人で背負ってしまったのだろう。


 三善はそれが悲しかった。


 これは今後も起こりうる悲劇かも知れない。


 もう、この仕事、続けていく自信がないと、三善は顔を伏せた。


「そんなこと、言わないで……って言いたいけど、三善さんがどうして無理なら、止めない」


 伊藤の声は優しくて、本当に責めるつもりなどないのは、聞いていて感じる。


 伊藤が言葉を続けようとしたとき、伊藤のバッグから着信の音楽が流れた。伊藤が慌ててバッグからスマホを取り出し、「失礼」と目配せしてから、電話に出た。


「あ、分かりました。はいー、失礼します」


 伊藤が電話を切ると、済まなそうに三善に目を向ける。


「ごめんなさい。ちょっと用事が出来ちゃった。また、悩みがあったら話を聞くから、そのときは遠慮しないで」


 そう言って、伊藤は飲みかけのコーヒーを手に取り、席を立った。


 三善は、自分の手の中のコーヒーをぼんやりと見つめていたが、テーブルに伏せて置いていたスマホから通知音が鳴っているのに気付いた。


 SNSアプリの通知音だ。


 何気なくスマホを手に取り、アプリを開く。タイムラインに、画像が表示された。画像かと思ってみていると、ゆるゆると動いているのが分かった。


 どこにでもありそうな家族の動画だと思って見ていると、その中に見覚えのある顔があった。


 鷹村だ。


 動画に写る人々の中に、生前の鷹村が笑顔で写っている。


 三善は動画をタップして拡大する。


 囁くような小さな音声が聞こえる。


「……ぞくになろう……ぺきな……かぞ……うかんぺきな……ろう」


 音声は周りの騒がしさのせいではっきりと聞こえない。


 ふと、視界の端に黒い人影が立った。三善は伊藤が戻ってきたのかと思って顔を上げた。


 しかし、誰もいない。


 もう一度、動画の音声を聞き取ろうと、スマホを耳に近づけた。突如、はっきりと、「完璧な家族になろう」と耳元で囁かれた。


 三善はすっくと席を立ち、スマホを耳に当てたまま、ふらふらと店外に出た。


「完璧な家族にならなきゃ……」


 三善は口走りながら、目の前の国道に飛び出した。


 途端、三善の体が吹っ飛び、その上をトラックが走り抜けた。クラクションの音とブレーキ音が響く。何台もの車が急ブレーキを掛け、ぶつかり合って止まった。


 歩道に落ちたスマホの割れた画面には、鷹村の他に大勢の人々が写った画像が表示されている。ゆるゆると動いて見える画像から、低くひしゃげた声が何度も何度も繰り返し、聞こえてくる。




「完璧な家族になろう完璧な家族になろう完璧な家族になろう完璧な家族になろう完璧な家族になろう完璧な家族になろう完璧な家族になろう完璧な家族になろう完璧な家族になろう完璧な家族になろう完璧な家族になろう完璧な家族になろう完璧な家族になろう……」






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完璧な家族 ---首縊りの家--- 藍上央理 @aiueourioxo

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