(6)
結局、三日経っても帰ってこないので警察に通報したが、警察は血縁者からの通報でないと受け付けられないと言われた。
このまま、先輩のアパートに居座り続けることも出来ない状況になってしまって、渋々、自分の家に戻ることになった。
家出するきっかけになった、とある事実について、私は親の口からまだ何も聞いたことがなかった。だから、不意に家を出てしまったことが気まずく、玄関を開けることも躊躇われた。
昼下がりに、もじもじと玄関前のアプローチで立ち尽くしていると、隣の家のおばさんにばったり出くわした。
「あら! どうしたの、その顔!」
「あ……、ちょっと……」
「ケンカ? お父さんとお母さんを心配させたらダメよ……。鍵、忘れたの? お母さんいないのかしら? うちで待つ?」
ここに越してきたときからお世話になっているお隣のおばさんは、心配しながら私に声をかけてきた。
「あ、いえ……」
家出したなどとは言えなかった。話をしていると、どこか気まずくて居心地が悪い。それに、親にも話してないのに、おばさんに言うのはかなり抵抗があったので、口ごもるしかなかった。
「そう……」
おばさんは心配そうな表情で私を見て、自分の家に入っていった。
何事もなかったかのように家に入っていけば良いだけなのに、それが出来ず、十五分かそのくらい悩んだ末、母親のスマホに電話をした。
実は親から何度も着信があったが、消音にして無視していたのだ。ラインも既読せず、通知も切っていた。自分が家出したことに対して、親がどういう対処を取ったのかすら知らない。
親になって思うが、夜中になっても我が子が帰らなかったら、私ならすぐに警察に連絡し、捜索願を出すだろう。きっと私の親もそうしたのではないだろうか。
半月ほど、警察に見つからなかったのはたまたまだったと思う。親からしたら何の連絡もなく、理由も分からず、いきなり息子が姿を消したら、気が気ではなかっただろう。だから、電話口で怒鳴られて叱られてもそれは当たり前だった。
「どこに行ってたの!」
電話口の声とは別に玄関まで響く母親の声が聞こえてきて、叱られているにもかかわらず、滑稽だと思ったのは今でも覚えている。
「今どこにいるの」
「玄関……」
鍵は持っていたが、どんな顔をして家に入れば良いか分からずにいた。
「ちょっと待ってなさい!」
母がバタバタと足音を立てて玄関に向かってくる音がして、電話が切れた後、ドアが開かれた。
泣きはらした目元が赤く、眉はしかめていたけれど、泣くのを我慢していたのかもしれない。
私の無惨な青痣だらけの顔を見た母親が驚いて声を上げた。
「誰にそんなことされたの!」
何を言えばいいか分からず、私は小さな声で謝るしかなかった。
「ごめんじゃない!」
そう言って、ペちんと軽く頭を叩かれた。
「早く入りなさい。ご飯食べたの? おなか空いてるんじゃないの?」
それに一々答えていたら、ダイニングに連れていかれた。多分、ちょうど昼食を取ろうとしていたのだろう。遅い食事の最中に帰ってきたらしい。
「これ、食べて」
言われるがままに、山盛りに白米を注がれた茶碗を受け取って煮物を頬張る。インスタントラーメンではない、母親の味がした。
「今から卵焼きも作るから、それも食べて」
「うん……」
血が繋がっていなくても、母は母だった。
母が四十過ぎて生まれた子供なのだと勝手に思っていた。なかなか夫婦の間に子供が出来なかったのだろうと、中学生の時は考えていた。
小学生の頃、クラスメイトに、「おまえのお母さん、おばあちゃんみたい」と言われて恥ずかしい思いもした。それで、恥ずかしいから授業参観に来なくていいと言ったこともあった。
そして、半月前、私は修学旅行で海外に行くことになった為、パスポートの手続きを取りに行った。そこで養子である事実を知って、私はその足で家出した。
行く当てがなかったから、部活のカラオケコンパで連絡先を交換し合った磯部先輩に連絡を取って、しばらくアパートに置いてくれるように頼んだのだった。
夕方、連絡を受けて急いで帰ってきた父親に、どこにいたのかなど詰問されて、素直に答えた。
本当は一発殴られてもおかしくなかったと思う。でも、先輩に殴られて、腫れて青痣が出来た顔を見たら、父親も殴る気が失せたのだろう。反対に心配されたので、実は先輩が行方不明になったと告げた。
それでも、私はあの空き家に行ったことだけは黙っておいた。十歳の頃にあんな目に遭っておいて、また空き家に行くなんて、自分でも正気の沙汰と思えない。
父親に、家出の理由を聞かれ、私は戸籍謄本の話をした。両親はしんみりとした表情を浮かべて、私に謝ってくれた。
今考えると謝る必要などなかったと思う。けれど、父に驚かせて悪かったと言われたのだ。
「俺を産んだ母さんって誰なの?」
「それは分からない。おまえの両親の情報は秘密なんだ」
それが、養子縁組の際の決まり事らしい。もちろん相手にもこちらのことは明かされないそうだ。
私がどんなに頑張っても本当の両親には会えないような仕組みらしく、何故自分を養子に出したのか、知る手立てはなかった。
本当のところ、私自身、生みの親に会いたいと思っていたか思い出せない。会いたいというか、知りたいというか、どっちにしろ、戸籍謄本を見て知ってしまった事実がショックなだけだったと思う。私は両親の口から事実を知りたかったのだ。
生まれてすぐに生みの親から捨てられたが、今の両親に愛され育まれた。今の両親が本当の親だと思っていたし、事実よりも真実を無意識に選んでいたと思う。要は私の気持ちの問題なだけだった。
「もし、どうしても納得がいかないなら、父さんも頑張って、おまえの生みの親を探してみるよ」
肩を強く掴む父の手を振り払うこともせず、ただ、小さく、「いいよ。もう分かったし」と言い続けるしかなかった。
今の私なら、はっきり両親に、「父さんと母さん以外に親はいないから」と言えるだろう。
でも、それは親になったからこそ思う言葉なのだろう。
そのときの私は素直にどこにいた、だれといたという話は出来たけれど、今何を感じ、何を考えているか、それを伝えることが出来なかった。
意固地に押し黙ったりはしなかったせいか、父母は一応安堵したようで、警察に電話をして、捜索願を取り下げたのだった。
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