(4)
夕方に母を見送った後、私は脱力したようにソファに体を沈めた。柔らかなソファが心地よくて、ついうとうとしてしまう。今日は早めに寝てしまおうと、九時に隼也に寝なさいと促したが、私を無視してずっとテレビにかじりついている。
お笑い番組に笑い転げている姿は可愛いけれど、寝てほしさと私自身とても眠たいのとで、隼也の態度に苛ついてしまう。
「もう寝なさい!」
感情のまかせるままに、リモコンを取ってテレビを消した。すると、隼也が反抗的な目つきで私を睨みつけてきた。勝手に消されたことで不機嫌になったのだろう。いつもならもっと優しく出来るのに、苛つく気持ちをそのまま吐き出してしまった。
「なんだ、その目は。お父さんの言うことが聞けない子に見せるテレビはないぞ。それに今何時だと思ってる。子供は寝る時間だ。早く寝室に行きなさい!」
隼也は無言でリビングを出て行った。
いつの間にか、ごめんなさいも言えない子になってしまった。沙也加の死で、私も隼也もギクシャクしてしまった。隼也がもっと死について理解してくれていたら、少しは寄り添えただろうか。私自身のつらさや悲しさを理解してくれない息子に憤りに似たものを感じているせいだろうか。
気落ちして、ダイニングの椅子にドスンと座り込んで、こめかみを指で押した。まだ疲れが取れていない。三善さんが言うとおり、食欲もなくて痩せてしまった。母は三日間だけ預かって貰うことになっているので、このあいだに今までの疲れを解消しないと、私のほうが参ってしまう。
隼也がもっと言うことを聞いて良い子にしてくれていたら、こんなに疲れはしないのにと不満が胸に湧いた。
しばらく経って、寝る準備を終えた私が寝室に入ると、煌々と明かりが付いたままになっていた。隼也がゲーム機を持ち込んで、寝そべったまま遊んでいる。
一応、寝室にいるのはいいが、ゲーム機で遊んでいては、いつまで経っても寝られやしないだろう。
「隼也、ゲームはやめなさい。電気を消すぞ」
「いや。まだ遊ぶ。遊びたい」
「お父さんを困らせるな。ゲームをしてたら寝られないだろう?」
「寝られるもん」
子供特有の根拠のない自信に、また私は苛ついた。
「寝られるわけがないだろ。前の家にいたときは九時に寝てたのに、ここに来てからちゃんと寝られなくなっただろう。ダラダラ遊んでるせいだぞ。あんまり言うこと聞かなかったら、ゲームで遊ばせないぞ」
こんな脅しを小さな子供にすべきじゃないのは百も承知だ。私の思い通りにする為に、いやいや言うことを聞かせても、隼也には理解できてない。ちゃんと向き合って、何故寝ないといけないのか諭したほうがいいのは分かってる。
でも、私の心に余裕がない。
隼也の手からゲーム機を取り上げ、絶対に手が届かないタンスの上に置いた。
案の定、隼也は泣き出した。
いつもなら母が起きるから泣いてほしくないところだが、今日はいない。泣き疲れてふて寝してほしくて、私は隼也を放っておいた。
そのうち、諦めたか疲れたかして、隼也は泣き止んだ。しかし、寝られないようで何度も寝返りを打っている。しばらくそうやってゴロゴロしていたが、とうとう私の耳元で、囁いた。
「お父さん、寝られない」
ほら見ろとばかりに、私は隼也を振り返り、起き上がった。
「ゲームで遊んでいるからだぞ。どうしたら寝られると思う?」
前の家なら本を読んで聞かせていたが、本を入れたダンボールが引っ越しの際に紛失してしまったので、読んで聞かせるというのが出来ない。
しりとりをして眠気がくるのを待つのもいいが、反対に興奮する可能性がある。
幼い頃、寝られない私を母がおんぶして、夜の住宅街を歩き回ってくれたことを思い出した。それが隼也にも通用するか分からないが、歩かせて疲れさせるのも手だろう。
「散歩でもするか」
私がそう言うと、隼也は飛び起きて、「今、夜だよ?」とどこか楽しそうに訊ねてきた。
「散歩するだけだ。歩けば疲れるだろ?」
本当に寝てくれるか分からないが、今の私にはそれしか思い浮かばなかった。
隼也を普段着に着替えさせる。夜に住宅街を歩き回るなんて、学生時代以来だなと思いながら玄関を出た。
昼間に比べ、気温もずいぶんと低い。十七年前よりも、外灯が煌々と明るい。家々にも光が点っている。大通りは遠いのに、車のエンジン音がここまで聞こえてくる。
夜の十時を過ぎたら人気もなくなって、ゴーストタウンのように思えたものだが、今はどことなく生気を感じる。ぶらぶらと家の周りを歩き、ふと気付くと丁字路に差し掛かった。
これからぐんと寒くなる季節なのに、塀の内側は相変わらず草木が茂っている。ちょうど外灯の光が届かないのか、空き家だけ闇に沈んでいた。
街の光を反射して空が灰色に染まっている。黒々とした木の梢と屋根の影が混淆一体と化して、空に浮かび上がっていた。
まるで大きく伸び上がった化け物のようだ。
ぼんやりとその光景を眺めていると、隼也が私の手を引いた。
「ん?」
私を見上げる隼也の視線が、私からあの大きな門の内側へと移動していく。
「お父さん、背の高い、黒い人がいる」
ここに来た頃から、隼也はずっとこの空き家の前には黒い人がいると言い続けていた。やはり、今も見えているのか。
「気のせいだよ。暗いから人なんて見えないよ」
隼也の手を握り、強く引いて角を曲がろうとしたが、テコでも動こうとせず、門の向こう側を指さした。
「黒い人が呼んでるよ」
咄嗟に、私は隼也の手をはたいた。
「やめなさい!」
黒い人のことなど考えたくもない。私は隼也の手を無理矢理引っ張ると、夜の散歩をやめて家に戻った。
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