(3) (改2)
背の高い人という言葉で、私は隼也の絵を思い出した。
「あの、隼也が書いた絵で気になることがあって」
すると、三善さんが怪訝そうな表情を浮かべる。
「絵……、ですか? でも……」
見たくなさそうな言い方だったが、私は絵のことを一人で抱え込むのが嫌で、リビングのローテーブルの上に散乱している画用紙を手に取った。
「これ」
三善さんに手渡す。
三善さんは戸惑った様子で、絵と私を交互に見つめた。
「どうです。奇妙でしょう? 隼也にこれは何か聞いても、教えてくれないんですよ。なんだか、母の話に似てますね」
三善さんがドン引きしているのが手に取るように分かったので、思わず、笑いでごまかした。
でも、三善さんは笑えなかったらしく、真剣に絵を見つめている。何か躊躇っている様子だったが、やがて顔を上げて私を見た。
「あの、私、鷹村さんが心配です。鷹村さん、事故で奥様とお子様を亡くされて、本当に大変だと思います。もし、何か私に出来ることがあったら、遠慮なく言ってください!」
私は唖然とした。何を言っているんだろう? 私が黙ったままでいると、三善さんが頭を下げて謝った。
「出過ぎたことを言ってしまいました、ごめんなさい! でも、本当に鷹村さんが心配なんです……。すごく痩せてしまったこと、気付かれてますか? 疲れていらっしゃるんじゃないかって……。差し出がましいかもしれないですけど、私を頼っていただいて構いませんから!」
三善さんが頭を下げた。
私は三善さんの言っていることが飲み込めずに呆然としたまま、彼女の頭を見つめていた。
「すみません……」
私が何も言わないことを、怒っていると誤解したのか、三善さんが謝ってきた。
「いや、いいんですけど……。確かに沙也加は事故で死んだけど、隼也は助かったんです。言いませんでしたっけ? 私のほうこそ気を遣わせてすみません」
私の言葉に、三善さんはびっくりした顔をした。しばらく思案している様子だったが、悲しそうな表情でにっこりと微笑んだ。
「いいえ、差し出がましいことしたのはこっちです」
なんとなく気まずくなってしまった。「それじゃあ」と、三善さんは帰っていった。
私の言い方が、気付かずにきつくなってしまったんだろう。隼也のことで三善さんも悩むところがあったのかもしれない。それでも、隼也が死んだことになっていて、少なからずショックを受けていた。
ずっとリビングで母と話をしているのに。
私はそろそろおやつの時間だと母に伝えに行った。
隼也が叫びながらリビングを走り回る。ドスンドスンと音を立てながら、ソファのうえで飛び跳ねている。
「隼也、やめなさい!」
私は怒鳴ってばかりだ。隼也が興奮しているのを止めることが出来ない。こんな時に沙也加がいたら、と胸が苦しくなる。隼也が日に日に扱いづらくなってくる。
体力を発散させる為に保育園に行かせて友達と遊ばせたほうがいいと思う。
このところ、疲れてしまって隼也の相手が出来なかった。隼也もそれが分かっているのか、知らないうちに外に遊びに行ってしまう。おやつの時間になるとひょっこり帰ってくるので、それほど心配はしてなかった。
それでも、ストレスを抱えているのか、こんなふうに暴れ回ることが多くなった。
隣で大声で叫んだり飛び跳ねたりしているのに、母は穏やかだ。隼也に慣れてくれたんだろう。
「今日のおやつはドーナツ。母さん、好きだよな」
「そうねぇ、お父さんも好きじゃなかった? 二人でよく半分こにしたわよね」
そう言って、ドーナツを半分に割って、私に渡してきた。
「……ありがとう」
母の中には父と結婚したばかりの自分がいるんだろう。きっと初々しい夫婦だったんじゃなかろうか。
長いこと孤独だった母にとって、一番幸せな時間に戻れたんだ。この病は、母を恐ろしがらせるが、慰めも与えてくれているんだろうか……。でも、今この時間から過去へと、記憶が薄れていく病に救いなんてないのだ。それがやるせなく切ない。
夜中にブザーが鳴り響く。徘徊防止にはよく活躍してくれているが、私は毎日寝不足で過ごさないといけない。
昼間は、隼也が騒ぐのが神経に障って、しょっちゅう怒鳴ってしまう。
「隼也、静かにしないとお父さん怒るぞ!」
怒鳴りつけて、隼也にこっちに来いと命じて脅すけれど、言うことを聞いてくれない。
「おやつ抜きにするからな!」
すると、母が困ったような顔つきで私を振り返り、
「みんな仲良くしないと。家族は仲良くしてないと」
と言って、またテレビを見始める。
自分でも分かっている。隼也だって何かを抱えている。母親を失ったのは隼也にとっても、とてつもないストレスだと思う。甘えたくても、父親の私は母につきっきりだし、満足に隼也と遊ぶこともない。公園に二人で行っていたのも最初の数ヶ月だけだった。
もう長いこと隼也をほったらかしにしている。お風呂に入れたか、歯を磨かせたか、服を着替えさせたか、食事をさせたか、何もかもが曖昧で、私の頭は母のことでいっぱいだった。
夢もしょっちゅう見る。なんだか不安になる色彩の夢だ。いつも空き家の前に立っていて、じっと見つめているだけの夢。
空き家の中にはたくさんの家族がいる。それを想像して、私は幸せな気分になっている。不安と幸せが表裏一体のまま、私はじっとりと汗を掻いて目が覚めるのだ。
日々、疲弊していく私に、伊藤ケアマネージャーがわざわざ訪問して、提案してくれた。
「鷹村さん、三善から聞きました。これは提案ですが、デイケアかショートステイを利用しませんか? デイケアなら日中は自由に出来ますし、ショートステイは長くは使えませんが、まとまった休息が取れるはずです」
あまり眠られてないんではと言われて、私は恥ずかしい気持ちになった。そんなに酷い有様なんだろうか。心配させてしまうほど、私は頼りないのだろうか。
「あの……、あまり深く考えられなくていいですよ。我々はそれが仕事ですし、まずはご家族様が健康であられるように手助け出来ればと願っているんです」
試してみませんかと、伊藤さんは言った。
「介護3ですし、料金もそれほど心配されなくて大丈夫ですよ」
利用する際の料金は、食事やケアが入る分加算されるが、三千円から八千円で済むからと、先を越されて説明された。確かに老人ホームより、ショートステイのほうが安いだろうし、施設によるけれど、サービスも充実しているだろう。
どうしても家族の世話は家族でしなければいけないと思いがちになる。人様に迷惑を掛けられないと考えてしまうのだ。
伊藤さんは私に、お母様と鷹村さんの手助けをすることが私達の仕事なんですよと、言ってくれた。全て、ケアマネージャーさんやヘルパーさんの仕事と割り切ってしまえば、私の気持ちが楽になる。恩を着せられるとか迷惑を掛けるだとか言う、個人的で卑屈な感情をきっぱりと否定できる。
「じゃあ……、ショートステイを試してみます」
ショートステイは、空き部屋を確保すれば、すぐにでも可能だと言われたので、確認を取ってもらい、夕方に迎えに来て貰うことにした。
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