第三章 宍戸 篤
(1)
お父さんが、新しい家を建てることにしたと告げたのは、ぼくが十二歳の時だった。
今まで住んでいた古い家から、一年後には引っ越すことになる。
お父さんはロープに囲われた更地に入って、ここはリビング、ここはお姉ちゃんの部屋、隣にぼくの部屋だよと、そんなふうに、説明しながら歩き回った。
お母さんもニコニコと始終笑顔で嬉しそうだ。お姉ちゃんも、「やっと篤と違う部屋になる」と、満足そうにしてる。
一人部屋になるのはなんだか心細くて寂しいけど、もう中学生になるし、そろそろ一人でも平気にならないといけないなと思った。
暗がりとか夜とか、ぼくは怖い。嫌な夢を見て目を覚まして、お母さんやお姉ちゃんの布団によく潜り込んだりしてた。
「篤、もう、怖いからって私の布団に来ないでよ」
そんなふうに、お姉ちゃんがぼくをからかってきた。
「でも、家が建つまでは一緒に寝てくれるんだよね?」
「まぁ、そうだけど」
ぼくたちは建築士のおじさんと熱心に話をしているお父さんに目を向けた。
お父さんが更地をぐるりと見回している。ぼくもつられて辺りを見た。
ちょうどここは丁字路のどん突きにある。ロープの外側には大きな木が茂っていて、枝が大きく張っていて、木陰が出来るくらいだ。
お父さんが、ここに門を配置すると言っている場所に、石で出来た細長い四角柱がある。敷地の中に立っているし、門を作ると邪魔になるから撤去していいと伝えているのが聞こえた。
でも、さっきから建築士のおじさんがお父さんに、「門は違う向きにしたほうがいいですよ」とか、「あの石柱は撤去しないほうがいいですよ」とか言っているのが聞こえてくる。
お父さんは、「迷信だ」と大きな声でおじさんに答えた。
お父さんは命令されるのが嫌いだ。会社の中で一番偉い、大きな会社の社長だからだ。このあいだ、手がけた事業がうまくいって、年商が十数億円まで伸びたと自慢してた。
十数億円なんて、ぼくには想像も出来ないくらいすごい数字だけど、そのおかげでお父さんは機嫌がいい。お父さんとお母さんが仲良くしているのが嬉しい。
隣でお父さんの様子を見ていたお姉ちゃんと目が合って、同じ事を考えてたのか、お姉ちゃんがにやりと笑った。
「地鎮祭はせんでいい。昔からやっとる風習だろうが、今の時代には合うとらんけん。土地の神様やとか、そんなもん存在せんでしょ。だいたい、あんた、神様なんち目に見えんもん信じとるんですか。私はねぇ、そんなもんは人間の判断力を鈍らせるち思うとるんですよ」
お父さんが、建築士のおじさんにそんなことを言っている。
他にも何を言っているのか耳を澄ましていると、お姉ちゃんが肘でぼくのおなかを小突いてきた。
「お父さん、ああいうの嫌いよね。仏壇も拝まないもんね」
「そうだね……」
お姉ちゃんがこんなことを言うのを、お父さんが聞いたら、ものすごく怒られる。ちょっと、冷や汗が出てきて、ぼくはこっそりお父さんに目をやった。
「どうせ聞こえてないよ。でもさ、お父さんの仕事がうまくいってくれて良かったね。お母さんが一番嬉しそう」
いつも元気がないお母さんが、楽しそうにロープに沿って歩き回って、周囲を観察している姿を見て、お姉ちゃんに同意した。
お父さんの機嫌を気にしているお母さんは、不幸そうに見える。ぼくもお姉ちゃんも、そんなお母さんを見るのが辛い。だからお母さんが笑顔でいられるなら、何でもしてあげようと、お姉ちゃんと決めてるんだ。
お母さんは口癖のように、「お姉ちゃんと仲良くしてね。ケンカなんてしちゃ駄目よ」って言う。もちろん、ぼくとお姉ちゃんはケンカなんてしない。たまにお姉ちゃんがぼくをからかって遊ぶくらいで、酷いことをされたこともない。
だから、「うん。分かってる」って答えるようにしてる。お姉ちゃんはお母さんの言うことが、少しうざったいみたいだけど。
それでも、お姉ちゃんがぼくと仲良くしてくれるのに間違いはない。
ぼくはいつも何かが怖いと思っている。怖くて家から出ることが出来ない日もある。
空から何か怖いものが降ってくる。道路から車がぼくめがけて突っ込んでくる。道の角を曲がったら包丁を持った人が刺してくる。木が急に化け物になって襲ってくる。友達と思ってたのにいきなり飛び掛かってきて噛みつかれる。
いろいろなことが本当に起こりそうで、怖い。
お母さんはたまにぼくを病院に連れていってくれた。そこで、白い服を着た先生と話をして、特に何もされず、また来週って言われて、家に帰る。なんで病院に行くのか、お母さんは理由を教えてくれない。
きっと、ぼくが意気地無しで、お父さんに呆れられるくらいに弱虫だから、いつか、その病院で頭の手術をするんじゃないかと思ってる。
耳元でひゅうと風が鳴る。
振り返ると、目の前のまっすぐな道に黒い陽炎のようなものが立った。なんだろうと思って目を凝らしたら、陽炎は消えてなくなった。目を擦ってもう一度見たけど、左右の道にも、目の前の道にも、陽炎なんてなかった。
急に不安になって、ぼくはお姉ちゃんの手を握る。お姉ちゃんがぼくを見て、同じくらい強く手を握ってくれた。
ぼくはお姉ちゃんが大好き。ぼくのことを分かってくれるのはお姉ちゃんだけだから。
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