(13) (改)

 赤ちゃんを世話のために、お姉ちゃんと相談して、数時間置きに交代で寝ることにした。お姉ちゃんが寝てる今は、お母さんに赤ちゃんを見て貰って、ぼくが数日分の食材と赤ちゃんのおむつや粉ミルクを買いに、駅前まで出掛けていた。買い物を済ませ、重たい荷物を両手で持って、十分の道のりを歩いて帰った。お母さんが出掛けていたので、車を出してと頼めなかったのだ。


 家の前まで来ると、知らない車が止まっていて、赤ちゃんを抱いた知らない男女が乗り込もうとしていた。


 考えるより先に、ぼくは買い物袋を放って、駆け寄った。


 お母さんがぼくに気付いて、「急いで急いで」と男女を急かして、車のドアを閉じた。


 お母さんを突き飛ばして、車のガラスに手を当てて中を覗く。赤ちゃんを抱いたスーツ姿の男とスーツを着た女が、ぼくの剣幕を怯えた様子で見ている。


「どこに連れてくんだ! うちの子だぞ!」


 怒鳴って窓ガラスを叩いたけど、車が発進して、ぼくの前を勢いよくすり抜けた。

 ぼくは息が続く限り走って、あとを追ったけど、あっという間に車は去っていった。すぐに家に引き返して、蹲っているお母さんの両肩を荒っぽく掴んだ。


「あいつら、なんなんだ!」


 お母さんは微笑んで、ぼくの腕を振り払うと立ち上がった。気持ち悪いくらい優しい声でぼくに言った。


「あの子を幸せにしてくれる人のところに行ったのよ」

「あの人達は誰なんだよ」

「役所の人。養子に出したの。もう、手続きは済んでる」


 ぼくは頭に血が上って、お母さんを平手で叩いた。


「勝手なことするな!」

「誰の子か分からない赤ちゃんは、うちの家族に必要ないの!」

「誰の子だろうと、あの子はぼく達の息子だ! お母さんが勝手に決めることじゃない!」

「今度こそ、お父さんの血を継ぐ赤ちゃんが必要なんだから! お父さんが生き返れないでしょ!」

「お父さんなんて生き返らなくていいよ!」


 いきなりぼくの目の前に火花が散った。鼻がズキズキして頭がガンガンする。鼻から鼻血が垂れてきた。お母さんがぼくの顔面を拳で殴ってた。


 ぼくは鼻を押さえて下を向いた。地面にボタボタと血が落ちる。


 家の中で悲鳴が上がった。ぼくは鼻血が垂れるのも構わず、玄関を見た。


 お姉ちゃんが叫びながら、玄関から飛び出してきた。寝間着が乱れて、顔面蒼白だった。


「篤、赤ちゃんがいないの! どこにやったの!」


 泣きながら、お姉ちゃんが辺りを見回す。


「お母さんが役所の人に渡した。養子に出したって言ってるんだ」


 ぼくは低い声でお母さんを指さした。


「なんで? 人でなし! 私の赤ちゃんなんだよ! なんで勝手にそんなことするの」


 お姉ちゃんがお母さんを罵倒した。


 だけど、お母さんは全然気にしてない様子で、ぼくが放った買い物袋を拾い上げた。


「今度はどこか知らない男の子じゃなくて、篤と子供を作って。ね? じゃないと、お母さん、困るのよ。お父さんが生き返りたいって、私に言ってくるの。願いを叶えてあげたいじゃない。完璧な家族にお父さんは必要不可欠なの」

「あんなに殴られてたのに、あんなに酷いことされてたくせに、まだあんなクソ親父がいいのかよ!」

「お父さんはそんなつもりじゃなかったの! 完璧な人間なんていないの。少しは間違ったりするの。あの人は本当に優しい人なのよ。あんた達だってここまで育ててもらったんじゃない!」


 お姉ちゃんが頭を抑えて奇声を上げた。


 騒ぎを聞きつけた近所の人達が表に出てきた。


 お母さんがそれに気付いて、ぼくとお姉ちゃんを無視して家の中に入ってしまった。


 ぼくはお姉ちゃんに肩を貸して、慰めながら家の中に戻った。


 ぼく達はお姉ちゃんの部屋に閉じこもった。お姉ちゃんはずっと泣いている。三時間以上経っても泣き続けて、このままじゃお姉ちゃんがどうにかなってしまうって、ぼくは焦ってた。


 お母さんの声がする。ご飯よって呼んでいる。返事をする気にもならない。


 そのうち、お母さんがドアをトントン叩いてきた。返事をせずに無視していたら、しつこくトントントントン鳴らしてきた。ずっと、叩き続けている。


 泣いていたお姉ちゃんも顔を上げて、叩かれるドアを見つめている。ぼくはお姉ちゃんに目配せして、勢いよくドアを開いた。


「うるさい!」


 荒げた声が誰もいない廊下に響いた。


 咄嗟にお姉ちゃんを振り返る。ぼくもお姉ちゃんも顔が強ばってたと思う。


 何故か、怖いヤツが戻ってきたみたいだ。


 いや、満たされていたはずのぼく達の憤りと哀しみを嗅ぎつけて、家のどこかにいた怖いヤツが出てきたんだ。あいつは家に取り憑いてるから、隠れていてもどこにも行きはしない。


「完璧なのは、私達のほう」


 急にお姉ちゃんが呟いた。


「さっきまで完璧だったんだよ。篤がいて、赤ちゃんがいて、三人で幸せだった。だけど、お母さんのせいで、完璧じゃなくなった!」


 ぼくはお姉ちゃんの剣幕に驚いて、体が固まった。


 お姉ちゃんの影が濃い。逆光で影になったお姉ちゃんの顔が、真っ黒だ。


 ぼくはずしんと絶望が背中にのし掛かったのを感じた。今度はお姉ちゃんが怖いヤツに取り憑かれた。ぼくは、怖いヤツを取り払う方法が分からない。


 ただ、お姉ちゃんの底知れない怒りと憎悪を目の当たりにして怯えるしかなかった。


「お姉ちゃん、お母さんは役所の人って言ってたから、養子にしないって言ったら、聞いてくれるかも。ぼく、電話してみるよ」


 ぼくは、お母さんが役所と言っていたのを思い出して、区役所に電話をした。区役所の人は児童相談所を案内してくれた。児童相談所の人が乳児院の住所を教えてくれたので、泣き続けるお姉ちゃんに声を掛けた。


「赤ちゃんを取り戻しに行ってくる」


 お姉ちゃんの悲しむ姿を見ていたくなかった。まだ連れていかれたばかりだから取り戻せると思っていた。


 本当の親なんだから、赤ちゃんを育てる義務も責任もぼく達にある。お母さんが決めることじゃない。


 知らない人間が、赤ちゃんの親になるなんて考えたくなかった。


 車を運転できないのがまだるっこしい。まだ免許すら取れないぼくは、駅前からバスに乗るしかない。バスに乗っている間中、どうやったら赤ちゃんを取り戻せるか考えた。いい考えが浮かばないまま、ようやく最寄りのバス停に着いた。


 降りてすぐにぼくは走った。早く着いたら、それだけ赤ちゃんを取り戻せそうに感じた。


 息を切らして、乳児院の前で立ち止まり、中に入った。


 窓口があったので、そこで自分の用件を話した。


「うちの赤ちゃんをここの人が連れていったんですけど、返してください」

「はい? ご家族の方ですか?」


 年配の女の人がぼくに聞いてきたから、ぼくは強く「はい」と答えた。


「母が勝手に養子に出すって決めちゃったんです。でも、赤ちゃんはぼく達の子供だから、養子に出しません」

「お子さんのお名前は?」

「まだ名前を決めてません。あの、さっき、ここにきたと思います。その子が僕の家族です」


 女の人は困ったように笑った。


「ごめんなさいね。本当のことと思うけど、会わせるわけにはいきません。それにあなたまだ中学生じゃないですか? 保護者の方は?」


 ぼくは言い当てられて尻込みした。


「あなたの親御さんに、このことを相談しましたか?」

「だから、母が勝手に!」


 埒があかないと思って、ぼくは窓口を抜けて奥へ走った。


「ちょっと待って!」


 女の人が大きな声で呼び止めたけど、ぼくは無視して、ドアというドアを開けながら、赤ちゃんを探した。  


 施設の人達が驚いて振り返っている。


 どんどん奥に入っていくと、赤ちゃんの泣き声を聞こえてきた。そっちに足を向けて走った。


「止まりなさい!」


 男の人が前に立ちはだかった。ぼくは思い切り体当たりした。でも、他にも人が来て取り押さえられてしまった。


 結局、警察官に引き渡されて、警察署に連れていかれた。警察官に、何度も乳児院に行った理由を聞かれた。


 警察官に厳しく注意された上、未成年が子供作るようなことをするな的なことを言われた。


 たったひとつ、ぼくは自分が親とだけ言わなかった。さすがに世の中が許してくれないだろうから。警察だって例外じゃない。話がこじれてお姉ちゃんまで巻き込んでしまう。嫌味を言われたけど、ぼくは自分が悪いことをしたとは思わない。


 お姉ちゃんを好きでいることは邪悪なことじゃないと思ってるから。


 でも、そんなぼく達の絆を、お母さんみたいに自分の為に使おうとするのは、どうしても許すことが出来なかった。


 警察に迎えに来たお母さんと車で帰っている途中、お母さんがまるでぼくが悪いみたいに言った。


「人に迷惑を掛けちゃだめでしょ。お母さん、いつも言ってるじゃない。これは家族の問題なんだから、家族だけで解決しましょう。千咲にはお母さんからも言ってあげるから。今度こそ、千咲もお父さんの為に子供を作る気になるわよ」


 完璧な家族っていうのは、お母さんとお父さんのことじゃない。


 ぼくとお姉ちゃんと奪われた赤ちゃんのことだと強く思った。

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