第6話

「開真波さん、私に、あなたが首相になる手助けをさせてください」


 伊吹が犬走のウーロン茶に地酒か地焼酎を数滴垂らしたのではないかと疑った。しかしマスクをつけ外しする空気の流れでアルコール臭は感じられなかった。

「失礼ですが、あなたが何ばおっしゃっているのかご自覚はありますか?」

 犬走は何も言わず、私を見据えたままだった。自分の言葉を安売りしていない証拠だった。

「ネットで調べた程度の知識ですが、首相になるにはまず議員になり、その後面倒くさいステップを踏まないといけないものでしょう。そういう点ではまず、あなたが首相になる方が比較的ステップの省略になるのでは? それに私は人の上に立つ器ではありません。人ば縛り、人に縛られる人生なんてまっぴらです」

 犬走は突如声を上げて笑い出した。

「縛る、か。中々的確な表現できましたね。確かに、国民の生活を守るという義務においては、我々の言動すべてが縛られます。その義務が果たせていないのもまた事実ですが。だからこそ、我々はまず、生活苦にあえぐ国民を解放しなくてはなりません。我々の生活はその後です。そのステップには、あなたのような気性の方が必要です。残念ながら、私こそ首相の器ではない。あなた方から見れば、私は国会においてただの吠え犬です。なぜなら、未だに国民は物価高、円安、低賃金で苦しんでいるからです」

「だから私のバックになるとおっしゃるのですか? 随分と酔狂なことですね。私が抱く日本への想いとあなたが掲げる政策が一致するとも限らないのに?」

 定食のご飯と味噌汁がすっかり冷めていたが、私は気にせず再び箸をつけた。私なりの拒絶の方法だった。

「そうそう、自腹での食費なんでこのお料理は完食しますよ。もったいないから。それ以前に、この料理を提供してくださった働き手、板場さん、生産者さんに失礼ですからね」

 それでも、犬走は私から目を逸らさなかった。そのとき、家族連れと思われる客の声が聞こえてきた。

『お外でご飯ば食べると、久しぶりやね、お父さん、お母さん!』

 私が刺身、最後の一切れを口に入れた瞬間だった。

「犬走さん、私のバックになりたきゃ勝手になればよかですよ」

 私は箸を置き、全身を彼に向けた。


「私を首相にさえすればよかって言っとるんです。その代わり、あなたの所属を含めるどの政党にも所属しませんから」

 伊吹と弥生の顎が同時に落ちた。

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