第24話
亘理とともに福島の仮設住宅地へ向かう途中、市長の
「まさに道に迷っているところだったので助かりました。行き先だけ教えていただけますかね? 緊急連絡先は、先に発った配達係の方に繋がるんで」
香椎は車での送迎を申し出たが、私は丁重に断った。
「しかし総理、土地勘がある者の案内が必要ではありませんか?」
「一理ありますが、私は用意された道だけを進むのには向いていません。自分の思考をもって物事を見ないと分からないこともあります。もちろん、市長には直接、あとでたくさんお尋ねしたいことがあります。そのためにもご連絡先もお伺いしてもよろしいでしょうか」
香椎は先に渡した名刺に記載していると教えてくれた。メールも市長のスマホに届くよう設定しているとのことだった。
市長は物足りなさそうな表情で私たちを見送り、市車の後部座席に乗った。
面子を保つのも大変そうだ。
震災後十年以上経過しているので、仮設住宅から人の臭いが染み込んでいた。
一区域につき一か所に食料品やその他必需品を集めると、各仮設住宅から住民が出てきた。私と亘理、谷内を含む配達員複数名が世帯ごとに手渡し、短い言葉を交わした。そのときの服装は当然ながら、私も亘理もパーカーとジーンズ、スニーカーだった。
住民の一人・
「他に必要なものは?」
芳春が紙袋の中身を察していたのだろう。米袋と野菜を詰めたビニール袋を抱えて七希から離れた。彼は妻であり七希の母である
物資配布の後、私と亘理は配達員の解散を見届けた。その後私は希望世帯の住宅内部を見させてもらった。
インテリアにはデザインの統一感がなく、いかにも譲り受けたものといった印象だった。キャラクターも未成年者の好みでなければ、キャラクターの顔がくしゃくしゃになっていようが構わない様子だった。中でも、私のお気に入りであるペンギンのキャラクターはひざ掛けの毛羽立ちが目立っていた。
私が訪問した世帯の一つ、平田家では、仏壇の代わりに美咲と三人そろった写真が立てられていた。その横に、もらいものと思われるロックグラスに道端の草花を活けていた。
七希は配布されたチョコレート菓子の一包を写真立てとグラスの間に添えた。
「七希は私の連れ子でしてね。亡き妻、美咲とは血のつながりがありません。それでも七希を本当の娘として愛してくれました」
「年頃の娘さんだし、色々と悩ましいこともあるのではないですか? 同性の親にしか話せないことも」
私は生理のことを揶揄していた。芳春は勘の鋭い男性だった。そして、娘想いの父親だった。
「私自身はこのまま仮設住宅住まいでも構いません。仮にあの家が元通りになったところで美咲は戻ってきませんし。ですが、七希の将来だけはしっかり守りたいんです。地元の大学に進みたいと言えば応援したいですし、東京に行きたいと言えばどうにかしてでも送り出したいです。私にはなかなか話してくれませんが、七希はきっと将来の目標があると思います」
その七希は継母を失い口数が減った。今では「おはよう」と「おやすみ」以外の言葉を聞かないという。
「平田さん、心の傷って、十年経っても治らないことだってあります。ではどうすればいいのか? その傷を癒そうとしないことです。その傷を新たな体の一部として受け入れるんです。心だけでなく、家庭内外の状況だって常に変化します。仮に美咲さんが生き残れたとして、それでも七希さんは成人して親元を離れるでしょう。異性と結婚すれば子宝に恵まれるでしょう。仮に七希さんが同性のパートナーを選べば、養子を迎えるかもしれない。平田さんご自身だって老いて、仕事をリタイアするでしょう。美咲さんだって白髪が生えたことでしょう。そうして、世の中すべてが変化しているんです。美咲さんを忘れろなんて私には到底言えません。だからこそ、すべてを体の一部として受け入れ、ご自身も変化していくんです。その手伝いを、派遣の心療内科医にはできます。そう、平田さんと七希さんのどちらも受け入れてくださるのであれば」
「あくまでも選択肢は私たちにあるということですか。総理、私も国会中継はラジオで拝聴していましてね。政治家相手にはずいぶんと大きなことをおっしゃる方だと思っていましたが、実際にこうしてお話しすると謙虚なようですね。また、人を動かす力もお持ちのようだ。福島の人間だって、それなりに頑固なんですよ。ご出身の九州ではどうなのかは知りませんが、こちらでは地元であることに強いこだわりがあります。国全体の政府というある意味よそ者が入り込んだところで、事情を知らない人間を受け入れなかったでしょう。しかし実際はどうです、商店街の方々が協力してくださっているではありませんか。これまで私たちは被災地の住民としてそれなりに協力して生き延びてきました。しかし結局は自分のことで精一杯でした。物資の支援だって、商店街を経由することなんて誰も思いつかなかった。それをあなたはやってのけた。それこそスーツも着ずに。私こそ口で言うしかできませんが、どうか総理として頑張っていただきたい。初志を尽くしてください。七希の未来の可能性をあなたに託します。娘に、変化を受け入れる力を与えてください」
芳春は理性的な男性だ。腹で政府にどのような恨みがあろうとも、私を一個人としても内部まで見透かしていた。また、私が決して強い人間ではないことも理解してくれた。
「顔を上げてください。そんなことをされては対応に困ります。あなた方にはただただ、選択肢がご自分にあるということを忘れないでいただければ十分です。政治や育児に限らず、主体性が大事ですからね。それに、私たちは一人では生きられない。七希さんがいるだけであなたはこうして背筋を伸ばしていられるし、私も、亘理がついてきてくれなければこうして被災地訪問は実現しなかったでしょう。東京で私の代わりに働いてくれている石嶋だって、初対面のとき嫌な顔をしていましたよ。こんな若者が、って顔に出ていました。今でも私は政治の『せ』も知らないから説教をくらっています。しかも毎日です。この滞在期間はメールなり電話なり、彼には気苦労をさせています。それでも彼は私自身について何も不満を言わず、支えてくれています。自宅で留守番してくれる母も、私が背筋を伸ばしていられるよう気丈にふるまってくれます。そうして私は成り立っているんです。これからの日本についても同じ。政治家に過度な期待や失望せず、自主的に動くことが大事なんです。私はそれが容易にできるような仕組みを作っていきたいんです。そのためにあなた方の力が必要なんです。だから、七希さんに力を授けられるのは私ではなく、ご家族である平田さんです。それを含めたくさんのことを直接伝えたくて、こうして訪問させていただきました」
その直後、七希から父を呼ぶ声が聞こえた。何年も聞いていないその呼び方に、芳春は涙した。
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