第9話

 三月、伊吹の部屋にて、私たちは仲良しグループで集まり送別会を開いた。グループ内に、今年度卒業する先輩がいたので、彼女たちの門出祝いも兼ねていた。

「まっさか、アルソックが本当に首相になるなんてね! 私たちの誰よりも出世しとるやん」

「いや、普通に泥沼にはまりに行くだけなんですけどね」

 卒業式を終えたせき未智留みちる大水おおみずあかねは缶チューハイを二本ずつ開けていた。ポテトチップスやおにぎりせんべいは私がしていたので、中身がテーブル上に散乱していた。

 私と弥生、木本きもと沙綾さあやの二年生組は二リットルペットボトルのオレンジジュースを紙コップでシェアして飲んでいた。

「ちょっと、誰か手伝いなさいよ!」

 伊吹は自身が作った料理を忙しく盛りつけていた。声量は張っていたが、手際が良く全身から活力があふれ出ていた。

「ってかアルソック、お酒好きなのに今日は吞まなくてよかと?」

 沙綾が最初に、私をアルソックと呼びだした。その場で誰もが納得し、今もアルソックと呼ばれている。腰も脚も細い咲綾からすれば、長年の立ち仕事でむくみきった脚と腰回りの筋肉がたくましく見えても無理もなかった。

「や、泥沼にはまりにいくのに祝い酒は、ね。でも、それよりも未智留さんと茜さんの方がおめでたいよ。お二人とも、地元から離れてまで、本当にご立派ですよ」

 二人には私の実年齢を明かしているが、大学生としての立場では彼女たちを敬うべきだ。私が彼女たちに敬語を使う理由には、長年の縦社会で身についた感覚が大きく関係している。

「未智留さん、本当にすごいですよね。あがんタイトスケジュールと厳しい教職課程を見事にこなして、四月から先生になるんだもん。茜さんだって、東京に戻って就活ばして……ますます忙しくなりそう」

 弥生が小ぶりな唇でオレンジジュースを啜っていた。

「アルソック、私たち新社会人が報われるような社会ば作り上げてね! 期待しとるけん」

「そうそう、アルソックは色々型破りだし、あの学生支援課連中に大人の対応をしたから。なんとか国会を乗っ取ることのできるっしょ」

「いや、人の期待に対してはアルソック発揮できんとですよね、私」

 未智留と茜から背中を叩かれても、むせることしかできなかった。


 四月、私は本当に首相になってしまった。同時に通信制大学へ編入したが、オンラインの編入式兼入学式には参加できなかった。任務との両立を考えると残り二年で大学を卒業することなんてできないと思っていたので、年間スケジュールを厳守する必要はなかった。私のペースでオンライン授業を受けて、タイミングを見計らって必須の対面授業を受ければよい。

「首相、いや総理、改革に取りかかるのが早いのは感心ですが、本当によいのですか」

「何か問題でも? 犬走さん」

 私は顎にかかるまで伸びた髪を耳にかけただけのヘアスタイル、就活用に購入していたプチプラのネイビージャケット、同色のパンツを着用していただけだった。ちなみに上下スーツは自宅最寄りの古着屋にて、二千円程度だった。

「あなたが新総理であることを示す絶好のチャンスです。その式典のプログラムを省略し過ぎでは?」

「いいんです、これで。こんな長ったらしいプログラムで居眠りするくらいなら、早く任務に取りかかりたいですから。時間の無駄です。どうせ国会で私の顔は晒されるのに。それに私は、に来たのではありません。首相としての任務を遂行しに来たんです。だから、あなた方の党を含めたいかなる政党のバックも不要と言ったんです」

 犬走は自分への手助けとして私を失ったと初めて実感したようだ。目尻が痙攣していた。

「ただし」

 それでも、私は続けて言った。

「政治家としてあなたを尊敬していることには変わりありません。私たちの言動や性格が異なっても、日本の未来を憂いていることが共通認識であることを願っています。犬走さん」

 今度は、彼自身を責める表情をしていた。彼は十分国会で戦っているのだから、余計なことで頭を抱えなくてもよいのに。私が彼を憂いても仕方のないことではあったが。


 間もなく、私の首相としての任命式が始まる。

 私が入場すると、大量の拍手で迎えられた。どの拍手も、砂漠のように乾いた音で不愉快だった。就任早々、式のプログラムを記者会見のみ残して他を省いたのだから、生意気だと思われても仕方のないことだった。

 この場にはマスコミまでも集い、カメラのフラッシュが眩しかった。強い照明が苦手な私は、思わず目を瞑ってしまった。

「では開新総理、意気込みをお願いします」

 ようやく、私の最初のパフォーマンスが始まる。

 背筋を伸ばし、私はマスコミのカメラの群れと向き合った。

「お忙しい中、このような場所に集まり、誠に恐縮でございます」

 本心ではあった。彼らにも、私がいなければ他にこなしていたはずの仕事があっただろうに。こればかりはどの参加者にも頭が下がる思いだった。

「皆さまの貴重なお時間をいただいているのですから、私が掲げる政策の要点とご注意点のみお伝えします。ご注意点を先に申し上げてよろしいでしょうか?」

 聴衆の頷きを待たず、私は続けた。わずかな沈黙さえ私は時間が惜しかった。


「注意点、要は私、政治家を含む超高所得者の敵になります」


 会場が瞬く間にどよめいた。

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