第42話
翌日、岩手の市役所では市長の
「かえって私がこんなラフな格好で申し訳ない。物資支援の帰りなのでね。それにしても、震災前の生活に近づいているようにも見えたが、一部の住民は生活に困窮していると見た」
税所の目元に影ができた。
「ええ、お恥ずかしいことに、私は未だに、すべての被災者と市民の力になり得ておりません。生まれ育った町や慣れ親しんだ業種から離れたくないという方にどう手を差し伸べたらよいのか……知恵が及ばない次第です」
「まぁ、仕事には向き不向きがあるからな。住民のこだわりをどう昇華するかが各市政の課題と見た」
税所と鉄川が頷いた。少なくとも彼らは市民に寄り添っているのだろう。
「それにしても昨晩の国会中継動画を拝聴しました。開総理はほんとうに、色んな方々の声に寄り添っていらっしゃいますね」
「私の理想を通したまでだ。彼女たちはこの国の多大なる支援者だ。色んな人に寄り添っているからこそ、こちらもサポートするべきだ」
だったらオンライン国会に参加しろよ、などと言える段階ではなかった。第一に各市長は日々の任務で心身が削がれている。夜だけでも、何かしら発散しないとやっていられないのも、現在同業界に身を置く私としては、なるべく否定したくない。発散方法がより健全で倹約的であればよいと思うだけだ。かくいう私は首相に就任して以来、休暇をまともに得ていない。任務以外は家事と学業、最低限の睡眠に充てている。
「私にもその知恵があれば。本日の青空会議は、私どもも参加させていただいても? 市長室をご用意しておりますが」
「物理的には青空ではないが、悪くない。市民の方々も、市長室に入る機会なんて一生に一度あるか否かだからな」
私が市長室へ案内されている間、すれ違う市民より挨拶を求められた。どの市民も市長と秘書よりも上等な生地の上着を羽織っていた。私に、政策による経済水準の上昇を求めていたことが分かった。税所は彼らを払うわけにいかず、苦笑いしていた。彼らが自分本位であることを、彼も見抜いていた。
「今日は、参加される方々には、立場的に平等でいてほしいので。色んな方がいてこそ、一つの国が成り立っているんです」
彼らは、私が超富裕層の敵になると宣言したことを忘れているのか。あるいは見栄で不相応な衣服を身に着けておきながら、自分たちが富裕層でないことを主張したいのか。地方の性質はよくも悪くも、九州と共通しているのだと感じた。私の牽制は決して、税所への助け舟ではない。私が誰のための政治を行っているのかを再認識してもらうためだった。
牽制された彼らのうち、一人も市長室には近づかなかった。私の牽制が効いたからとは思えない。彼らはあくまで、自分の経済状況を他人本位にしたいのだ。素の私であれば、彼らの上等な衣服を引きはがしてでも、慈善団体に寄付するかリサイクルショップに転売しただろう。そうしたい欲を懸命に抑えた結果、私は税所にトイレの位置を尋ねる機会を失った。
この日集った市民は四名。
「将来生活に困らない仕事に就くには、やはり教育と学歴が大事だと思います」
そういう夫妻に、私は日本が発展途上国での向上心の方向性と大差なくなっていると感じた。
「それだけではありません。環境も未来の子どもたちに必要だと思いますよ。ちなみにどんな環境が適切だと思いますか? また、ご自身の学生時代を振り返って、こういう教育があったらよかったと思う点を教えてください」
「夫は公立進学高出身なんですけど、ひたすら勉強だったそうです。大学に入ってから、いわゆる陽キャラとの格差を感じたと言ったことがあります」
「勉強以外に、国内外の知識の教養がカリキュラムに組み込まれていたらよかったと思います。おかげで学生時代から卒業後三、四年目まで経済的に楽ではなかったですね。幸い国立大学なので授業料は私立より安く、両親が学費を蓄えてくれていましたが」
史乃のあとに義人が続いた。
「私は公立商業高校出身なので、事務系の資格取得環境に恵まれていました。でも本当にそれだけです。学校ではひたすら就職、就職! って先生たちが呪文を唱えていましたし。二十年以上も就職率百パーセントを維持するのも大変そうだなって思っていましたけどね。就職先で夫と出会うまで、学生生活が人によって全然違うってのも知らなかったですし」
二人とも、部活動の経験がない。他学年との交流がなかった分、社会に出てから対人関係での苦労が多々あったという。将来生まれるであろう自分たちの子どもには、そのような苦労なく経済的に恵まれてほしいとのことだった。
「教育に百パーセント正解ってのは中々難しいことだと思います。だからこそ、学内外の交流がキーポイントになり得るでしょう。それが必ずしも、部活動や放課後のアルバイトとは限らない。その答えの一つを考えてみるのはどうですか?」
「私、てっきり総理が最初に答えをおっしゃってから私たちが可決か否決かって判断するのかと思っていました」
「正直、その方が時間短縮になるかもしれませんね。でも、それによって失うものがあります」
「得るものではなくて、ですか?」
義人が尋ねた。
「ええ、失うものです。それは、あなた方の正直なご意見です。私は質問の仕方によってある程度、回答の手助けができますが、あなた方の心の奥底を完全に読むことができません。一人一人生活環境も育った背景も異なるんです。一つのものやことに対する感じ取り方が人数分あるように、政治への想いもそれぞれです。これまでの悪政はさておき、これからの政治はみなさんが主人公です。可否はともかく、ご自分の意見を言わないなんてもったいなさ過ぎますよ。まぁこれも、日本教育システムが受動的学習ばかり取り入れて、ディスカッションの練習なんてカリキュラムに組み込まなかった結果でしょうね。そこで、こういう練習の場を全国共通のカリキュラムに導入するのは?」
「それはいい! ぜひとも取り入れてほしいです。ですが、そのディスカッションを導入するための指導者はどうします?」
「それも意見を出し合いましょう。そのための青空会議なのですから」
そこで重茂夫妻が腕を組み唸った。天日有礼が挙手し、短い沈黙を破った。
「あの、発言者も聞く側の人も顔が見えない状態でのディスカッションから始めたらどうでしょうか? そうすれば先生もヘンに緊張しなくて済むと思いますよ」
有礼は盲目の男性だった。
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