第43話
「顔が見えない状態だと……?」
重茂義人には衝撃的な発言だったようだ。偏見のつもりはないが、プライドのためにもやし料理を食べ続けられるような雰囲気を醸し出している。そんな彼が、指導者の顔が見えない状態でのディスカッションなど、発想できるはずがなかった。
「確かに、ディスカッションの練習にはうってつけの環境ですね。室内を暗くするほうが、一人一人にフィルターボードを設置するより経費削減にもなりそうです。今話題のSDGsにも、一時的な電気代節約で貢献できるかもしれないですし。なに、練習に慣れてきたら、本当の意味での対面形式に切り替えればいいでしょう。民間企業に勤める立場として、重茂さんはどのような経験のある人が指導者にふさわしいと思いますか?」
本音では、盲目だからこそ発想できた案を純粋に称賛したかった。しかしあくまで平等を謳う身としては、彼のみを持ち上げるわけにはいかなかった。
「そうですね。わが社のポジションで例えると、営業部のエースでしょうか。彼らは社内外のプレゼン発表に慣れていますし、発言者の誘導にも長けています」
「的確な例えで助かります。それにもし営業部エースの方に指導していただけたら、生徒たちにとっても社会勉強になるでしょう。企業側だって、将来のエースをスカウトするチャンスでもありますね。日本では、幼少期のうちから将来のビジョンを見据える訓練が習慣になっていませんし」
「では経費はどうしますか? 企業だって人材を派遣するとなれば、その分報酬だって学校側が支払う必要があるのでは」
史乃は経理社員らしい発言をしてくれた。二人の間に生まれるであろう未来の命は、堅実な家庭で育つことになると見た。私が生まれ育った環境とはまったくの別世界だ。
「実に重要な質問をしてくださいました! 何ごとにも巡るものがつきものなのが、資本主義社会の基本ですからね。史乃さんは、どうすれば支払いが滞りなくこのディスカッション教育を継続できると思いますか?」
私の中で答えの一つは浮かび上がっていたが、史乃もこの青空会議の主役の一人として意見を深堀りさせる必要があった。
「そこまでは考えてなかったです。夫のように勤め先で例えたいのですが、経理には守秘義務があるから挙げようがなくて」
それはそれで間違ってはいない。何しろこの青空会議も公開予定だと周知しているのだ。史乃の発言一つで企業社員全員の収入が絶たれるようなことが起きても、一人分ですら責任とれるはずもない。それは史乃に限ることではない。
「では、例えでなくても構いません。あなたの理想とする支払いシステムを教えていただければ。せっかくなんで、弘美さんもご意見を聞かせてください」
天日有礼につき添う実母にも発言の機会を設けないと。史乃が唸っている間に、弘美が恐る恐る挙手した。
「息子の障害年金やら他の手続きやらの申請をしている身としては、やはり学校側と企業側の不正がないように把握してほしいですね。もちろん過去の政治みたいに、国側も公正でいてほしいです」
弘美は国の制度への関心が高かった。盲目の息子を育て上げるために努力し続けた結果だ。
「そうです。まさにどの立場の人の目も耳も行き届くことが、カギの一つとなるでしょう。ではどうしたらいいと思いますか?」
国は健常者だけのものではないということが、有礼にも伝わったようだ。
「申請式はどうですか? 母に頼りきりの僕が言えることではないですが、学校と講師の双方の申請によって国が報酬の支給を認可するような感じで。そうすれば、どちらかが不正に上乗せして請求するようなことは起こりにくいと思いますよ。それと、片方の申請者が企業ではなく講師というのもポイントだと思います。だって企業が申請したら、講師の手取りがたくさん取られるじゃないですか」
「広範囲のご意見ありがとうございます。企業にとってはビジネスであってほしいと思っても、学校と国にとっては公平であることが理想ですからね。何しろ教育は平等な権利の一つなんで。となれば、ディスカッション講師は国認定の副業として、企業側にも認可していただく必要がありますね。認可だけでなく、企業側が講師として社員を推薦できるような感じで。営業部に限らず、他の分野で特化している社員の方にも。営業だけでは見えないことも、子どもたちに共有してもらうのも必要でしょう」
義人は怪訝な表情で私を見ていた。
「私、何かおかしなことを言いましたか?」
「いえ、その、今の議題に関係のないことなんですが……総理はなぜ、どの発案を否定なさらないのですか?」
「なぜ? そんなの、貴重なご意見だからに決まっていますよ。それに、どの青空会議やどの発案も、ふんぞり返っているお偉方よりも一億倍も有益ですから。それをなぜ否定する必要があるんですか?」
私の問いに、義人は史乃と並んで戸惑った。プライドを維持するための苦労も多かったと見受けた。私の過去の職場でも共通していたことだが、若手社員が発言すると、どんなことでもお偉方に否定される。そうして若い芽が潰され、先人に染まっていく。この国で生きていくには不可欠な生き方だ。それを、私が変えなくては。
「ま、これはあくまで私の価値観なんで。今はとにかく、ディスカッション教育導入についてもっと深く掘っていきましょう」
そこでようやく、義人のストッパーが外れた。後日、ディスカッション教育導入を各公私立小学校から高校までの教育機関にて導入するため、各自治体と国での新生委員会設置、各企業への告知を物資支援と同時並行することになった。各自治体も職員不足を訴えてきたが、複数の派遣会社にも人材募集を呼びかけたことで不満を抑え込んだ。
その日の夜から二日半の間、私は疲労による発熱でゲストハウスに籠らせてもらった。元々体が丈夫でないことを失念していたのだ。物資支援は亘理と扇に任せることになった。Xとインスタグラムには翌朝通知。市長の税所にも伝えると、彼が自ら私の代行者として物資支援に出向いてくれた。
翌日、東京に置いてきた石嶋から電話がかかってきた。
「総理、支持率は四十パーセントと横ばいです。それに、富裕層の有権者からも私の事務所に苦情が殺到しています。物資支援の間は私が対処しますから、一秒で快復してください」
スーパーカップのバニラだけでも静かに食べさせてくれ。
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