第15話
初めての国会終了後、トイレから戻った私は石嶋から小言を浴びせられた。私みたいに、腹に溜まったものをトイレで出せばよかったのに。
「あなた、支持率の前に政界の基礎知識ですよ、き・そ・ち・し・き! あんなだだっぴろい会場に多くの議員を配置する理由、ご存じないとは言わせませんよ」
「その前に合理性だろ。ってか、多くの日本人の多くが、大衆の前で発言できない傾向にあるってこと、知らないとは言わせんぞ、石嶋」
なぜ首相が率先して古い型にはまらないといけないのか。声に出したかったが、今石嶋が脳卒中で倒れたら、私が困る。あれで髪の色素も毛根も無事なのは、理屈を並べることに快楽を求めているからだろう。おかげで、私は部下からのセクハラを心配する必要がない。
「で? こんないい加減な私の支持率を上げることができないって?」
「誰に仰っているんです、開総理」
石嶋を補佐に迎えて早三日、私はすっかり彼の扱いに慣れていた。わずか一日で一千件もの書類分別と初国会の準備を私と二人でこなしていれば、疲労で彼の抵抗力が(若干)落ちたのも扱いやすくなった要因だ。
「この国は、あまりにも合理性に欠けている。私が歴史の知識に浅いってのもあるが、戦国時代なんてまさにそれだろ。生きるか死ぬかの戦いであんな華美な兜が役立つもんか。死人となる敵に己をアピールしたところで、魂だけになった敗者が味方に兜の存在を伝達できるとでも? 霊能力者でもない限り無理だろ。それと同じだ、この現代日本も。政治家も国民も共通して、世間体や建前を気にし過ぎ。外見だけを取り繕ったところで中身が伴っていなきゃ、何の機能性も価値もない。本質を上げるには、まず政治家の風習をぶっ壊さなきゃな」
「仰ることはごもっともですが、議員が妥協しやすいハードルにしなければ、協力者は誰も現れませんよ、この私以外には」
「本当にそう思うか? アンタもずいぶん政界に毒されているな。それなりに世知辛さを感じているってか? あ、今から通勤着に着替えるから部屋から出てけ」
石嶋がため息をつきながら退室した。事務所の頭だった男性が二十歳も年下の素人に振り回されていると思うと、可哀そうだがおかしくもあった。私には一度に何十人もの政治家がついて来るような素質がないと自覚している。その分、優秀な人材を一人ずつ引き込み、適切な役割で実力を発揮させる必要がある。几帳面で生真面目な彼にはまず私基準の合理性を理解してもらい、書類における注意点把握ととあらゆる数字の分析を学ぶ。私と彼が仕事上で上手くいく関係性の鍵だ。
ジーンズとカジュアルジャケットに着替えたことを知らせようと、私は執務室の扉に触れた。カメラのシャッター音は聞こえなかった。私がトイレに行っている間に石嶋が巻いてくれたのだろう。今度は彼の制止の声と、複数の濁った怒号が聞こえていた。
「どうした」
面白半分で扉を開いた。案の定、初の国会においても居眠りしていた議員や腹の出た者がまたしても唾を飛ばしていた。大幅減収というフレーズで目を覚ましたのだから、おかしくて仕方がなかった。
「総理、何ですかあの国会は! 日本の恥を世間に晒した責任、どう取ってくれるんですか」
「だから減収って言ったでしょう。その前に居眠りしている時点で日本の恥ですよ。今この国は、先代までの滑稽な政策のおかげで日本に住む外国人だって多いんですよ? ましてや今はネット社会、日本に住んでいなくても世界中に国会が晒されています。見たくなくても、日本に住む日本人が世界の友人にリンクを送ることだってできます。その時点で、もう日本は恥さらしの国なんです。その自覚があっての発言と認識してもいいんですよね?」
陰にマスコミが控えていなければ、私はとっくに胸倉を掴まれていただろう。また、彼らに従う官僚たちの制止が弱ければ、私の顔に痣ができていただろう。そうなれば母に必要以上の心配をかけてしまう。公務内容を明かせない以上、それは可能な限り避けたかった。
「私は日本語が通じる相手とのみ話します。英語でも構いませんが、カネで通訳さんに頼りきっているような方々には難しいでしょうね」
石嶋のこめかみに血管が一本、くっきりと浮かんだ。本人に言ったのではないが、少々言葉が過ぎたようだ。しかし、ここまではっきり自分を通さないと、若い女性だからと周囲にナメられる。
マスコミを気にしだした年配連中は舌打ちしながら離れた。これからどのような陰湿アピールが来るのか楽しみだった。
「さて、石嶋もお疲れ。今日はもう帰っていいぞ」
「ご自宅までお送りします。というか、今日はこの後、自転車を引き取りに行かれるんですよね」
「ああ、通勤用のな。あいにく私は子どものころから自転車に乗れなくてね。どうにか貯金で、大人用自転車に補助輪を取り付けてもらえたよ」
「では」
私はこれ以上、彼に言わせなかった。
「自転車がどうこうってのは、完全に私の個人的な事情だ。政治家であるアンタに付き合わせるわけにはいかん。一人で行ってくる」
言いたいことは分かっていた。だからこそ、私は先手を打つ。
「そういうわけだ。用件は明日にでも聞こう、亘理議員」
静かに立っていた亘理が歩み寄ってきた。
「あの群衆がいたというのに、お気づきでしたか」
「あのド派手なネクタイはなかなか忘れられんぞ」
「我々の意思表示なんですけどね、このカラーは」
石嶋は、仕事を増やすなと言わんばかりだった。
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