第16話
「あんた、バカも休み休みにしなさい!」
帰宅早々、母が両手で頭を抱えていた。
「せっかく中継で国会を見たのに。あんたの活躍を褒めようと思ったのに。な・ん・で、この狭い家の中に自転車を入れるの!」
「大丈夫だって! タイヤについていた泥は落としてきたし、レジャーシートも百円ショップで買ってきたから」
母が壁にかけていたクイックルワイパーの本体を掴んだ。掃除を至高の娯楽とする母は、大雑把な私の代わりに日ごろからフローリングを清潔に保っていた。おかげで、築三十年のアパートとは思えないほど床板一枚一枚に艶が出てきた。血液型が同じO型でも、ここまで極端なほどの差が出るものなのか。
「それで殴らないでよ。痛いの嫌いなんだから」
「殴るわけないじゃん!
「だからぁ、これにはちゃんとワケがあるんだって。ほら、私は明日から自転車通勤じゃん? 道行く誰もが私の美貌に注目するわけよ。いくらパーカーとジーンズでもこの生まれつきの輝きは隠せ……」
「そうじゃん! あんた、またその格好で出歩いて! 見た目で判断するヤツらにバカにされたらどうするのよ」
母は、私が傷つくことを憂いている。私がかつての職場で心を痛めたことを知っているからだ。私は今、まさにその最前線にいる。母の心配も理解していた。私がどれだけ年齢と社会人の経験を重ねても、深雪にとってはたった一人の娘なのだ。それも、手のかかって仕方のないおてんば娘だ。
そんな私が、政治家一人の援助で一国の首相になった。それがどれほど重いプレッシャーなのかも、日を追うごとに深く理解してきた。国民の多くは自らの経済回復を望んでいる。性的指向や性自認だけでなく、学び方や働き方にも多様性の容認を求めている。もちろん、家族の在り方にも。
もちろん、すべてにおいて枠から外れた私としてはすべての自由を実現させたい。しかし誰もが、空腹では満足に考えることも、学ぶことも働くこともままならない。精神も侵されるのも分かりきっている。動物や自然を愛する心も失せることも。
中には食への関心が薄い者もいるが、水も飲まず、一日米粒を一粒食せば良いなどということは生物学的にあり得ない。それならば人間ではなく、大食いのミジンコだ。
まずは腹を満たさねば。日々の疲れを取らなければ。誰もが冷静に、論理的に考えることができない。そのために、今日の国会があった。もちろん、これがゴールではない。未だにスタート地点にすら立っていない。
スタートの手駒のために、私は忙しく服と下着を脱ぎ、浴室に駆け込んだ。四月、桜は咲いているが朝晩は未だに冷える。
「風呂あがったら、今日こそ髪をドライヤーで乾かしてから寝なさいよ! 早く服を着なさいよ!」
浴室の外で母が言っていた。私は、暖房代を節約している国民に罪悪感を抱きながら、熱いシャワーを浴びていた。
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