番外編② コーヒーで育った者①

 私が初めてコーヒーを飲んだのは、中学二年生の冬。他校との、軟式テニス部の練習試合の帰りだった。同日に男子バレーボール部の練習試合があったため、その顧問であり私の担任でもある先生が自販機で購入してくれた。

 当時の私はコーヒーに砂糖もミルクも必要だったが、いつの間にかブラック以外のコーヒーを受けつけなくなった。

 通信制大学の授業を受けているこの瞬間も、ゲストハウス備品のマグカップから、ブラックコーヒーの湯気が宙へ昇っていた。

「眠いな」

 大学で履修している科目はzoomを用いたものもあるが、この日受講していたのはあらかじめ収録されたものだった。本音が講師に聞こえていないのが幸いだった。

 受講日は学習に三時間かけている。半分の九十分は受講、あと半分でレポートと課題を仕上げてオンラインで提出する。起床時とローカル線に乗る間に関連書籍を読む。相棒はブラックコーヒーと睨みを利かせた亘理と扇だ。

 私自身、コーヒーに含まれるカフェインよりも苦みに集中力アップの効果があると思う。カフェインであれば緑茶でも構わないが、結局緑茶の香りでリラックスしてしまい、学習がどうでもよくなる。しかしコーヒーの苦みで気持ちが引き締まり、私には大学卒業という目標があることを忘れずにいられる。

 それ以上に気持ちを引き締めてくれるのは、私を案じてくれる亘理と扇、遠くからは石嶋と母だ。長崎に留まっている友人たちも、私が首相になった今でもLINEメッセージを送ってくれる。

 レポートと課題の提出が終わりスマホを開くと、伊吹と弥生からもメッセージが届いていた。

『オンライン国会中継見たばい! めっちゃガンバっとるやん、アルソック』

『長崎でも色んなことが変わり始めとるよ。さすがアルソック』

 私も単純な性格なもので、彼らにとって些細な言葉から明日のエネルギーを分けてもらっている。私自身、社会人生活の中で多くのものが折れてきた。だからこそ、彼らが少しでも報われる社会になれば、私の苦労は報われると信じている。

 とくに伊吹は英語教師の資格を取得するため、日々励んでいる。大学卒業後、彼自身も仕事内容や人間関係で揉まれていくはずだが、友としてできることに最善を尽くしたい。

 そうしなければ、私を鼓舞してくれた人や、私を波に呑まれさせてた元上司にも示しがつかない。私が国会において、あえて傲慢にふるまっているのも、一般人である彼らに答えを間接的に伝えるためだ。


 私は社会人枠にて大学に入る前、複数のホテルにて転職を繰り返していた。

 接客自体は好きな方で、国内外のお客様よりお喜びのお手紙やお土産をいただくことが八割ほどあった。社内の人間関係においては、会社の利益のために私を後押ししてくれる人もいたが、妬みや生来の相性により私を邪見にする人もいた。その一人が川尻かわじり宏昭ひろあき、私が最初に就職したホテルの総支配人だ。彼自身の改革として、自分に歯向かう者もしくはお客様よりご好評の従業員を辞めさせることを挙げていた。私に言わせれば、宇宙語の解読よりもはるかに困難な理解だった。入社一年目の私もその標的になることも、同等に理解に苦しむ要素だった。

 私はフロントに所属していたが、他の部署にヘルプ要請があり応じた。残業代も一切出さないで、他の残業しない従業員の手当になった。それでも私には再就職先がないと思い込み、すべての不利な条件を飲まざるを得なかった。

 それだけではなく、総支配人の川尻は私に食事サービス部への異動もしくは退職を執拗に強要していた。私の容姿が彼の好みではないとはっきり言えばよいものの、フロント向きではないと、何かといいがかりをつけてきた。

 そんな私は当時、彼の暗示通り自分の容姿に自信を失っていた。また経験のある勤務地は田舎のみだったので、県庁所在地に引っ越しても仕事をしていけないと思い込んでいた。ハローワーク経由転職を理由に引っ越し費用が出ることも、田舎管轄のハローワークで教えてもらえなかったのも、私に知る力、調べる力が欠けているからと容易に諦めていた。

 そうしているうちに、何もかもに疲れてしまった。体調不良を理由に解雇され、私は一年以上傷病手当を受給することになった。

 無職を覚悟して、何事にも反論できていればと後悔する日々が続き、後の転職先でも同じ過ちを繰り返してしまった。

 三か所目にして最後の転職先であるホテルは、長崎市だった。そこで初めて、仕事で自分の意見を明言することの大切さを教えてくれる人が現れた。中根なかね君子きみこ、長崎市内のホテルを定年退職した後、パートとして私と同じホテルに入社したベテランサービススタッフだ。

 キリマンジャロのコーヒーを飲むたび、彼女の言動を思い出す。


 彼女こそ、キリマンジャロのようなキレで私を変えてくれた。

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