番外編② コーヒーで育った者②

『開さん、一時間だけでも残業できませんか?』

 私が最後に入社したホテルは例に漏れず、万年従業員不足だった。それなのに受け入れ客の数を減らさず、単発派遣を利用してまでその場しのぎばかりしていた。それで全体の仕事が回るわけでもなく、私は出勤のたびに残業を頼まれた。しかし私には断らざるを得ない事情があった。

 当時、時給換算九百円でも一時間も多ければその分収入が増えることになっていた。しかし私は中根さんの運転に便乗させてもらっての通勤だった。私が残業すれば、中根さんの帰宅がその分遅くなる。中根さんだけ定時の二十一時で退勤してもらっても、山の上のホテルを通るバスは十九時発まで。ホテルから従業員用の送迎バスが出るわけでもない。帰宅手段のために、私と近い地域から通勤する中根さんに合わせるしかなかった。そんな中根さんは絶対定時退社主義者だった。

 夫と共働きであることが強気でいられる要因だったが、それだけではなかった。彼女は公私をしっかり分け、私生活を大切にする人だった。

『自分の言葉でしっかり言いなさい!』

 彼女の口癖は、私が今まで非常識な世界で生きてきたことを自覚させてくれた。自分の意見ははっきり言わなければならないし、残業したくなければその旨を伝える必要がある。トイレには勤務時間であろうと行きたいときに行くべき。シフト表は手渡されたものを受け取り、故意に床に落とされたものを拾う必要がない。すべてが田舎社会と真逆なので、かえって戸惑ってしまった。喜ばしい環境だったが、私は慣れることにエネルギーを使い体に疲労が現れてしまった。

 頚椎椎間板ヘルニア発症により、私は三社目のホテルを退職した。しばらくはアルバイトをしながら治療に励み、ときには首の激痛に耐えた。その間、中根さんから連絡がきたのは一度、母と同年の先輩が過労死したという知らせのとき。それ以来は一度も連絡せず、私生活での買い物でも遭遇することもなかった。私は首の痛みに耐えるので精一杯で、中根さんのことを思い出す余裕がなかった。

 だが三か月経過したころ、無料配布の市報を開いたところで突然、中根さんの口癖が脳裏に蘇った。

『自分の言葉でしっかり言いなさい!』

 私が二年間通った全日制大学の広告だった。現役高校生対象の学業特待生制度だけでなく、社会人枠入学生の授業料減額制度も整っているとのことだった。

 自分に合う職場環境を求めていた私は、大学で学ぶことに魅力を感じた。働く環境を変えるには私自身が変わるしかない。理想の職場像に相当する自分になる必要がある。そのためにしっかり学ばなくては。学びは高校卒業で辞めることではない。

『私、自分のお金で大学に行きたい』

 通院からの帰宅早々、母に明言したことを今でも覚えている。

 周りに流される人生を、この手で止めたかった。政治的背景も、経済状況も関係なく、本当の意味で自分の人生を歩むには、何もかも変える必要がある。

 そのために私は首の激痛に耐えながらTOEICも受験した。無事に大学に合格した後、高校生まで絶やさなかった予習習慣を再開した。時間配分に無理をしても市立図書館やキャンパス内図書室の書籍を読む目は狂気を孕んでいたと思う。ホテルフロント時代より、滞在客に観光情報を提供し続けていた私にとって、情報こそが正義であり武器でもあった。それに加えて語学、金融、世界の常識など、可能な限り知識を増やすことに務めた。

 大学に入学後、複数の年下の友人にも恵まれた。二十歳から目立っていた白髪を染め、カジュアルファッションを意識し、決して年長者マウントを取らない。おかげで最近の若者事情を教えてもらえた。

 正直に言って、勉学のため一人になる時間が欲しかった。私は子どものころから、周囲から変わり者扱いをされていた。変わり者らしく浮く存在でいた方が楽だったが、年下の同級生たちがそれを許さなかった。私の実年齢こそ知らないが、年上であることを承知で敬語を使わず慕ってくれる。中学高校時代の交友関係を思い出し、私は無意識に彼女たちの世話を焼くようになった。そのうち、一人でいることと同等に、誰かと一緒にいることが心地よくなった。

 一方的ではなく、双方に意見を明言できる関係が私には合っていた。心労を抱えたまま田舎に留まっていたら決して得られなかった関係だ。環境を自ら変えたからこそ得られたものを、私は時間の経過によって失いたくなかった。

 大学生活は四年間と決まっている。学年が違う友人でも、一人が先に卒業すれば、時間の共有に限界が生じる。そういう社会に戻るのかと思うと、私は鳥肌が立った。より上質な学びのために他学編入を考え始めた私にとっては、彼らの卒業より先に時間の制限を選ぶことになった。

 ようやく人生の充実を得た私にとっては、どのような理由やきっかけがあっても、友を失いたくなかった。経済的自由も失いたくなかった。授業料半額減額とはいえ、年間百二十万円もかかり、アルバイト代はたかが知れていた。貯金ペースも純社会人時代より落ちた。

 そんな私が、自分や友のためにできることなどないと思い込んでいたとき、政界トップ陣の不審な要素がニュースやインスタグラムに晒された。

 結局、一般人である私は友とともに流される人生に甘んじなければならないのか。

 そう思っていた矢先、伊吹と弥生が突如私の写真を撮り始めた。そのとき、私は伊吹のストックであるハーゲンダッツのアイスを頬張っていた。こういうときこそ年長者としてたしなめるべきだったが、稲妻が私の中を走り言葉を詰まらせた。

 これはチャンスだった。私が本当の意味で変わるための。社会に流される側ではなく、社会の流れを変える側に立つことが、友と私の人生を好転させる限られた手段だった。

 伊吹と弥生が自身のアカウントでインスタグラムに投稿、私は帰宅早々両手足が震えた。これを、私を知る元同僚が見ていたらどうしよう。お前には無理だとコメントが届いたらどうしよう。

 両手足の震えは日を追うごとに減少していたが、犬走に会うまでは完全に治まらなかった。思い出そうとして思わなかった正社員時代の屈辱や選挙事務の有期アルバイトが私の喉への潤滑油となった。私が思っていることをそのまま発言するとき、私が私でなくなった気がする恐怖と快感で全身が震えた。あの瞬間は今でも覚えている。


 ゲストハウス備品のコーヒーはキリマンジャロだった。他にもブレンドとブルーマウンテンがあったが、私はなぜかキリマンジャロに惹かれた。普段ならばブレンドを飲んでいるのに、だ。

 東北滞在期間中、大学のオンライン授業の課題とレポートを提出した後石嶋の報告メールを読むと決めていた習慣が私の選択肢を操作した。

 この日の報告内容である消費税の三年間撤廃準備と同性婚用婚姻届の準備完了もまた、私の気を引き締めてくれた。

 私の発言一つで国が変わるのは未だに恐怖でもある。それだけの覚悟が伴っていたわけでもないのに、国の命運が私に懸けられていた。日本人の習性が大嫌いな私が、だ。その私が生きる環境を変えたいと思っているのだから、滑稽で仕方がない。

「どこまで愚かなんだ、私は」

 呟いたところで、ドアのノックが聞こえてきた。おそらく亘理が消灯を促しに来たのだろう。私はキリマンジャロを一気に飲み干し、ドアを開けた。

「大丈夫、石嶋からの報告メールはちゃんと見たから。もう寝るよ」

「コーヒーの香りがしていますが?」


 この日の晩、亘理が購入してきたティーバッグのハーブティーを飲み干すまで、私は部屋で一人になれなかった。

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