第40話

 岩手へは高速バスを利用した。亘理が窓際席を譲ってくれたおかげで、私が黒のビニール袋の中に黄金の滝を出す瞬間を他の乗客に見せることがなかった。車窓から外部には丸見えだったが、自家用車やトラックの運転手がよそ見しない限り、私と黄金の滝を認識することはなかっただろう。

 終点盛岡で下車した際、私はウェットティッシュで口元を拭うのみで、公衆トイレに行くのが遅れた。乗客からの水の差し入れは亘理が断ってくれたものの、現首相と同じバスに乗った記念として写真撮影までは免れなかった。

「皆さん、応援ありがとうございます。国会参加用Skypeリンクは私のインスタグラム、フェイスブック、Xアカウントに記載しておりますのでぜひご参加ください。顔出しNGでも、参加の代わりとしてご意見をダイレクトメールにお送りいただくのも、国民の方々のお力になりますのでご協力を」

 私が民間企業の一社員ならば、この程度の営業スマイルは呼吸するほど容易だ。しかし政治家としては、未来が懸かった政治をイベント扱いされるのが嫌だった。海外事情は知らないが、政治を他力本願の対象にしないでほしい。政治に不満を抱くくせに選挙投票には行かない、自分の意見を言わない。これでは小中学校でのクラス委員会と同じだ。少なくとも政治に関しては、日本人は何も成長しないまま成人している人が多い。稚拙な言葉でも構わないので何かしら発言をさせたい。そのために、この公式アカウントを開設したのだ。宣伝しないでどうする。

 案の定、写真撮影ではしゃいでいた乗客は国会参加について、一瞬で歓喜が止んだ。責任を負いたくないくせに文句ばかり。イベントによる一時の快楽を優先する。でもカネはかけたくない。勝手にもほどがある。こういう面倒な人間は、ホテル勤務時代にも飽きるほど見てきた。

「私は、国の政治は国民の方々が主役だと思っています。私なんて、皆さんの代行としか思っていません。だけど私は、皆さんとまったく同じ思考や性格のクローンではないんです。だから、皆さんのお心が必要です。長旅でお疲れのところ恐縮ですが、どうか私の言葉をお心に留めてください。私の補佐が丁重に断った水も、次に出会う困った方々にお譲りいただければ幸いです」

 言葉一つ変えるだけで、硬直した乗客は突如頷き始めた。これがホテル売店の営業ならば、追加購入の商品を勧めるのだが。自らの利益を放棄する営業建てまえ維持がこれほど疲れるものだとは思わなかった。田舎の富裕層の心労が少し理解できた気がした。

 私は月収三十万円だが。


 岩手の被災地へ到着し、前二県同様、物資支援仕入れ先である商店街へ出向いた。着替えはゲストハウスに預けたので、肩こりが比較的楽だった。

 私を出迎えてくれた住民の中でも印象的だった三人のうち二人は日独夫婦、美島みしま光司こうじとローザ。雑貨と生花を販売している。

「私が国政を意識するようになったのは、妻のローザと出会ってからです。彼女が日本で暮らす選択肢も難なく持てるように、地方選挙にも自ら投票に行くようになりました。店休日には市の議事会も傍聴しに行くんです」

「私には、夫と結婚したことで日本での永住権があります。だけど私はあくまでドイツ人、日本国外の政治手腕を情報として知っていても、日本では投票権がありません。だから投票は夫に託しています」

 ローザには全日制大学で学んだドイツ語を活かそうと思ったが、彼女の日本語は流暢だった。彼女の誠意に甘んじて、私も日本語で応えた。

「そうですね。ぜひとも海外のご意見を取り入れたいですが、まずは先住民である日本国籍の方が住みやすい国にしないと。海外からの旅行客の方々に魅力的に映ることはないでしょうし、何より日本に住む方々が自国を誇りに思うことがないでしょうね。外国籍の方々の投票権は、日本国籍の方を優先するために考慮できかねます。今は日本再生が優先ですから」

 幸い、彼女は納得してくれた。また、自宅の庭で育てた野菜を無償で支援品として提供してくれた。夫妻の店では野菜の種も扱っている。売れ残りの種を時期が過ぎる前に植えるという。倹約家で有名なドイツ人らしい発想は個人的に好きだ。


 夫婦の陽を感じた後、私は強い陰に触れた。

 筥松はこまつ光世みつよ、水割り用の水を支援品として提供してくれたスナックのママだ。

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