第48話

「ただぁいまぁ」

 東京の自宅に戻ると、母が自転車用レジャーシートをフローリングに敷いてくれていた。

「あれ、思ったよりごみが出ていないね。ケアマネージャーさんが捨ててくれたの?」

 キッチンが出発前とほとんど変わらないので、母に尋ねてみた。本人もいつもより上機嫌だ。

「違うよ。ケアマネージャーさんは先週訪ねてきただけ。今週一で通っているデイサービスが合っているってことで、しばらく通うことになったのよ。その書類があるから、あとで署名しておいてね」

「何かあった?」

 潔癖な母が掃除に伴うごみを出さないはずがない。長崎に住んでいたころ、使用済みおむつを含めて、母の部屋だけで一日に一袋分溜まっていたのだ。それも四十五リットルの容量で。

「果物はそこの八百屋さんが配達してくれてね。この近辺の人たちはみんな親切だね。世間体ばかり気にする地方の人たちとは大違い。屁理屈へりくつな人も少ないし」

「で、何かあった?」

 カネが永遠に入ってくると思い込んでいるヤツが、カネを使わず何もしないわけがない。セキュリティカメラが捉えた様子はスマホで見ていたが、ことの詳細は本人に訊くに限る。

「あんたが気にすることじゃない。気にしたら、政治家なんてできないでしょうが。ただ、大家さんにごみ捨てに行ってもらったのよ」

 母がうまく丸め込んだのだ。今のところ、母以上に恐ろしい人間は存在しない。花丘の攻撃も、母特有の気迫で払ったに違いない。その割にはオンライン国会に変わらず参加していない。代わりに、扇息子が国民の意思に反した意見ばかり並べているが。彼が花丘の代弁者と言っても過言ではない。

「そ、じゃあネットでまとめ買いしていたフローリングシート足りた? 今日はもう体が動きそうにないから、起きてからネット注文しておくけど」

「部屋を汚す人がいなかったから、シートの減りが遅かったわ。でも後であと二箱買っといて。掃除のし甲斐がある人が戻ってきたから」

 私のことだ。雑貨は少ないくせに、書籍棚で狭い部屋を圧迫してるのだ。そして寝床はベッド派、下の隙間に衣装ケースを差し込み衣服を収納したところで、六畳の和室は狭いままだ。

 その和室には、私の体臭が染み込んだシーツと枕がある。湯船で体を温めた後、私は髪を乾かさずベッドに沈んだ。自分の臭いがこれほどまでに落ち着くものだと初めて知り、何も考えられなくなった。

 尿意を感じ目を覚ましたのは、十時間後の午前三時。寝相で毛布が竜巻状になっている割には体が硬く、起き上がるのに十分もかかった。私がトイレまで駆ける足音で母も目を覚ましたようで、私のいびきが雌ライオンのようだったと言った。申し訳ないが、自分のいびきなんて覚えていない。

 乾燥を通り越し硬直した室内洗濯物を取り込み、パソコンを開いた。母のご所望品を購入するためだ。しかしご指定のフローリングシートは十パック一箱しか購入できなかった。

 消費税の一時撤廃が、オンラインショッピングの品薄にまで影響するとは思えなかった。それほど、十パーセントの消費税に苦しんでいる人が多かったのだ。自称倹約家としては消費税が何パーセントであっても不要なものを買いたくないが。

 こうなれば宅配業の人手不足もより深刻化する。私の政策には課題だらけだ。企業以上に労働者が利益を得られる仕組みを早急に実現しなければ。彼らが働いてくれるからこそ社会が成り立っているのだ。宅配業に携わる者だけでなく、裏方やその他業種に就いている者も恩恵を得られるためにはどうしたらよいか。

 今晩のオンライン国会参加者募集に伴う議題の一部として挙げる課題を投稿するのも、自宅に出る前にできる数少ない仕事だ。


 自分の気づきを自分の声に挙げず、誰が挙げるというのだ。

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