第53話
「石嶋、いいかげん退勤しろ」
「あなたがまだ働いていらっしゃるのに、なぜ私が帰宅しなければならないのです? 私はあなたの補佐ですよ」
「限度ってものがあるだろうが」
「それはあなたに最も申し上げたい言葉の一つですが?」
石嶋の有給明け初日、午後十時。私はパーカーにスウェットパンツ姿、椅子の上で胡坐をかいていた。あえて強調するが、自宅に椅子など上等な家具はない。私と石嶋は執務室に籠っていた。
「早めに期末レポートを提出していてよかったわ。これで大学の単位を落としたらシャレにならねぇからな」
「あなたはなぜ、ことあるごとに私のセリフを奪われるのですか」
執務室にて行っていることはただ一つ、首相としての執務だ。
外交調整と花丘のスキャンダル発覚が同時に起きたので、同時に対応する必要があった。また各国との外交調整についての会談はオンラインにて、時差に合わせるので自宅で行うわけにはいかなかった。これも日ごろのオンライン国会のように国民の方に参加していただきたかったが、私が通訳する時間も通訳者の派遣費用も省きたかった。また、各国大臣へすべての日本人参加者が毅然とした態度を取ることのできる保証がなかったため、あえて私が国民の代表として交渉することにした。これについては私の独断であることを、会談直前の記者会見で国民の方々に対して謝罪した。謝罪は外交に関してのみではない。
花丘の過ちを見抜けなかったことについても、私は頭を下げた。ただし、世間に残された花丘の家族の金銭的援助は一切しないこと。彼がこれまで築いた財産より、薬物依存脱却に向けた治療費を賄うよう指示していることを告げた。当然のことだが、今後花丘のオンライン国会と政界への参加を一切禁じている。また、全国会議員の身辺調査を施行するための費用を、花丘から徴収した財産で賄っていることを国民に告げた。
翌日、自民党は残された星野でさえ、全自民党がオンライン国会への参加を自粛した。扇哲也もオンライン国会から撤退し、無給にて私の下働きになることを申し出た。
『あほか。あんたがボランティアできるなら、他の国民の方に給料を払うわ。今後もそんなことをぬかすなら、私はあんたを働き手として見なさない。あんたが見て感じてきたものすべてを、私への情報として買う。私に賄収させたくなかったら、有償で働きな』
とはいえ、哲也は一か月間の自主謹慎の身だ。亘理と道子の有給が明日に明けるとはいえ、石嶋と二人でこなせる仕事量ではない。それでも、私は彼の自主性を尊重した。
「石嶋、政治って難しいな」
「何を急に」
「政治って客商売に似ているのかもな。だって商売の相手は人間だぞ。人はどこまでも、強くも弱くもなる。来店する客だけでなく、自国に住む国民もともに働くスタッフも選べない。でも、うまく回転させなきゃならん」
私は血流が緩和していくのを感じた。過去のストレスで、長崎の大学に入る前から血圧が百七十台の横ばいだった。最近は百八十台に留まっているが、いつ、人生二度目の百九十になるか分からない。それでも闘い続けることに不安があった。だが、石嶋が淡々と事務処理をしてくれているので、私は不安をため息に溶かすことができた。
「そんなわけだ。石嶋がしっかりしてくれて助かる。的確な数字を愛するあんたなら、正確性のために率先して休息を取ってくれるだろ?」
「まどろっこしい言い方ですね。私なら廊下で寝ても構いませんのに。さすがに妻以外の女性と同じ部屋で休むわけにはいきませんから」
「じゃ、ビジホでも取れ」
「女性を公の場に一人残すわけにはいきません」
石嶋には、私の支持率を上げるようアドバイスするようにとだけ言ったはずだが。
彼はいつのまにか、政界の先輩としても人間としても頼もしい存在となっていた。
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