第7話

「この……バカ娘が!」

 帰宅後、私の実母・開深雪みゆきが喉の奥から力を振り絞った。

「そりゃ私は賢くなかけど、何もそがんキレることなかやろ」

 私はそんな母の興奮をよそに、スマホで家計簿ファイルに出費額を入力していた。我が家の習慣で、帰宅直後、外で着た服を洗濯機に突っ込む。そのため、このときの私は上下の下着のみ着用していた。靴下も脱いでいた。

「なして、あんたがそんな責任の重いことばせんばならんと! 今は誰が首相になっても日本がぉならんって、さすがのあんたも分かっとるやろうに。それにあんたには大学卒業って目標のあるたい!」

「うん、大学ばちゃんと卒業する。ただし、今の大学じゃなかけど」

 私はこの日使った水筒と昼食の弁当箱を洗うため、台所のシンクに移った。

「自分のわがままで仕事を辞めてまで大学に行かせてもらっとるけど、もっとレベルアップと、経済的両立ば図りたか。もちろん、首相になったからって年収ン千万円ももらう気はなかけん、引退してからがっぽりヨソで稼ぐわ」

「それで大学と両立できるって? あんた、本当にバカばい。そんな器用にできるわけなかやん」

「だから、器用にしなきゃならんとって。ってか、そうしたいと! そのために私、通信制大学に編入する。前から考えとったけど、通信制大学なら自分のスケジュール管理ばして、働くこともできるけんね」

 振り向くと、母が鯉のように口を開閉していた。

「大丈夫、しばらくは長崎に住所ば留められるごとしてもらうけん。そのうち首都圏の地代が安い地域に引っ越そうで。昔から、関東に戻りたかって言いよったろ?」

「もう知らん、この親不孝者!」

 母は自室に戻り、ベッドに潜り込んでしまった。車いすを使用している割には、器用に身の回りのことができる。そうなるまでの努力の過程を知っている娘としては、敬意しかない。私が社会人生活で積み上げた貯金で大学へ行くことも、それ以前に私が対人環境の整っていない職場で働かざるを得なかったのも、母自身が私に苦労をかけたからだと思い込んでいる。私が人間関係に対して不器用なだけだったというのに。母は車いす利用者として身の回りのことで物理的手間をかけたくないということで積極的にリハビリを行い、今では毎日、クイックルワイパーでリビングのフロアを磨いてくれている。私こそ、父亡き後一人で育ててくれた母に苦労をかけている。社会の波に乗ることすらできない娘だ。そんな私がテレビ中継されているような国会で詰られることに耐えられないと不安を抱く心理も理解していた。母としては、平凡でも穏やかな生活を送ってほしいのだ。しかし今の日本では経済的に穏やかな生活は一握りの人間しか叶わない。私はその一握りから遠い存在として生きてきた。大学のレベルに退屈を感じ、自力で課外学習するも物理的限界を感じているようでは、一生はみ出し者だ。その私が生きやすくなるには、私自身が仕組みを造り変えなければ。


 社会人生活後に初めて大学に入り、編入希望先は通信制大学。母子家庭育ちに加えて、一般組織に対する不適合者。


 私は日本において、はみ出し者の中のはみ出し者だ。それがよりはみ出し者度が増したからと言って、何の支障もない。

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