最終話

 記者会見は嫌いだ。中古で生地が柔らかいとはいえ、スーツを着なければならない。パンツを穿いていても両ひざを合わせなければならない。何より、ここからは国民の声が聞こえない。

「私のふるさとである長崎にて、このようなことがあったことは私の失態です。国全体だけでなく、長崎を含む各地方自治体への目が足りず申し訳ございません」

 三十度の謝罪では足りない、と記者からの声が聞こえた。私がこれまで横柄な態度を取ってきたため、取材陣はこれ見よがしに私を屈させようとしているのが分かった。

「私は自分の力不足を自覚しております。ゆえにこの場をお借りして、各自治体を治める立場にいらっしゃる方に力添えを願います。今以上に国民の声に耳を傾け、すべての生活要素への精神安定剤となり得る経済的自由のために、国民の方々の手足となってください。私よりも身近な人々のために、立場に関係なく勧善懲悪でいてください。私よりも身近な人に関して、私よりも早く気づいてください。私は今、この国全体を見通したことしかできません。遠くを見て近くを見失い、近くを見れば遠くを見失います。私と、他の日々奮闘している政界の人間だけでは、この国全体は決して良くなりません。国政や自治体行政に直接関わっていらっしゃらない方々、声を挙げる勇気を持ってください。今までの政治家任せではこれ以上何も変わりません。むしろ悪化するのみです。何より、政治とは本来、皆さんのために存在するのです。私たちはそのための駒に過ぎません。その駒を発火させる起爆剤になってください」

 もはや野次である取材陣の問いに一切耳を傾けなかった。そんなことをすれば時間の無駄になる。それに、取材陣の問いはどれもスキャンダルに繋げるためのものだ。売上がなければ企業が存続できない。従業員の生活もかかっている。それは分かっているが、純粋に読者にとって有益な情報で売上を上げてほしいと勝手に願っている。また、この会見そのものが不毛な戦いであると取材陣が気づき、企業でなく自らの利益のために動いてほしい。


 長崎地区の古参政治家・矢野間やのまおさむの裏金問題で私の上げ足を取っている場合ではない。

 彼とは面識がないが、素人がいきなり長崎から東京で政界デビューを果たしたのが面白くないようだ。彼の後援会会長夫妻である延山のべやま雅和まさかず絢子あやこ夫妻より、矢野間の東京進出の手助け要請が何度もあった。しかし私は彼と面識がない、功績も知らないという理由で断っていた。今もなお、私の判断は正しかったと断言できる。

 私は長崎が嫌いではない。だが、平和資料や観覧だけの観光資材のみに収益を頼るまつりごとには賛成できない。そもそも、市内外の住民の生活基盤が危うい。成長性のない消費のみが娯楽、余暇の過ごし方を考えることでさえ主体性が欠けている。学びへの意欲が低く、ある程度意欲があっても方向性がズレている。私に言わせれば、一県でこの国の歪みの多くを見てきたようなものだ。そんな県を先に診なかったのは、この国の基盤が固まらないと県が動かないと判断したからでもある。それでも私は今でも、自分が政治家に向いているとは思えない。それでも人のために頭を下げることまでしているのだから、つくづく損な性格だと思う。

 自分自身が悔しくて、涙が出そうになった瞬間のことだった。

「総理、国会堂前に人が密集しています!」

 黒縁眼鏡をかけた女性が後方の席から叫んだ。両手でスマホを掲げ、インカムも装着していた。

「いったん、この会見を中止してください。私にはこの会見よりも、皆さんの叫び声がより重要です。もちろん、取材の皆さん、心の奥底の声も、私にとっては拾うべきです」

 女性に名乗りを乞う暇もなかった。間接的な声ではなく、国民の直接的な声を聞く方が先だと感じたからだ。取材陣をかき分け、部屋を出た。

 廊下から国会堂入り口まで長く感じた。走れる割には足取りも重く、三センチヒールの黒パンプスを脱ぎ捨てたいほどだった。

 入り口の分厚い扉を開く両手も震えていた。国民に拒まれたら、私はこれからどうしたら良いのか分からなくなる。元々海外で働きたいと思っていたが、今海外に逃げれば逃亡者と見なされる。日本で働きながら通信制大学を卒業するにしても、敗者を雇う酔狂な経営者がいるはずもない。それに、私は富裕層を散々敵に回してきたのだ。

 首相アルソックとしてではなく、臆病者一個人としての私が表に出ようとしていた。喉が急に乾き、足も震えていた。そこへ、視界の両端に三つの手が映った。

「総理、支持率は勝手に回復するのではなかったのですか?」

「あなたには、私たちがついているではありませんか」

 石嶋は相変わらず生真面目に私を見据えているが、亘理は珍しく微笑んでいた。

「総理、今こそ女性の強さを示す機会ですよ。さぁ、背筋を伸ばして」

 扇道子の手の皺が美しい。厳しい実母・深雪とは違う母の顔だった。

 三人が私の両手に手を重ね、温もりが全身を巡り始めた。冷や汗も、いつの間にか治まっていた。

 無機質な扉にいろどりが浮かんできた。もちろん、厳格であることは分かっていた。

 長崎に残っている友人、母、そして今最も会いたい人・光安みつやす千咲ちさき。彼女は同じ高校で最も親しい友だった。今ではどこにいるのかも分からないが、彼女の幸せを今も願っている。彼女は異性愛者だが、同性愛に理解があった。彼女には思想の自由があり、私の憧れでもあった。今よりもマイノリティに生きづらい時代において、マジョリティではあるものの、彼女はこの世で最も眩しい人だった。私は自分が経済的に、大学に現役で進学できなかったことが悔しかった。同時に、大学で懸命に学んでいた彼女の妨げになりたくなくて、自ら連絡を絶った。間接的にでも彼女の力になりたくて同性愛とフェミニストについて学んだ。もともと政治家としても優秀な亘理を補佐に迎えた。それが彼女の手助けになる保証など誰もしていないというのに。そんな彼女が若い友人と母と並んで、私の両手首を引っ張る幻想まで見てしまった。惹かれるまま足が進むと、犬走と扇哲也が壇上に上がっていた。それを見上げる国民は、見る限り千を超えていた。

「正直、私はこれまで! 私自身が首相になることを最善策と思っていました。しかし! 開総理は! 私が思いもしなかった方法で、困難の壁を破ってきました! 総理のやり方は決して平和的ではありません。強引です! しかし、その強引さがなければ、今の日本はどうなっていたでしょうか? 断言します。私は、開総理こそが今最も必要な人財であることを! 誰よりも前を進んでいることを、私が保証します。私が総理ではいけないんです。アルソック総理ではないといけないんです! 皆さん、オンライン国会にすら参加しない政治家で騒いでいる場合ではありませんよ!」

 犬走の覇気が国民にも同調していた。私の会見を撤廃すること、私が首相でいることを継続するよう求める文字がプレートに刻まれていた。

「私はこれまで、呆れるほど過ちを重ねてきました。総理に対しても無礼に働き過ぎました! ですが総理は! 心を改めた私を迎え入れてくださいました。他の政治家では稚拙と笑った理想を、総理は快く受け入れてくださいました! そんな私は、自らの理想の実現とともに、開総理の手足として働いております。今度は皆さんが動かれるときです。開総理とともに、諸外国と平等に交渉できる世の中を創り上げましょう! そのためにはまず、国内での平等性を一から築き直しましょう!」

 二人に背を向けている外国人は、スマホで動画を撮影していた。混沌の声の中から拾い上げた英語は、日本の実態中継だった。それだけではない。魅力あるニッポンを維持するため、先代首相の代まで経済支援を受けてきた国出身者こそが今の日本を支援するべきだと訴えていた。中には日本人と肩を組んでいる者もいた。

「総理ちゃーん、来たわよぉ!」

 宮城県のゲストハウス支配人・百月が手を振ってくれていた。

「総理、俺たちは総理を支持していますからね!」

 福島県の商店街で働いている谷内は二枚のうちわを推し活仕様にしていた。私は芸能人ではないのだが。

 岩手県のスナック経営者・筥松は三人の若い女性と並んで立っていた。何も発言していないが、犬走と哲也の演説に静かに耳を傾けていた。

 静岡県・熊本県の被災地で出会った住民数名も駆けつけてくれていた。


 私はもう、悪人である必要はない。


 大丈夫、私はまだやれる!

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我が国の首相は田舎出身、あだ名がアルソックですが何か? 加藤ゆうき @Yuki-Kato

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