第18話

「待たせてしまったようだ。亘理議員、お茶は出せないが執務室に入ってくれ」

「それより、その自転車を中に入れるおつもりですか」

 石嶋の整えられた髪が一本、群れから離れて垂れた。

「そりゃ、早速私のことが大嫌いアピールが届いたわけだし? 自転車だってタダじゃないんだぞ。壊されでもしたら、それこそ販売してくれた人や製造者にも失礼だろ」

「それはどういう」

 石嶋の言葉を遮り、私は自転車を傍に置き、亘理の前でドアを開いた。

「このとおり、私は入室に時間がかかるんでね。ついでと言っては難だが、そこにレジャーシートを敷くのを手伝ってくれないか?」

 私はお買い上げシールが貼られた未開封のレジャーシートを手渡した。これも百円ショップで購入したものだ。

「石嶋、気を利かせろ。客人を待たせるな。とはいえ、お茶を出せない私も私だが。何しろ、この国の予算は無駄が多いからな。私にできる分で抑えるしかない」

「総理の理論もごもっともですが、その動きやすい格好もその一論というわけですか。否定はしませんが、あまり賢い選択とは言えませんね」

「亘理議員、確かに見た目も印象づけという目的ならば私は暗愚です。しかし一般人だったころ、私の中での政治家は無駄に上等なスーツを着てベラベラ喋るか寝るかのどちらかしかしてないという印象でしてね。しかも血税で、これまた上等な車で運転手も抱えて移動。これのどこが国民の皆さんに役立っているって? そんな金があるなら、被災地の皆さんへの物資支援に回せるだろ。実際、私も現在、被災地への現地調査のスケジュールを立てていましてね。当然、この格好で行きますよ。そう、田舎のプチプラショップで購入して五年以上着ているパーカーとジーンズでね」

 亘理が石嶋の顔を覗き込んだ。

「なるほど、就任後一週間もせずにこれほどの改革を行えば、補佐サマもお疲れと言うわけですね。彼は確か、事務所のスタッフも面倒見ていらっしゃるのでは? これほどお忙しい総理に、私の愚直な意見を申し上げるのは気が引けますね」

 亘理が敷いてくれたレジャーシートの上に、自転車を置いた。石嶋もさすがに手伝ってくれたが、今度は私が彼の腰をさすらなければならなそうだった。そんなことをすればセクハラになりかねない。

「今日聞くと言っただろう。私の出勤を待ってくれるほどの意見を愚直と言うのは感心できないが、ぜひとも聞こう」

 石嶋がソファへ誘導した。元は革製の立派なものだったが国税庁の競売に出品された。その代わり、都内の寂れたリサイクルショップにて合皮製の安価なソファに買い替えた。そのような席に案内されて、亘理は眼球が飛び出そうになっていた。

「実は私もあなたに話があるんだ。しかしあなたの貴重なご意見を先に聞こう」

 私が座ると、亘理もようやくそのソファへ腰を掛けた。石嶋はサブの中古机で書類に取りかかっていた。

「作業を分散しないと仕事が溜まるのでね。彼のことは気にするな」

「ではお言葉に甘えて。総理、私たち虹の党は第一に性的少数派の方々の権利向上を志しております。自分も体は女性のものですが、心は男性として生まれ育ちました。しかし先の総理までの時代において、自分たちは肩身の狭い思いをしてきましたよ。愛するパートナーと法的に結婚できず、地域の偏見に晒されて。自分のように党を設立した者もいれば、心がナイーブなばかりに自ら命を絶った者もいます。そのような犠牲者をゼロにするため、異性愛者、体と心の性が一致した者と同等の権利を得るための法案を可決させたいのです。先代までの総理にも同じようなことを言いましたが、話になりませんでした。自分のこの格好をあざ笑いました。しかし今回の総理、あなたは今までの総理と異質です。だから最後のチャンスとして、私は静的少数派の方々の権利向上を求めます」

「だから国会への参加人数制限を守り、わざわざ個人的に私を待ち伏せしたのか。亘理議員、あなたは物事の表と裏の両方をご存じのようだ。目的のためならばそれをも使い分ける。私が見込んだ通りの人材でよかったよ」

 私はプチプラのジャケットに着替えるのを忘れていたが、そんなものはどうでもよかった。

「私は性自認も体も、生まれたときから女性だ。恋愛対象はおそらく男性。もちろん、魅力的な女性もいるがな。そんな私は、マイノリティの方々の気持ちを百パーセント理解できるわけではない。しかし、彼らが生きやすい日本も私の目標の一つだ。だからといって、決して贔屓はしない。あくまで一生命として平等であることが私の基準だ。そのためには亘理議員、あなたを私のもう一人の補佐にスカウトしたい」

 石嶋が書類を握りしめて立ち上がった。

「騒がしいぞ、石嶋」

を補佐に、私の同僚にすると仰るのですか。それこそ贔屓だと他の議員連中に騒がれますよ」

「私はとっくに騒がれている。何が問題だ? ああ、給料か。それは血税だからな、収入アップもボーナスも一切期待するな。ただただ私を全力でサポートしろ。そうすれば」

 私もついでに立ち上がった。ソファーという慣れない椅子に座り、腰が痛くなったからだ。

、アンタが掲げている政策や性的問題で叩く輩からの攻撃、すべて私が受けてやる」

「あなたはなぜ、そこまで豪語できるのですか」

「逆に、豪語できないリーダーに誰がついてきてくれる? 私が部下なら御免だね。それに、私がどれだけ無茶をしても、石嶋が手助けしてくれるからな。安心してアルソックでいられる」

 石嶋は目を逸らした。生真面目な上に素直に喜べないなんて、可愛げの欠片もない。

「分かりました」

 亘理も立ち上がった。やはり安物の中古では腰に負担がかかるのだろう。売り払った椅子やソファーで分かったのだが、金額の分だけ腰の負担が軽減される傾向がある。

「私も、あなたの手足として働かせていただきます。その代わり、その気概を失わないで下さいよ、何があっても」

「そうならないよう、しっかり私の舵をとれるようになれ。ついでに、石嶋に柔軟性ってやつを叩き込んでくれ」


 私は亘理と石嶋、二人の補佐が度々衝突する未来が視えていた。

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