第20話
「ってか、本当にヘルパーさんを手配しなくてよかったの?」
翌日の未明、母が徹夜で私の出発を待ってくれていた。母のベッドの隣には、地域個人店で安く購入できた介護用おむつとパットが未開封で十袋ずつ並んでいた。
「だって
「じゃ、本当に行っていいんだよね、被災地への視察と物資支援に」
母は頷いた。長崎では一日一回の夜、ヘルパーさんを利用していたが、一年もしないうちに母は意地で利用を辞めた。しばらくは私がおむつを替えていたが、そのうち母自身でおむつ交換できるように自ら工夫するようになった。若いころ運動選手だったこともあり、老いと重症の二重で不自由な体になっても基本的な体幹は健在だった。私も高校生まで運動部所属だったが、母の類まれな運動神経までは受け継がなかったようだ。おっとりした性格の亡父に似ているのかもしれない。
その母は、介護利用者からせびろうとする特定のヘルパーに辟易していた。子供が自立して時間の余裕があるから、と母の部屋にあるテレビにかじりついて私の仕事帰りを待っていた。母は気にすることではないから退勤するよう、しつこく促していたというのに。また、後始末は大雑把な私が見ても、後始末とは言えないレベルだった。仕事で疲れているなか私が掃除をして、母のおむつ交換を私がやり直した。それから水筒を洗い洗濯、睡眠時間は長くて四時間だった。しかし母がリハビリに励んでくれたおかげで、そのヘルパーさんを派遣する会社の利用、ひいてはヘルパーさんの利用自体を辞めることができた。辞意当初、会社は凝りもせずそのヘルパーさんを派遣してきたが、担当ケアマネージャーに訴えることで最終的に解決した。会社側としては要介護者から取れるだけ利用料を取り、利益を確保したい。また派遣されるヘルパーさん側としては一つでも生活費となる収入源を維持したい。日本社会において、要介護の高齢者は社会の犠牲者だ。その犠牲に若い家族も巻き込まれる。ヘルパー利用料金だけでなく、おむつやパッドの値上げ、自分以外の汚物を見るという精神的苦痛、終わりのない作業。果てのない負担の一つだった。
「じゃ、何かあったら連絡してね。万が一ケアマネージャーを呼ぶことだけはできるから。間違っても、私の補佐である石嶋を呼ぶことはしないからね」
「当たり前じゃん! 仕事、しかも政治にうちの家庭事情なんて関係ないでしょうが。あんたが政界の老害や自己チューな連中から敵と見なされるのは、
「そんなこともあったね。当たり前のこと過ぎて、感覚がすっかり麻痺してたわ。じゃ、亘理と待ち合わせしているから、そろそろ行くね」
私はリュックサックを背負い、自転車を抱えた。母はわずか一日で、自転車を自宅に入れることを咎めなくなった。私がどこぞの刺客を追い払った声を聞いたのか、あるいは石嶋が余計なことをしてくれたのか。どのみち、私が外ですることをとやかく言われなくなった。相変わらず、自室は毎日掃除機をかけろ、畳用シートを百円ショップで購入して拭き上げろとは言われるが。そんなものを毎日購入するなら、ボロボロに毛羽立ったタオルとアルコール消毒液で十分だわ。掃除に関して口答えしようものなら一時間の説教を覚悟しなければならないが。
それでも、私は平穏な出発を迎えることができた。
「総理、あなた本気ですか」
「私はいつでも本気だぞ」
東京駅にて、亘理は早々に呆れていた。
「新幹線はエコノミー、しかも追加料金で自転車持参って、どこかのトライアスロン選手ですか」
「選手は補助輪なんて付けないぞ」
対する亘理はいつもの黒スーツに虹柄のネクタイ、靴は黒のヒール無しローファーだった。一応、私の指示通り、スーツケースではなくリュックに着替えなどを入れていたようだが。
ここから、私の被災地訪問が始まる。
石嶋は東京の執務室にて留守番をしている。
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