第45話

 私が首相に就任する前、インスタグラムの影響でハーゲンダッツが全国の各店舗にて品切れになった。それが一転して私不在の物資支援後、なぜかスーパーカップの生産が追いつかない事態が起きてしまった。

「総理、アイスを食べるのは一度に一個と留めていらっしゃいますよね? 途中でトイレに行きたくなっても知りませんよ」

「子どもじゃないんだから、それくらいの制御はできる。ってか亘理、どこにスーツをしまい持ち歩いていたんだ」

「レンタルです。女性用なのでウエストラインの強調が気に入りませんが。こちらこそ信じられませんよ。不測の事態用にスーツを持参されていない総理だなんて」

 亘理は私の分までパンツスーツを地域店よりレンタルしていた。私は自分の利用分を出そうとしたが、決して領収書を破いてくれなかった。

「これも政治活動ですからね。あとで給料と合算して立替分をお返しくだされば構いません」

「せめて、高級仕立てでないことを願うわ」

 私は恐る恐る品質表示ラベルを摘まみだした。ストレッチ素材らしいが、私の中の原価測定機能が停止してしまった。

「総理の質素倹約精神は、それなりに学ばせていただいているつもりです」

「これが倹約になるとは思えんが。記者会見の後にこのお店を宣伝しなければ」

 翌日、この店が短期アルバイト募集を出すほどレンタル予約が殺到することになるが、このときは私の宣伝力が経済的に影響を及ぼすとは思えなかった。

「家柄ゆえの富裕層は形式を重んじますからね。ある程度型にはまった攻め方をしないと、彼らの耳には届きません」

「心には響かなくていいのか。金持ちの有権者って面倒くさいな」

「総理!」

 私が頭皮を掻くと、扇が乱れた髪を整えてくれた。私を娘のように思ってくれるのは嬉しいが、私の世話を焼くくらいなら他の政治活動に時間と手間を充ててほしい。

「この会見が終わったら、さっさと今晩のオンライン国会の準備をするぞ」

「では、本日二個目のアイスは国会が終わってからですね」

「だから、私は幼子おさなごかよ」

 政界での経験も乏しい私は、どうあがいても二人には威厳的に映らないようだ。それはそれで気が楽なので悪くはないが。

 記者会見にて、亘理と扇の切り替えぶりに感心した。常に私の後ろに控え、説教など一度もしなかった。二人は完璧なまでに『従順な部下』だった。ならば私も応えなければ。数多のカメラフラッシュが鬱陶しいなどと言えるはずもなかった。

「この度私が発熱したせいでご迷惑をおかけしました。多くの方が物資支援活動にご協力くださり、ただただ感謝しております。実は私、子どものころ頻繁に熱を出していたんです。(扁桃腺)も持っていて、正直に申し上げると、体が丈夫とは言えません。適度な休息も栄養も要りますし、今でも風邪を引くと最初に鼻喉に影響が出ます。疲れたら休む。そんな簡単なことを忘れてしまうほど、私は自ら宣言した政策を現実化するのに必死でした。その行動の結果は未だに理想的ではありません。先ほど申し上げた『疲れたら休む』ができない国民の方が数多くいらっしゃるからです。育児はワンオペのまま、休日に副業で働く、もしくは休みを返上して別のアルバイトをする。収入源を恐れるあまり、この国は思考も思想も忘れざるを得ない方々が多いです。震災で大切な人を失った心を癒すこともままならない方もいらっしゃいます。その悲しみを忘れるように、過剰なまでに働く方もいらっしゃいます。しかし過度の疲労の先には何がありますか。体調不良と精神的不安定のみです。私が二、三日休んでしまった分、国民の皆さんには『疲れたら休む』をぜひ実践していただきたいです。私はその土台として、健康を維持しながらほぼすべての法的システムを改善させていきたいと存じます。

「では政治活動において、今後はどのようなことをなさるのでしょう? また富裕層の方々にはどのような政策を?」

 男性記者の一人が片方の口角を上げて訊いた。彼が腹の底で考えていることを考える必要はない。ただ、この場においては私自身の言葉で答えるのみだ。

「私、これまで疑問を抱いていたのですが、いわゆる富裕層の方々はほんとうに豊かなのでしょうか?」

「それは、一体どういう……」

 男性記者が再び尋ねた。それが仕事なのだと、私は十分に理解していた。

「確かに、他の方々と比べたら経済的には余裕があるでしょう。ですが精神面はどうです? 常に見栄を張らなければならないし、世間体のために、本来多様であるはずの心を封じ込めなければなりません。そして、家の体面のために得られるものを『もっと、もっと』と望む傾向があります。自分たちが誰かの力になることを考えることなどほとんどありません。その富裕層の傾向は都心から離れるほど高くなります。私の親戚にも高所得者で家庭を構えている者がいましたが、まさにそんな感じでした。社会人経験を通して触れてきた高所得者も変わりませんでした。会社を運営していれば、日々働いてくれる従業員を労うどころか、給料を上げずに仕事を増やそうとばかり考えていました。だけど一般の方々は職場が困っていれば休日を返上してでもシフトに出ようとします。誰かが風邪を引けば、代わりに出ると言ってくれます。知り合いからミカンをもらい過ぎたと言って、同僚に分け与えます。必ずとは言えませんが、多くの方が助け合いの精神を持ち合わせています。彼らは十分過ぎるほど他者の力になっています。それなのに彼らを優遇しないで、政治家として何をします? 勤勉な方が報われる社会にしないでどうします? 互いに依存させず、適度な距離で助け合う社会のために、いわゆる富裕層の方々には寄付にて心の容積を増やす機会を設けたのです。それが、増税か寄付か選ぶというものです。詳しい政策の説明をお望みであれば応えますが、他に質問は?」


 こんな稚拙な記者会見に注目するよりも、日ごろのオンライン国会に参加してほしいのだが。

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