第53話 サフィーア①

 ほがらかな陽気に、澄み切った青い空。そんな王都の空が、突如、黒い影に覆われた。黒い影を人々は戸惑いながら目で追う。


 影は羽ばたきながら、王都を一巡する。バサッバサッという音が人々の耳に響き渡った。

 辺りをぐるぐると回るように飛んでいた影は、街中に降下する。


 人々は影の姿を目の当たりにした。全身が鱗で覆われた、巨大なトカゲのような――


 それは、ドラゴンであった。グレイセスにおいては伝説上の存在。


 その姿は優美さの欠片もなく、ただただ恐怖に陥れるような、嫌悪感さえもたらす、おぞましいとしか言いようがないものであった。

 そんなおぞましい体には、鎖が巻きついている。


 ドラゴンを一目見た人々は、硬直したように立ち尽くしていた。恐怖のあまり足がすくんでいたのもあるが、この時はまだ、好奇心の方が勝っていたようだ。


 ドラゴンは人々の反応を見るかのように、長い首を左右に動かす。

 左右に動かしていた首を真正面に持っていくと、口を大きく開く。


 開かれた口から轟音と共に火が放たれた。ドラゴンが火の息を吐いたのである。


 呆然と突っ立っていた人々だったが、迫りくる炎を見た途端に、慌てて逃げ出した。

 悲鳴や叫び声が、辺り一帯に響き渡る。逃げ遅れた人々は次々と炎に焼かれていく。火は、建物にも燃え移る。

 その光景は正しく地獄絵図であった。



 伝令からドラゴン襲撃の報を聞くなり、エメラーダは直ぐさま飛び出した。後からマックス達とマーリンも従う。


「あれが……」

 エメラーダが目の当たりにしたのは、ドラゴンが王都を蹂躙じゅうりんする様であった。


「あいつがドラゴンか。アナセマスでもそうそうお目にかかれないぜ。ディーダが何度か話をしてたが」

 マックスも初めて見るドラゴンに驚きを隠せない。


「しかもあいつ、この世の終わりに現れるとされるドラゴンよ。鎖が巻きついてるのは封印されてたからよ」

 ルシエルが解説する。その様は新しいものを見たときのような、ワクワク感に溢れていた。


「なんで楽しそうにしてるんだよ。あと『この世の終わりに現れる』ってなんだよ。グレイセスが終わっちまうってことじゃねーかよ」


 マックスがすかさず突っ込みを入れた。ルシエルとは対照的に、顔に焦燥感が浮かんでいる。


「見よ。背中に誰かいるぞ」

 フォレシアがドラゴンを指差す。


「本当だ!」

 ヘッジが驚きの声を上げる。


「髪は赤毛だが、ところどころ白いものが混じってるな。あと、ローブのようなものを着ている。それと、周囲を長い紙のようなものでぐるっと囲まれているようだが」


「すごいね! そこまで見えるんだ!」

 フォレシアが遠目で見たものの詳細を語ったのでヘッジは感嘆した。


「私は射手だからな。目が効かぬと困るのだ」

 フォレシアは誇らしげに胸を張る。


「目のいいフォレスティアンってのも妙なもんだ。森の中なんか遠くを見通せないってのに」


「なんだと」

 マックスの物言いに、フォレシアは腹を立てる。


「随分と悠長ねー。喧嘩してるなんて」

 ルシエルがマックスとフォレシアの言い合いを茶化すように見ていた。


「赤毛と言ったな……もしかして……」

 マーリンがそう呟いた途端――


「我が名はヨランダ! かつて王国を滅ぼす魔女として恐れさげすまれたもの! 貴様らの望み通り、全てを滅ぼすために舞い戻ったぞ!!」

 国中に鳴り渡るような声が空気を震わせた。


 ドラゴンは一飛びすると、建物に向かって火を吐いた。周囲は炎の海になる。我先へと逃げ出そうと、人々が押し合いへし合いしている。


 後から来た兵士たちが、一斉に矢を放つ。

 だが、鱗は矢を通すことなく、全て弾き返してしまった。


「そんな棒切れが通ると思ったか!」

 ヨランダの声が高らかに響き渡った。


「お返しだ!」

 ドラゴンは兵士の方を向くと、口を大きく開け、火を吐いた。炎が兵士を包み込む。


「うわあああ!」

 断末魔の声と共に、兵士たちは次々と倒れていく。


「皆さん!」

「考え無しに突っ込むなよ。お前も丸焼けだぞ」

 エメラーダは火だるまになった兵士に近寄ろうとしたが、マックスに止められる。


 ――このまま王都が火に包まれるのを黙って見ていろというのか――悔しさのあまり、歯噛みをしたときである。


「ここでに来て氷薬が役に立つとは」

 マーリンはドラゴンが放った火に氷薬を撒く。火は瞬く間に消えていく。後から黒い煙がくすぶっていた。


「ありがとうございますマーリンさん!」

「なんのこれしき。当たり前のことをしたまでよ」 

 エメラーダはマーリンに礼を言う。マーリンは表情こそ変えなかったが、どことなく嬉しそうな様子であった。


「これで心置き無くドラゴンと戦えます」

 エメラーダはマーリンに背を向け、ドラゴンが飛んでいる方に向き直った。


「待て!」

 背後から怒鳴り声がした。エメラーダは一瞬、ビクッとなる。


「テメェ! 火を噴くやつにどうやって近づくつもりだ!?」

 怒鳴り声の主はマックスだった。


「マックスさんが心配してくださるなんて……」

 いつもは辛辣なのに、ここに来て気をかけてくるとは。エメラーダの声が潤む。


「ヌイグルミと戦った時なんか、私のことを投げ飛ばしたのに……」


「それとこれとは別だ。あいつはヌイグルミとは比べ物にならないだろ」

「ここでその話をするか」マックスはそう思いながらも言い返した。


「でもヌイグルミだって矢が通らなかったじゃないですか」

 エメラーダは毅然とした態度を取る。


「ヌイグルミは火を噴かないだろうが」

 マックスも負けじと反論する。


「とにかく、私は行かねばなりません。空を飛べるのは私だけですから」


 エメラーダは短剣になっている蒼き剣を取り出し、掲げる。蒼き剣は光を放ち、元の姿に戻った。


「わかったよ! 勝手にしろ」

 マックスは吐き捨てるように言った。


「やつの元に行くなら、これを分けよう」

 マーリンは氷薬の入った小袋を取り出し、エメラーダに渡した。


「マーリンさん、改めて感謝いたします」

 エメラーダはマーリンから氷薬を受け取ると、ドラゴンがいる方へ駆け出した。

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