第52話 セリーナ③

「これで最後かしら?」


 ルシエルが指を鳴らす。それを聞いて、一同は映し出された映像を食いるように見ていた。


 映像は、セリーナの部屋だった。セリーナは手に水差しを持ったまま、立ち尽くしている。その横にファルゴンもいた。


「何をためらうことがありますか。早く終わらせましょう」

 ファルゴンは早く無名経典を使うようにと急かした。


「……あなたは、魔術の類を嫌っていたじゃないの……」

 セリーナがたじろぐ。手の中で水差しが鈍く光っている。


「私は道理に合わぬことを避けているだけです。今はそういうことを言っている場合ではありません。姉上の身が危ういのですぞ」

 ファルゴンが迫った。


「それに水差しを取りに行かせよと命じたのは姉上ではありませんか。乗り掛かった船です。今更戻れませんよ」


「それは……」


「奇妙な水差しを持っている」

 セリーナはそんな話をファルゴンにしただけだ。今はマーリンとヨランダの元に預けたとも。


 けれど、こうして侍女の手を介し、再びそれを手にしている。そのことに、なんの疑念も抱いてはいなかったのだ。――疑念を抱かぬように務めた、と言うべきかもしれないが――。


「……そうですね。では、初めましょう」


 水差しを床に向けた。当然、水は床に注がれることになる。

 しかし、その水は床を濡らすことはなかった。空中に留まったのである。水は板のように広がっていく。まるでそこが地面であるかのように。


「これが……無名経典……」

 ファルゴンは眼前の光景に息を飲んだ。


 水は充分と見たのか。セリーナは注ぐのを止めた。しばらくして、水面に黒い模様が浮かび上がってきた。


 ファルゴンは注意深く眺めたが、その模様がなんなのか理解できなかった。

 眼差しをセリーナの方に変える。彼女の目線は水面に釘付けになっているように見えた。


「姉上には、これがなんなのか……」

 ファルゴンが言い終わらぬうちに、セリーナが次の文句を唱えた。


「王をたぶらかす魔女を退けよ!」



***


 ――映像は消え、部屋は元の謁見室に戻った。


「おいコラ。これで終いかよ」

 マックスは不満そうに言った。


「そのあと何が起こったのかは、そいつに聞けばいいんじゃない?」


 ルシエルはファルゴンを指さした。一同の眼差しは彼に向けられる。

 その顔は青ざめ、体はガタガタと震えていた。額から冷や汗が流れる。


「どうしたのー? 大丈夫?」

 ルシエルが声をかけた。口調こそ心配しているようだが、その顔はどことなく楽しそうである。


「陛下。お尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

 エメラーダが口を差し挟む。


「なんだ」

 ジョービズは低い声で答える。


「……セリーナ様はどうなったのですか?」

 エメラーダがためらいがちに問いかけた。


「構わんよ」

 ジョービズは鷹揚おうように頷くと、こんな話を始めた。


「アルデン王子が亡くなられた後のことだ。その報を耳にするなり、セリーナは前後不覚に陥ったそうだ。


 いく日か経ったあと、行方がしれなくなったというので捜索隊が差し向けられた。その結果、レマー川の下流で発見されたものの、既に事切れていたようだった」


 ジョービズは沈痛な面持ちでこう語った。


「お心を痛めるような事を聞いた事、深くお詫び申し上げます」

 エメラーダは胸に手を当て、深く頭を下げた。


「何ゆえ謝るのだ。気になるのは当然であろう」

 ジョービズは気遣うように言った。


「アルデンちゃんの死に無名経典が絡んでるのはわかったよ。でも、それを使ったセリーナちゃんは亡くなったよ。それで話は終わってない?」

 ヘッジが差し込んできた。


「終わってねぇし。そもそも終わってねぇから俺らがここにいるんだろうが。無名経典は今、ダーラってやつが持ってるんだったな」


 マックスが突っ込みを入れると共に、無名経典の在り処を思い起こす。


「そうでしたね。でも、ダーラさんとは何者なのでしょうか……」


 エメラーダの発言の後、一同の中に重い沈黙が訪れる。しばし、重苦しい静寂に包まれていたが――


 そんな静寂を破るように、謁見室中に戸を叩く音が響く。


「お話の途中、失礼いたします!」

 兵士の声と共に、戸が開け放たれた。


「何用だ!」

 ジョービズの声が飛ぶ。


「陛下! 空からドラゴンが!!」

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