第24話 再襲①

 故郷であるラプソディアを離れ、カレドニゥス侯爵クラウディオの元に嫁いだエメラーダ。

 不慣れながらも、侯爵夫人としての責務を果たそうとしていた。


「エメラーダ、ここでの暮らしはどうだ?」


「はい、穏やかで、いい空気です。それに、皆様良い方で助かりました」

 エメラーダは、夫であるクラウディオに微笑みかけた。


「……私こそ、なにかご迷惑をおかけしていないでしょうか?」

 エメラーダは不安になってきた。顔は微笑んでいるが、引きつっているようにも見える。


「あなたは遠くから来られました。勝手もだいぶ違うでしょう。生憎、私はいつもそばに居ることは出来ません。それでも、困ったことがあるなら、遠慮なく仰っていただきたいです」


 クラウディオも微笑み返した。その目にはエメラーダを慈しむ気持ちが溢れている。


「私は、これにて」

 クラウディオはエメラーダの元を離れ、公務に戻った。


(クラウディオ様は、本当に良いお方です)

 ――エメラーダは、先程のクラウディオとのやり取りを思い返していた。


 クラウディオは貴族であったが、自ら地位を鼻にかけることをしない。謙虚で、穏やかな人物であった。

 顔立ちにもその性格が反映されており、柔らかで気品が漂っている。


(ですが……)

 エメラーダは、クラウディオに不満はなかった。むしろ、近年稀に見るような好青年である。文句をいうのは、それこそ罰当たりだろう。


 しかし、エメラーダは、カレドニゥスに来る直前、ヌイグルミとの手に汗握る攻防を繰り広げた。


 今現在、伯爵夫人として、城内のことにかまけなければならない。正直、これは性にあわないなと感じていた。


 エメラーダには世継ぎを産まねばならぬという責務がある。戦場で剣を振るうなどということはもっての外である。

 ……ということはわかってはいるのだが。


(それに……)



***


「で、俺達のところに来たというわけか」

 マックスはフォレシアとヘッジと共に、訓練場にいた。


「はい……皆様のご様子を伺いたくて……」

「暇なのか。いいご身分だな」

 マックスは吐き捨てるように言う。


 別に暇だということはない。けれども、今は侯爵夫人という立場である。わざわざ兵士にかかずらう必要もないだろう。そんな風に思われたということか。

 エメラーダは、複雑な心境になる。


「なんでお前は、エメラーダ様に辛く当たるんだ」

フォレシアが呆れたように言った。


「エメラーダぁ?」


「エメラーダ様は今、侯爵夫人だぞ。お前が舐めた態度を取ったら、ここにいるものたちからエメラーダ様が見くびられることになる。そうなったら、我々の立場が危うくなるだろうが」

 フォレシアはマックスを諌めた。


「あー、わかったよ。先程の無礼、申し訳ありませんでした、エメラーダ様」


 マックスは先程の態度とは一変、急に礼儀正しくなる。慇懃無礼のきらいがあるが。

 そんなマックスに、エメラーダは苦笑を浮かべた。


「それにしても、ここの兵士達は弱すぎるんじゃないですかね。相当手加減したんですけど」

 訓練場には、地面に兵士達が転がっていた。対してマックスは、もう一戦できそうと言わんばかりである。


「マックスちゃんはね、昔『白い悪魔』って呼ばれてた盗賊だったんだよ」

 ヘッジが話を差し込んできた。


「『白い悪魔』ですか……」


 エメラーダは、ハンマー投げの要領で高いところに投げ飛ばされたことを思い出した。

 とんでもない怪力の持ち主なのだ。恐ろしい異名が付くのは容易に想像が付く。


「でも、それは昔の話だからね。今は傭兵なんだ」

 ヘッジはにこやかな顔をして答えた。


 ――盗賊と傭兵なんか対して変わらないのではないか? ――エメラーダの頭に、そんな思いがよぎる。それを、おくびにも出さないように務めたが。


「ここに来てからというもの、平穏そのものだ。俺としては、何か起こってほしいんですけどね」

「何か起こってほしい、ですか……」


 何も起こらないということは、事態が進展しないということだ。


 エメラーダにしてみれば、何も起こらないに越したことはない。

 とはいえマックスにすれば、元いた世界に帰る手立てが見つからないということだ。


 マックスがエメラーダに対して当たりが強くなるのも、焦りや不安から来ているのかもしれない。

 といっても、それを自分にぶつけられても困る――。エメラーダは、そう思った。


「ルシエルさんは、なんとおっしゃってますか?」

「あいつか。そういえば、しばらく見てないな」

「そうですか……」


 ルシエルが姿を表さないのは、ルシエルの方でも進展がないからだろうか。


 なんだかんだで、ルシエルの方でも原因究明をしているのだ。エメラーダの中で、感謝の気持ちが沸き起こってきた。


「敵襲! 敵襲!」

 突如、兵士が叫ぶ声が聞こえてきた。



***


「敵襲!」という叫びとともに、この場に緊張感が走る。


「う、うーん……」

 先程まで地面に転がっていた兵士が、呻きながら身体を起こす。


「いつまで転がってんだ。敵だ、敵」

 マックスは兵士達を奮い立たせようとする。


「え? ああ……、あれは一体何なんだ!?」

 兵士達は驚きの声を上げた。マックスも、兵士達と同じ方向を向く。


「あれは……」

 マックスが見たものは、ラプソディアに現れた、巨大ヌイグルミであった。


「なんでカレドニゥスに……」

 エメラーダは呆気にとられた。


「エメラーダ様。あの怪物と戦ったことがある。誰かがそう言っていたのを、聞いたことがあります」

 兵士の一人がエメラーダに声をかけた。


「はいっ!?」


 エメラーダが巨大ヌイグルミと戦ったことは、ここに来てから誰にも話していない。


 ――なにゆえカレドニゥスの一兵卒がその事を知っているのか? エメラーダは不思議に思った。


「しかし、今のエメラーダ様は世継ぎを産まねばならぬ身。無茶をさせるわけには――」

「今から、着替えてきます!」


 兵士が言い終わらぬうちに、エメラーダは着替えるため、自分の部屋に戻った。



 ――カレドニゥスは、突如現れた巨大ヌイグルミのせいでパニックになっていた。


 兵士たちは、果敢に弓矢を射掛ける。しかし、ラプソディアの時と同様、大したダメージを与えることが出来なかった。


 ヌイグルミは腕を一振する。腕が建物に当たる。建物が砂の城のように、いとも簡単に崩れた。


「民を避難させるんだ!」

 クラウディオは兵士達に命令した。


「しかし、あの怪物に傷をつけることさえできませんよ。どこに逃がせというんですか?」


「それは……」

 クラウディオは、言葉を詰まらせる。「どこに逃がせと言うんですか?」という言葉が、頭を駆け巡る。


 災害や、敵襲といった事態であるなら、ある程度は予測がつく。

 だが、今起こっていることは、ヌイグルミとかいう未知の生物の襲来という前代未聞の出来事だ。


 動きが全く読めない以上、カレドニゥスのどこに安全な場所があるというのか。クラウディオはいい案がひとつも思い浮かばなかった。


 クラウディオが煩悶はんもんしている中、エメラーダがやってきた。


「エメラーダ様!?」

 そこにいた兵士は驚きの声を上げる。


「何をやっている! 危ないから、君は下がっていてくれ」

 クラウディオは、エメラーダをこの場から遠ざけようとした。


「お待ちください、私は戦うことができます!」

「ダメです! 危険すぎます。あなたを危険な目に遭わせる訳にはいきません」


「私が、あの怪物と戦ったことがある、ということはご存知でしょう!」


 エメラーダは反論すると、ナイフになっている蒼き剣を掲げた。

 蒼き剣の刀身が光を放つ。ナイフの刀身が伸び、長剣に変わった。


「なんですか!? その剣は?」

 兵士たちはどよめいた。


「これならば、あの怪物を倒すことができます!」

 エメラーダは自信満々に答えた。


「エメラーダ様、また投げ飛ばしますか?」

 後から来たマックスが口を出した。


「そんなこと、させないぞ!」

 それを聞いたロビンは抗議した。


「今の声は……?」

 兵士たちは辺りを見渡した。


「ロビン! 人前では話さないようにと言いましたよね?」

 エメラーダは、周りに聞こえないように囁いた。


「ご、ごめんなさい。でも、エメラーダを投げ飛ばすなんて……」

「エメラーダ様、誰と話しているのですか?」

 兵士の一人が尋ねた。


「大丈夫です! なんでもありません! 考え事してたらつい口から出てしまいまして……」

 エメラーダは慌てて誤魔化した。


「とにかく、皆様は住民をこの場から退避させることに集中してください! 怪物は、私の方でなんとかします」


「エメラーダ、無茶だ!」

 クラウディオは、エメラーダを引き止めた。


「ですが、皆様が来たところで多勢に無勢です。ここは、私に任せてください」

 エメラーダは、クラウディオを睨みつけるように見すえた。


「……わかった」

「クラウディオ様?!」

 兵士の何人かが、非難するような声をあげた。


「だが、絶対に無理だけはしないでくれ。もし、君に何かあったら、私も耐えられない。それに、今は私よりも、君の方が大事だからな」


「はい、わかっております。必ず生きて戻りますから」


 エメラーダは、街中を徘徊しているヌイグルミの方に向かっていった。

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