第3話 魔界②

 男の一撃をくらい、意識を失っていたエメラーダだったが、ベッドの上で目を覚ました。気絶している最中、室内に運び込まれたのだ。


 エメラーダは今いる場所を確認すべく、辺りを見回す。そうしていると、目が壁に止まった。


 部屋は石壁だ。石と石の間から、赤いものが見え隠れしていた。よく見ると、肉のように見える。


 なぜ石壁に肉のようなものが挟まっているのだ――。


 冷ややかな石と、体温さえ感じる肉のようなもの。この対極的な取り合わせが、よりおどろおどろしい。


 エメラーダは怖気だった。けれども、目を離すことができなかった。


「目を覚ましたか」


 男の声に、エメラーダは我に返った。


 声の主がドアを開ける。入ってきたのはエメラーダを気絶させ、担ぎあげた男であった。


「ギャー!」

 エメラーダはまたしても悲鳴を上げた。


 それは、男の後に続いて、見慣れない生物が入ってきたからである。


 その生物は、二足歩行で、全身が黒い外骨格に覆われている。頭部から長い触手を無数に生やし、後ろで三つ編みを作っていた。


「おい、なんでディーダを見て悲鳴をあげるんだ。俺とお前と同じ、ヒュランの格好をしてるんだぞ」


 男がディーダと呼んだ生物に対する説明をする。エメラーダはすっかり怯えきっており、説明が耳に入っていない様子であった。


「……なんでこんな面倒な奴が現れたんだ……」

 男は頭を抱えた。


 ディーダは男に向かって語りかけるような声を発した。


「それはわかっている。放っておいたら被害がクッコだけじゃ済まなくなる」


 エメラーダは、ディーダと男が会話している様子を不思議そうに見ていた。


「……なにがおかしいんだ?」

 男はエメラーダを睨みつけた。


「あぁっ、ごめんなさいっ。ただ、ディーダ? さんの言ってることがわかるんだなって」


「はぁ? お前、ディーダがヒュランに見えないだけじゃなくて、言ってることも分からないのか」


 男はディーダの方を向いた。

「こいつ、ヒュランに見えるけど、本当はアントーカーじゃないのか?」

 ディーダは諌めるような声を出した。


「だからおかしいんだよ。ディーダってトーカーだったら、訛りがひどかろうが、使ってる言葉が違っても、なに言ってるのかわかるだろ。それにやり取りだってできる。やっぱこいつはアントーカーだ」


 エメラーダは男の言ってることがよく分からなかった。――悪口を言ってるんだろう――。男から出ている険悪な雰囲気から、そう推測した。


「まぁいい。今日はここにいてもらうからな。勝手に出歩くなよ」

 男はエメラーダにこう言い放つと、ディーダとともに部屋を後にする。


「俺はマックスだ」

 男は部屋を出る前、自分の名を名乗った。


 エメラーダはマックスの後を目で追っていた。


 ――こんなところに泊まれというのでしょうか?


 そう思ったのは、先程見ていた壁があまりにも不気味だったからである。


 改めて部屋を見回す。自分が今座っているベッドの他は、貴重品を収納しているであろう長持ちしか見当たらなかった。


 庶民なら一般的といえる寝室だったが、なにせ、エメラーダは貴族である。自室は調度品に囲まれているのだ。必要最低限の家具しかない部屋は、エメラーダの目には殺風景に映るだろう。

 それがより壁のおぞましさを際立たせた。


 だが、ここに来る前、木の怪物に襲われたではないか。それにひきかえ、ここには寝具がある。ということは、襲われる危険性はないということだろう――。


 そんなことを考えているうちに、マックスに礼を言い忘れたことを悔やむ気持ちが湧いてきた。


「『ありがとうございます』って言いそびれてしまいました……」

 エメラーダはポツリと呟いた。


「色々なことがあったけど、僕たちを泊めてくれたんだ。いい人たちに会えてよかったよ。エメラーダ、ひどいことしちゃったね……」

 呟きにロビンが反応する。


「そうですね……」


 エメラーダは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。マックスの仲間は、グレイセスにおいては紛うことなき怪物だ。


 だが、ここはグレイセスではない。見知らぬこの地においては、そこで生活を送っているだけの住民であり、そして仲間なのだ。


 問答無用で仲間を襲うようなものでも、こうやって寝床を提供してくれた。

 良い印象がないものであっても、面倒を見てくれる。エメラーダは頭が上がらなかった。


「夜も遅くなってきたし、今日はもう寝ましょうか」


 寝床につくため、エメラーダはまず鎧を脱ぐ。そのとき、背中に剣を背負っていることに気がついた。


「私、こんな剣、背負ってたんですね」

「えぇ、今気がついたの?」


 エメラーダの背負っていた剣は、腰に下げているものよりも遥かに長く、幅もあるものだ。気が付かない方がおかしいのではないか。ロビンは呆れてしまった。


 エメラーダは背中の剣を手に取る。エメラーダの目には、美しく青く輝いていた。


「これは……もしかして…………」

「この剣のこと、知ってるの?」


 ロビンは、剣から目が離せなくなっているエメラーダに尋ねた。エメラーダは、代々伝わる詩を諳んじている。


「もしかして、この剣は『蒼き剣』なのかも……」

 エメラーダの目は、期待に満ちた眼差しに変わる。


「『もしかして』って、蒼き剣がどんなものか知らなかったの?」

 ロビンは疑問を呈した。


「そうなんです。蒼き剣は厳重に保管されていたから見たことがなかったのです。お父様は『蒼き剣が目に触れるのは人々に危機が訪れたときだけだ』とおっしゃっていましたので」


「そうなのか。でも、なんで今エメラーダが持ってるんだろうね?」


「私も、皆目見当もつかないですね……」

 エメラーダは首を傾げた。


「でもさー、なんか変だよ、その剣、青いことは青いけど、なんか歯が生えてるし、目玉がついてるよ。

うわっ、動いた」


 ロビンは、剣についている目玉がこっちを見たような気がした。思わず後ろに仰け反る。


「歯、目玉? そんなもの、ついていませんよ」

 エメラーダは改めて剣を見たが、相変わらず青く美しく輝いている。ロビンが言うような、歯や目玉はついていなかった。


「おかしいなぁ……やっぱり、ついてるよ」

 ロビンは再度、剣を見た。ロビンの目には、相変わらず歯や目玉がついている。


「そういえば、ディーダって人のことも違う風に見えてたみたいだね。僕には人間にしか見えなかったけど」


「そうだったんですか?」

 エメラーダは驚いたような反応を見せる。


「えーと、黒い鎧みたいなの着てて、髪の毛と肌の色が真っ白だったかな。背は、マックスと同じくらいかな。まぁ高い方だよね」

 ロビンはディーダを見たときの印象を思い起こしながら話した。


「そうだったのですか……私が見たときと、全然印象が違うのですが」


「あと、エメラーダはディーダの言ってることが わからなかったんだっけ。僕にはちゃんとわかったよ」


「えぇ?」

 エメラーダにはわからなかったのに、ロビンにはわかる。一体どういうことなのか。不思議だというのと共に、自分だけ除け者にされているような、疎外感を味わった。


 そもそも、マックスは魔界の人間だ。ここが魔界かどうかはともかく、グレイセスではないのは確かだ。なのに、なぜ話が通じるのだ? 別の世界だと言うなら、言葉が違うだろうに――。


「エメラーダ、ぼんやりしてるけど大丈夫? もう、寝たほうがいいんじゃない?」

 とにかく色々なことがあって、エメラーダは疲れたろう。そう感じたロビンは、エメラーダに寝ることを勧めた。


「そうですね。寝坊なんかしたら、それこそ迷惑になりますし」


 ロビンの勧めにしたがい、エメラーダは寝床に着く。


 しかし、見知らぬ世界に飛ばされたこと、なにより『蒼き剣』のことばかり考えてしまう。心が落ち着かず、なかなか眠ることができなかった。

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