第2話 魔界①

 起床時間がやってきた。エメラーダは、目を覚ます。


 眠りから覚めたエメラーダの目に飛び込んできたのは、いつも寝起きする寝室ではなかった。

 それにベッドの上にいたはずなのに、そのベッドが見当たらない。


 ベッドどころか、室内でさえない。それどころか、ラプソディア――グレイセスでさえなかったのだ。というのも、眼前にはグレイセスに存在しないような、奇妙な物体が所狭しと並んでいたからである。


 次に、エメラーダは自分の身にまとっているものに目を向ける。

 寝間着ではなく鎧になっている。それに、腰には愛用の剣が下がっていた。


 エメラーダは頬をつねる。


「痛いです!」

 痛みがあるということは、夢ではないということだ。一体どういうことだ。エメラーダの頭は理解が追いつかない。


「ここはどこなんだろう?」


 聞き覚えのある声がしたので、そっちの方に目を向ける。そこには、身知った小人がいた。


「ロビン? ロビンですか?」

 エメラーダはロビンに声をかけた。


「エメラーダ? エメラーダも来てたんだ!」

 ロビンはエメラーダの姿を見ると、安堵の表情を浮かべた。


「それにしても、ここはどこなんだろう?」

 ロビンは辺りを見回す。すると、エメラーダが不安げな表情を浮かべていることに気がついた。


「エメラーダ、大丈夫?」

 ロビンの呼び掛けに、エメラーダはハッとした。


「私は大丈夫です! 心配かけさせてごめんなさい。ただ……。といっても、ここでぼんやりしても仕方がないですね。とりあえず、歩いてみましょう。もしかしたら、人のいるところにたどり着くかもしれません」


「そうだね。僕も一緒に行くよ」

「ありがとうございます。そう言ってくれると励みになります」

 とはいったものの、エメラーダは一抹の不安がぬぐえなかった。


 エメラーダは改めて辺りを見回す。


 周囲の奇妙な物体だったが、よく見たら、それは木々であった。


 何ゆえ、最初に見た時に木に見えなかったのか? それはグレイセスのものとは、大きくかけ離れていたいたからである。


 そもそも、木と呼べるものなのかと疑問符をつけたくなるような――あえて言うなら、今にも襲いかかってきそうな――そういう怪物じみた造形なのである。


 森がこんな有様ならば、そもそも人が存在するのか、もしかしたら、ここは――。エメラーダはそんな事を考えていた。


「ちょっと、この木に話を聞いてみるね」

「ロ、ロビン!?」

 エメラーダは止めようとしたが、ロビンは構わず目の前の木に話しかけた。


「失礼します。僕はラプソディアから来ました。ここはなんというところですか?」


 木は呼び掛けに応答した。だが、返ってきたのは、ロビンには理解できないものであった。


「ごめんなさい! 僕は花の妖精だから植物とお話できるんだけど、何言ってるのかわかんなかった。困ったな。これじゃ人のいるところなんかわかんないや」


「謝らないでください。私なんか何もできないですし。

それより、ロビン、怖くはなかったのですか?だって、この木は怪物にしか見えないし、今にも動き出しそうだし……」

 エメラーダは怖々と木を見つめる。


「この木はただの木だから大丈夫だよ。確かにおっかないけど……」


 不安感を隠しきれないエメラーダを落ち着かせようとした、ロビンだったが――。


 話しかけた木が動き出した。ロビンに向かって、枝を腕のように振り下ろす。ロビンは既のところでかわした。


「落ち着いて! 僕達は何もしないよ!」

 ロビンはなんとか説得を試みる。

「ロビン、逃げましょう! やっぱりここは魔界なんです!」


 エメラーダは急いで走り出した。ロビンも後に続く。


 木は、根を足のように持ち上げ、地面から出てくる。出終わった木は、エメラーダ達の後を追いかけた。


「エメラーダ、ところで魔界って何?」

 エメラーダは走りながらロビンの質問に答える。


「魔界、っていうのは、魔王と魔物、が住んでいる世界、のことです!」

「なんでそんなおっかないところに来ちゃったの?」


「わかりませーん!」

 エメラーダらは行き止まりに来てしまった。後ろからは木が襲いかかってくる。


 もう駄目だ。エメラーダがそう思った瞬間――。

 木は動きが止まる。ドサァと音を立て、倒れたのだ。


 根元の方を見ると、刃物で断ち切られた跡があった。その後ろには、斧を持った者たちがいる。


「大丈夫か!?」


「見たところ、怪我はないようだけど。どこか痛いところはないか? それにしても助かってよかっ……」

「いやあああああ!!」


 来たものたちの姿を見て、エメラーダは堪らず悲鳴をあげた。

 というのも、牛の頭だったり、一つ目だったり、鋭い牙を持った鬼のような姿をしていたからである。


「化け物ー!」

 エメラーダは腰の剣を抜き、近づいてきた鬼のような者に向かって切りつけた。


 鬼は致命傷は免れた。だが、避けきれなかったため、痛手を負ってしまった。


「大丈夫か!?」

 1つ目の男が切られた鬼を庇う。


「お嬢さん、落ち着いて! オラたちはあんたを助けに来たんだ!」

 一つ目の言うことも聞かず、エメラーダはひたすら剣を振り回していた。


「俺、団長、呼んでくる!」

 牛頭の男はそう言い残し、その場を立ち去る。他の者も、エメラーダから逃げるように立ち去った。


 ロビンは一連の有様を呆然と見ていた。


『あんた、見ない顔ね。何処から来たの?』


 突如、ロビンの耳に声が響いた。辺りを見回すが、エメラーダの他は誰もいない。


『あたし、あんたに直接話しかけてるの。それにしても、あんたの連れ、エメラーダだっけ? よくもやってくれたわねぇ』


「あなたは誰? どうしてエメラーダのことを知ってるの?」


『それは、あんたらのやり取りを聞いてたからよ。あたし、遠くにいるあんたに話しかけるだけじゃなくて、視界を借りることも出来るの』


「えーと、それって……」


『ごめんごめん。覗き見するつもりはなかったんだけど。それから、あたしはルシエルっていうの。あんたと同じ妖精よ。よろしくね。

……って、今は悠長に挨拶してる場合じゃないわね……』


 エメラーダの元から逃げ出した者たちと入れ替わるように、一人の男が現れた。


 その男は先程の者達とは違い、人間の姿をしている。けれど、肌は石膏のように白く、髪も真っ白であった。

 手には、握りが牛の脚のようになっている大振りの剣を持っている。


 大柄で屈強な体躯は、等脚目を思わせる奇妙な黒い鎧に覆われていた。


 眉間に皺を寄せている状態ではあるが、顔は整っている。さながら匠の腕により生み出された歩く石膏像――男はそのような、奇妙な印象を与えた。


 男は緑色の目でエメラーダを睨みつける。

「お前か。クッコを切りつけた奴は」

 男は剣を構える。


「その子、殺さないでね。殺すと余計面倒なことになっちゃうよ」

 肩元にいる妖精が、男に忠告する。その妖精の、背丈はロビンと同じだ。背中には、透明な羽根が六枚生えている。


 チッ。

 男は、返答代わりに舌打ちした。


 エメラーダは剣を構え直し、男に向かっていく。

 男は、エメラーダの一撃をかわすと、握りをみぞおちに打ち付ける。

 思わぬ一撃をくらい、エメラーダはその場に崩れ落ちた。


「あんた、乱暴ね」


 妖精は男に話かけたが、再度無視された。男は、意識を失ったエメラーダに近づき、担ぎあげる。


「エメラーダをどこに連れてく気だ!」

 ロビンは男に向かって叫んだ。


「俺に話しかけるな、クソ妖精」


 男はロビンにそう言い捨てると、エメラーダを抱えてその場を立ち去った。


 ロビンは男の言葉にショックを受けていた。けれど、エメラーダを放って置くわけにもいかない。ロビンは、男の後についていくことにした。

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