テイル・オブ・アナセマス~姫騎士唐突に伝説の剣を手に入れるが何故か世界滅亡の危機が発生する~

奈々野圭

第1話 序章

 ここは、グレイセス『ラプソディア』


 穏やかな陽射しが降り注ぐ中、パカラッパカラッと馬の蹄の音が鳴り響く。


 馬上には、女が乗っていた。仕立ての良い服をまとっており、身分の高さがうかがえる。馬が走る度に、背中まで伸ばした金髪がたなびく。

 歳の方は、もう少女と言えないまでも、どことなくあどけなさが残っていた。


「エメラーダ様!」


 農作業をしていた村人が手を振って声をかける。

 エメラーダもそれに笑顔で応えた。


「コラッ! 手を休めるな!」

 馬上のエメラーダを眺めていた農夫に、傍らにいた老人から叱咤の声がかかる。


「すんませんっ」

 農夫はペコッと頭を下げて、畑仕事に戻った。その様子に、エメラーダはくすりと笑う。

 そして視線を前に戻し、また手綱を握った。


 こうしてエメラーダは、今日もラプソディアを駆けていく。


 ラプソディアは、グレイセスのハイキルディア大陸の西端、ジョービス王が治めるウォノマ王国にある。


 ソーディアン家は王の忠臣として、ラプソディアが与えられた。以来、ソーディアン家は領主としてラプソディアを治めることになる。


 エメラーダは、ソーディアン家の領主の娘として、生を受けた。


 彼女は貴族としての慣例に従い、教養や礼儀作法を身につけている。一方で、剣や馬術といった武術をも修めていた。


 というのも、ソーディアン家は、代々優れた武人を輩出する家系で、王からも一目置かれる存在であったからだ。


 エメラーダもまたソーディアン家の端くれとして、幼い頃から武芸に励んだ。ソーディアン家の名に恥じぬ、立派な騎士となるためである。


「ただいま戻りました」

 エメラーダは、巡回を終え、城へと戻ってきた。

 従者達に迎えられながら、エメラーダは馬から降りる。


「お前とも、お別れになってしまいますね……」

 馬を厩舎へ連れていくと、エメラーダは愛おしそうに馬の首を撫でた。

 エメラーダの顔には、寂しさが浮かぶ。


「この子のこと、よろしくお願いいたします」

 エメラーダは、馬の世話をする者達に声をかけると、厩舎を出ていった。

「おやすみなさいませ。エメラーダ様」


 就寝時間がやってきた。エメラーダは部屋に入り、侍女達が用意した寝巻きに着替える。


 部屋の明かりは消した。寝る準備はできている。

 しかし、エメラーダはベッドの端に腰掛け、顔を月の方に向けていた。


「どうしたの?」


 なにやら、声が聞こえる。エメラーダは声がした方を向いた。


 そこにいたのは、前腕の長さ程の背丈の小人だ。


 頭には葉を縫い合わせたような帽子を被り、体も同様に、何枚もの葉を縫い合わせたような服をまとっている。背中には、蝶を思わせる羽根が生えていた。


「ロビンですね? どうしてここに?」


「卓にお花、あるでしょ。素敵だなと思って。ほら、僕って花の妖精でしょ? お花を見ると、つい寄っちゃうんだ」


 ロビンと呼ばれた小人は、部屋の卓に飾ってある花瓶を指し示す。そこには、花が活けてあった。

 色は赤く、花弁が多い。卓から芳香を放つその花は、ラプソディアでは穏やかな季節に咲いている。


「庭の方が色々な花が咲いていますよ?」


 そもそも、卓上の花は庭に咲いていたものだ。なぜロビンは、わざわざ自分の部屋に来たのか? エメラーダは疑問を持った。


「それはわかってるよ……実はというと、エメラーダのことが心配なんだ」

 ロビンは観念したかのように答える。


「だって、結婚とかいうのをするんでしょ。僕は妖精だから、よくわかんないけどさ。違うとこに行っちゃうんでしょ」


 そう、エメラーダは結婚を控えているのだ。相手はクラウディオ。隣国カレドニゥスの領主、ブケンツァ家の侯爵である。


 エメラーダの婚姻を決めたのは、互いの親だ。エメラーダは侯爵の夫人として、ここラプソディアを離れることになる。


「ロビンは、私がラプソディアを離れるのが嫌なのですか?」


「いや、エメラーダが行かなきゃいけないって言うなら止めないけど。でも、エメラーダって生まれも育ちもラプソディアでしょ。そこを離れて知らないところにいくのは大変そうだなぁって」


 ロビンはラプソディアで生まれた花の妖精だ。妖精というものは、基本生まれた地を離れないものだ。


 見知った地を離れること。それ自体が、ロビンにとっては想像がつかないことだ。だからこそロビンは心配していたのである。


 ――あいにく、ロビンには人間の色恋というものが理解できないので「夫婦関係が上手くいくのか」というところまで考えが及ばないのだが――


 ロビンはエメラーダの顔を覗き込む。


「私は大丈夫ですよ」

 エメラーダは微笑みながら言った。


 正直、不安がない訳ではない。カレドニゥスには何度か行ったことはある。だがそれは一時的に訪問しただけだ。そこで暮らすとなると、話が違ってくる。


 なにより、クラウディオの人となりだ。幸い、悪い噂は聞かない。でも、どういった人物なのかもわからない。


 はたして、うまくやって行けるのかどうか。エメラーダの胸中は複雑だが、決められたことだ。今更異議申し立てをするつもりはないし、できる立場でもない。


 エメラーダとしては、微笑むしかないのである。


「本当に?」

 エメラーダは微笑んでいたが、何を考えているのかわからない。そんなエメラーダに、ロビンは首を傾げる。


 しばらくしてエメラーダは一息つく。そのあと、こんな詩をそらんじた。


「そは伝説の蒼き剣

世界の危機にて現れん

王たるものが一振りすれば

世界は直ちに救われん」


「なぁに? それ」


「代々ソーディアン家に伝わっている詩です。国が危機に陥った際、ソーディアン家は詩と共に伝わっている蒼き剣を振るい、平和をもたらしたとされています」


「よくわかんないけど、すごいんだね」


「蒼き剣は家宝として、厳重に保管されています。危機的な状況にならない限り、振るわれることはありません。……私は、ソーディアン家を離れることになります。蒼き剣を持つことは、かなわないでしょう」


 エメラーダはため息をついた。


「うーん。僕としては、危ないことはしてほしくないけど……」


 ロビンの目には、エメラーダは残念そうに見える。


 本当はラプソディアを離れたくないのであろう。だが、このまま留まっているのも、それはそれで危険な目に会うのではないか。

 しかし、エメラーダはあえて危険なことを望んでいるようだ。


 ロビンは、エメラーダがわからなくなった。


「ありがとうございます、ロビン。では、おやすみなさい」

 エメラーダは、ベッドに入った。

 ロビンも「おやすみなさい」と返すと、窓から外に出た。


 エメラーダはロビンの姿を見送る。やがて姿が見えなくなると、眠りについた。

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