第4話 ヨグソー①

 コンコンッ。


 部屋中にドアをノックする音が響く。


「おい、いつまで寝てるんだ」

 続いて、マックスの不機嫌そうな声がした。エメラーダはまだ眠っている。


「エメラーダ 、起きてよ」

 ロビンはエメラーダをつつく。


「……う、んんん」

 ロビンにせっつかれ、エメラーダは目を覚ます。やにわに身体を起こし、辺りを見回した。


 エメラーダの眼前に写っているのは、自分の寝室ではない。昨日運び込まれた、見知らぬ部屋のままだった。


 エメラーダは頬をつねる。

「やっぱり、夢じゃない!」


 今、この身に起こっていることは夢ではない。エメラーダは、ジンジンと痛む頬で感じた。


「いいから、早く来い」

 マックスが、部屋の外から急かす。


「はいっ! 今、行きます!」

 エメラーダは急いで身支度を整え、部屋を出た。ロビンも後に続こうとする。


「クソ妖精。お前はそこにいろ」

 マックスは語気を強めて、ロビンに命じた。


「なんでここにいなきゃいけないんだよぅ。ひとりはやだよ」

 ロビンは抗議する。


「お前が飛び回ってたら面倒なことになるんだよ」

 マックスはロビンを鋭く睨みつけた。ロビンは恐ろしさのあまり、震え上がる。


「わかったよぉ。だから、怖い顔しないでよ」

 ロビンは納得がいかなかったが、それ以上に、マックスが恐ろしかった。言い返す気力がなくなったロビンは、渋々部屋の中にとどまった。



「……失礼します」

 エメラーダは前を歩くマックスに、おずおずと話しかけた。


「なんだ」

 マックスは返事をしたが、前を向いたまま、歩き続ける。


「ロビンのことなんですけど。なんで、部屋に残したのでしょうか?」


 エメラーダの質問に反応したのか、マックスはピタリと歩を止める。


「ここでその話をするなよ。どうしてもって言うなら、後で説明する」

 マックスはエメラーダの方を向いた。目つきは鋭く、眉間にはシワが寄っている。


 睨まれていることに変わりはない。けれど、ロビンに向けたものと比べたら、幾ばくか柔らかいような気がする。エメラーダは、何故かそう感じた。



 マックスと歩いているうちに、広い部屋についた。

 部屋には、テーブルが並べられており、めいめいが食事をしている。どうやら、食堂のようだ。


 エメラーダはそこにいる面々を見た。


 昨日遭遇した、ミノタウロスやオーク、サイクロプスらしき怪物がいる。そのほかにも、奇怪な姿をした怪物が席についている。

 見たところ、人間が一人もいない。


 ――見かけで判断するな。頭ではわかってはいる。そんな気持ちに反比例して、湧き上がってくる嫌悪感。エメラーダは怯んでしまった。


「こっちだ」


 マックスに呼びかけられた。ぼうっと突っ立ってるわけにもいかない。エメラーダは、呼びかけにしたがって、席に着いた。席は、簡素な椅子と長卓だ。


 長卓には、濁った青い液体が入った器が置かれていた。

 中には、ピンク色の貝の卵のようなものが浮いている。そこには、ミミズのようなものが沈んでいた。器の前にはフォークが置かれている。


「食え」

 エメラーダの耳に、マックスの冷ややかな声が響く。


 エメラーダは斜向はすむかいを見た。そこにはディーダがいた。器に入ったミミズのようなものをフォークで食べている。


 ディーダが食べているということは、食べ物なのだろう。だが、ディーダはエメラーダにしたらモンスターにしか見えない。果たして人間である自分が食べても平気なのか――そんな思いが膨れ上がった。


「なんで食わないんだ」

 マックスはため息混じりに話した。それを聞いたディーダが反応し、声を発する。


 もしかしたら、たしなめているのかもしれない。そう思うも、エメラーダには何を言っているのかわからなかったが。


「んなこと言われても、食うもんはこれしかないぞ」


 エメラーダは青ざめた。これしか食べるものがないというのか。いや、他に食べるものがあったとしてもだ。これと同じか、もっとグロテスクな物体が出てくる可能性さえある。


 少なくとも、鼻につく匂いは、悪くはない。見た目に反し、生臭さはないのだ。むしろ、匂いはそれほど強くない。どことなく、フルーツを思わせるような、爽やかさがあった。


 ――仕方がない、食べるとしよう。エメラーダは意を決して、フォークでミミズのようなものを取り、口の中に入れた。


「……」


 エメラーダはミミズのようなものを噛んだ。


 プチプチ。

 明らかに麺とは違う食感である。


「……おいしいですね!」


 どう見ても、食べ物とは思えない。そんな見た目と裏腹に、エメラーダが普段食べている食事と遜色がない。むしろ、今食べているものの方が、風味が豊かなのではないか。


「ところで、これはなんという料理ですか?」

 エメラーダは食事の最中に、マックスに尋ねた。


「なんだよ。さっきまで『これは食い物か』って顔をしてたのに」

 眉をひそめるマックスに対し、ディーダが声を出した。

「わかったよ!」


 マックスは、ディーダに顔を向けた。しばらくして、マックスはエメラーダの方に向き直った。


「ヨグソーって言うんだ。俺たちは、毎日これを食ってるんだよ」


 ヨグソー。

 案の定、聞いたことがない料理名だった。


 食材からして、グレイセスには存在しないものだ。いや「存在しない」と言いきってしまうのは、乱暴かもしれない。とはいえ、エメラーダにしたら見たことがないものだ。「存在しない」と言いきってもおかしくはないだろう。


「食い終わったか……おかわりが欲しいのか?」


 エメラーダは空になった器を見つめている。そんなエメラーダに、マックスは声をかけた。


「ありがとうございます! 食事は充分いただきました。その、ヨグソー? というのは、不思議な料理だなと思いまして……」


 マックスに声をかけられたエメラーダは、慌てふためく。


「あのぅ、よろしければ、ヨグソー畑にご案内いたしますよ?」


 穏やかな声が聞こえる。エメラーダは声がした方に顔を向けた。


 そこには、目の周りが大きく黒く縁取られ、頭頂部から口元まで白が割って入ったような牛頭がいた。体格はよいが、柔らかさも見受けられる。


 服装は、簡素なワンピースだ。袖から白い腕が出ている。胸元が空いているのだが、そこから薄ピンクの胸が見えた。


 服装と、なにより豊満な胸を見るに、メス、いや、女性のミノタウロスか。

 ミノタウロスというと、恐ろしい印象を与えるが、彼女は乳牛にしか見えなかった。


「カシナ。こいつと関わるなよ。クッコみたいに切られたらどうする」

 マックスはカシナと呼んだミノタウロスを、エメラーダから遠ざけようとする。


「昨日のことは、誤解だったんですよ。私には悪い方には見えません。きちんとお話すればわかってくれます。現にマックスさんとは穏やかにお話できてますし」

 カシナはエメラーダのそばを離れようとしなかった。


「それは俺がヒュランだからだろ。こいつはなんなのかわからんが」

 マックスは横目でエメラーダを睨みつけた。エメラーダの背筋に冷たいものが走る。


 エメラーダはカシナの方に目をやる。眼差しに、優しさが溢れていた。その目を見ているうちに、エメラーダは心苦しくなった。


「カシナ、話があるってなら少しだけ時間をやる。俺は俺の方でやることがあるから」

 マックスはぶっきらぼうに答える。


「ありがとうございます!」

 それを受けたカシナは、目を輝かせた。


「話は終いか。じゃ、俺は戻る」

 マックスは立ち上がると、食堂を後にした。ディーダも後に着いていった。

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