第42話 クラウディオ③

「クラウディオ様、いくつか聞きたいことがあります……マックスさん、離してもらっていいですか?」


 マックスは、クラウディオを地面に押さえつけている。エメラーダは、解放するようにとそれとなく命じた。


「いいのか? 何しでかすか、わからんぞ」

「貴様! エメラーダに向かってなんて口を」

「お前、口答えできる立場か?」

 マックスはクラウディオを更に押さえつける。


「マックスさんがいるから大丈夫ですよ。あと、注射器、でしたっけ? これを壊していただければ」


「わかりました。エメラーダ様」

 幾分か冷静になったようだ。マックスの口調が丁寧なものに変わる。


「おい、注射器とかいう棒はどこにあるんだ」

 マックスが注射器のありかを聞く。それを受け、ヘッジが床に転がっている注射器を拾い上げた。「へーい」と言いながら、マックスに渡す。


 マックスは右手で注射器を受け取ると、力を込める。

 注射器は「バキィッ」という音を立てて、ふたつに割れた。


「これで大丈夫か」

「大丈夫でしょ。脳操虫は体内に入らないとすぐ死んじゃうし」


「そうか……」

 マックスは真っ二つにしたばかりの注射器を見ていた。注射器から液体が流れ出し、マックスの手を濡らす。


「脳操虫も、カオスの力とかいうので生まれたのか?」


「そうねぇ。アナセマスがアナセマスと呼ばれる前の頃ね。そのとき、ニンゲンがいたのよ。そのニンゲンが、カオスの力でもって脳操虫を作ったというわけ」


「ディーダが言ってたな。アナセマスと呼ばれる以前、ニンゲンっていうクリーチャーがいたと。滅んで当然だ」

 マックスは液体で濡れた手をじっと見ている。その手は、震えていた。


「あの、いいでしょうか?」

 エメラーダはおずおずと声をかけた。


「なんだ」

 マックスはエメラーダを睨みつける。


「え、えーと。クラウディオ様を、離してほしいのですが……」

 マックスの睥睨へいげいにエメラーダは気圧されそうになったが、勇気を振り絞って頼み込んだ。


「わかったよ」

 マックスはクラウディオの襟をつかみながら立ち上がると、エメラーダの前に放り投げた。


「乱暴な真似をしたことを、お許しください。ひとまず、椅子にかけていただけますか」

 エメラーダは部屋にある椅子を指し示すと、そこにクラウディオを座らせた。


「まず、私は、蒼き剣にまつわる伝説について、語ったことはありません。ですが、なぜ『蒼き剣が世界を救う』ことを存じていたのでしょうか」


「ああ、それか」

 エメラーダからの問いに、クラウディオは観念したかのような顔になる。そして、口を開いた。


「そは伝説の蒼き剣。世界の危機にて現れん。王たるものが一振りすれば。世界は直ちに救われん」

 クラウディオの口から、蒼き剣の詩が出てきた。


 エメラーダは、クラウディオの前では、一度も蒼き剣の詩を諳んじたことはない。おまけに、ラプソディアでさえろくに知られていない。隣国であるカレドニゥスなら尚更、知られていないだろう。でも、なぜ知っているのか――


「なぜ知ってるんだと言いたげだな。それは、私が作ったからだ」



***


 エメラーダは固まった。今日この時、立て続けに不可解な目に会っている。そうであっても、なんとかして処理しようとしてきた。


 しかし、先程のクラウディオの発言は、明らかに性質が異なる。それというのも――


「聞きたいことは、それだけか?」

 クラウディオは質問していたが、エメラーダは相変わらず固まっている。

 いつまでも固まっていられない。とりあえず、エメラーダは深呼吸をした。


「クラウディオ様。一体、どういうことですか」

 冷静になろうと努めるも、その声は震えていた。


「代々、蒼き剣の詩が言い伝えられている。ソーディアン家のものの記憶を、そう書き換えたのだ」

 クラウディオは、観念したように答える。


「どういうことですか……」

 エメラーダは、その場に崩れた。


「やっぱな。おかしいと思ってたんだ。剣が世界を救うなんて」

 マックスが割りこむ。


「『伝説の』だの『選ばれし』だのっていうのは、ろくなもんじゃねえ。なんでか知らんが『預言者』として選ばれてる俺が言うんだから間違いない」

 こう語るマックスの口調は、確信に満ちたものだった。


「カオスの主に選ばれてることは光栄なんだから、そこは誇りなさいよ」

 ルシエルが、呆れたような口調で返す。


「こんなクソめんどくせぇことになってるのだって『あの女』のせいだろ!」

 マックスが叫ぶ。


「それにしても、古くからあるとされる言い伝えをでっち上げるとは。恐ろしいとしか言いようがないな」

 フォレシアが顔を歪めた。


「たとえカオスの力を持ってしても、起こったことを変える、すなわち、過去を変えることはできない。でも」

 ルシエルが笑顔になる。


「歴史を書き換えることは可能よ」


「どういうことだ」

 フォレシアが尋ねる。その顔は、歪んだままだ。


「それはね、今まで語られてきた歴史そのものを変えたってことよ。ついでに、その歴史に関わってるニンゲンの記憶まで変えたみたいね。中々の念の入れようだわ」

 ルシエルは感心したように答えた。


「ま、歴史を変えるなんてことは、別に珍しくもなんともないことだけどね。だいたい、歴史ってのは基本的に勝者が作ってるのよ。勝者に都合が悪いことなんて、なかったことにしたいじゃない。敗者の記録なんか残んないしね」


 こう語るルシエルの顔は、嬉々としたものだった。


「貴様ァ! 愚弄する気か!」

 今まで沈黙をしていたクラウディオだったが、ここにきて、口を開く。顔が真っ赤になっており、明らかに激怒している。


「なんでキレてるんですか。クラウディオ様のやってることって、そういうことでしょうが」

 マックスの右口角が上がる。


「あらぁ。あたしのこと、見直した?」

 ルシエルはマックスの周りを、くるくると飛び回る。


「チョコマカしてんじゃねぇよ。叩き落とすぞ」

 周囲を飛び回るルシエルを、マックスはしかめっ面で追う。


「だとすると、アナセマスの植物大発生と巨大ヌイグルミ出現は、クラウディオちゃんのせいってこと?」

 ヘッジが疑問を呈した。


「違う! それは、私ではない」

 クラウディオは否定する。


「『それは』って何?もしかして、元凶を知っちゃってる?」

 ヘッジは薄ら笑いをしながら、クラウディオの顔を覗き込んだ。


「確かに、私はソーディアン家の歴史を書き換えた。だが、それだけだ……」

 クラウディオは項垂れた。


「どのような方法で、歴史を書き換えたのだ。そもそも、何故、そんなことを?」

「それは……」

 フォレシアは質問したが、クラウディオは口ごもる。


「クラウディオ様。私も知りたいのです」

 エメラーダはクラウディオを見つめる。その眼差しは、不安と失望がないまぜになっている。


「少なくとも、エメラーダ様には説明する責任があるでしょうが」

 マックスはクラウディオを責める。


 クラウディオはエメラーダの方を向く。エメラーダの顔は虚ろなものに見えた。信用が地に落ちると、軽蔑すらしなくなるのであろうか。エメラーダの目は、虚無であった。


「エメラーダよ。私は、あなたのことを思ってやったのです。あなたこそ、王に相応しい。これは嘘偽らぬ思いです」

 クラウディオは許しを乞うように言う。


「でも、今のままでは、王になれない。だから、私はあなたを王にするために、歴史を改変したのです」


「待ってください。なんで、クラウディオ様が王にならないんですか」

 マックスが突っ込む。


「それは、私は王に相応しくないからです。なにせ、私は陰口を叩かれていましたからね。『クラウディオは軟弱で無能だ。カレドニゥス家はおしまいだ』とね」

 クラウディオは自嘲した。


「エメラーダは自ら前線に向かい、困難に立ち向かった。それにひきかえ、私は何をやったのでしょう? 私は部下に、命令もできなかった。ただ、右往左往していただけだ」


 クラウディオは目を見開いた。

「私は新たなる王を玉座に座らせる立役者! そして、新たなる王に仕える家臣! それでよかったのだ……」


「あいにく、俺には貴族のことはわかりませんが」

 マックスは一言入れたあと、こう続ける。


「エメラーダ様は王になることを望んでたんですかね。とてもそうには見えませんが。俺にしたら、エメラーダ様を矢面に立たせてるだけにしか思えないですけどね。王になりたいのは、クラウディオ様、あんたでしょう」


 マックスの嫌味に、クラウディオは歯ぎしりをした。

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