第46話 姉のこと、どうぞよろしく

 車内の空気はいろんな意味で最悪だった。ホテルに向かうまでの道中はまるで尋問である。


「それで? そんなにめかし込んでどうしたの? しかも行先がホテルとかさ。何、恋人でも出来た?」

「えっと、まぁ、あの、あとでちゃんと話すから」

「ふぅん。……まぁ良いや。それで? 麻美からは何て?」

「何て、って、何もいつも通りっていうか」


 その言葉がまずかったらしい。

 ちょうど赤信号で停車していて良かったと強く思った。


「はぁっ?!」


 ものすごくどすの効いた声と共に、ギッと睨みつけられたのである。私、お姉ちゃんなのに、どうして弟に睨まれてるんだろう。


「何だよいつも通りって。どういうこと?」

「どういうことって言われても」

「まさかと思うけど、頻繁にあるのか?」

「頻繁でもないと思うよ。月に二、三回くらいだし」

「二、三回? 頻繁じゃん」


 ちら、と後部座席の蓮君に目をやる。彼はドーナツの箱を持ったままうとうとしている。大丈夫、中は空だ。ゲームキャラとのコラボ商品なので、その箱が気に入ったらしい。


「ねぇ、まさかと思うけど、義孝は知らなかったの? 麻美さんが私に蓮君を預けてること」

「知るわけないだろ。だって蓮の世話があるからって店の手伝いをさせてないんだから。麻美が見てるもんだと。ちょいちょい蓮を連れてくのも友達んトコ行くって言ってたし」

「な、成る程」

「何回かは本当なんだろうけど、そのうちの何回かは姉さんに預けてたってわけか。どういうことだよ」

「どういうことって私に言われても」

「それで、姉さんになんて言って預けるわけ? 麻美はどこに行くって」

「し、知らないよ。そこまで深く聞かないもの。ただ、急用が出来たから預かってほしい、って」

「何時間」

「え、と。それは日によるけど。二……三時間くらいかな。とりあえず、ご飯食べさせて、遊ばせて。あっ、本当はもっと身体を動かす遊びが出来れば良いんだけど、ごめんね、私、そういうの得意じゃなくて」


 蓮君は果たして満足しているだろうか。こんないまの子どもの流行りもわかっていないようなおばちゃんが相手で。


「別にさ、遊び方はまぁ、期待してないっていうか。姉さんがそういうの苦手なの知ってるから良いんだけどさ。そんで、その食事代とか、かかった費用はどうしてんの? 麻美はちゃんとその辺払ってんの?」

「いや、もらえないでしょ。だって麻美さんは専業主婦だよ? 私は一応働いてるわけだし、それくらいは全然」


 それに、仮に働いていたとしても義姉の立場で費用は請求しづらい。義孝はハンドルに突っ伏すようにして額をつけ、はぁぁと深くため息をついた。そうしている間に信号が青に変わる。「義孝、信号」と声をかけると、あぁ、と言ってアクセルを踏んだ。


「マジでごめん。ちゃんとした額はわかんないけど、いくらか払うからさ」

「良いよ別に。私はほら、子育ての大変さとか知らないし、少しでも麻美さんの負担を軽く出来れば」

「あいつの負担、な。俺もそう思ってたんだよ。初めての子育てで、しかも同居でさ。その上、ウチは食堂だろ? 父さんと母さんは店の手伝いもしてほしかったみたいだけど、でも、さすがにそこまで俺も言えなくてさ。少しでも負担を軽くしてやりたいって思ってさ」


 食事は店で食べれば作らなくて済むし、幼稚園は店のすぐ近くに送迎バスが来てくれるから、見送りとお迎えは、父親自分でも、それこそ祖父母でも問題ない。店の手伝いを無理強いすることもなく、ママ友とランチに行きたいと言えば小遣いを多めに渡して快く送り出したりもした、と義孝は言った。


「それでもまだ足りなかったってことなのかよ。姉さんに蓮を預けてまで、遊びたかったってことなのか?」

「それは……わからないけど」


 申し訳ないけど、それ以上は夫婦の問題だ。私が首を突っ込む話ではない。とにかく、と強く言って、義孝は私を見た。


「姉さんにこれ以上迷惑かけないようにするから。ほんとごめん」

「私は別に。そんなに予定があるわけでもなかったし、蓮君には会いたいし」

「そう言ってくれるのは嬉しいけどさ、でも、クリスマスに一緒に過ごすような相手が出来たんだろ? 今後はそうも言ってられなくなるかもだしさ。――と、着いたな。ホテルの前で下ろすわ」

「あ、うん。ありがとうね」

「いや、元はと言えば麻美のせいだしな」


 ホテル利用者専用の降車スペースに車を停めてもらい、シートベルトに手をかける。外そうとしたところで「なぁ」と肩を叩かれた。


「何?」

「まさかと思うけど、あいつ?」

「何が?」

「なんかすっげぇ俺のこと睨んでるやついるんだけど、あれが姉さんの相手?」

「に、睨んでる?! ――あっ」


 慌ててドアの外を見ると、確かにものすごい形相でこっちを見ている人がいる。もちろん白南風さんだ。


「え、えっと。あの、そうなんだけど」

「なぁ、こっち向かってくるんだけど。もしかして俺、殴られるとかじゃないよな?」

「ま、まさかぁ!」


 とはいえ、誤解された可能性も大いにある。何せ私達は姉弟といってもまるで似ていないのだ。とにかく早く降りて説明しないと。説明っていうか、紹介? 弟です、って。


 ベルトを外し、ドアに手をかけたところで、苛立たし気に窓をノックされた。義孝が運転席側で操作して、窓を開ける。と同時に白南風さんが、「来てくれてありがとうマチコさん。まさか他の男の車で来るとは思わなかったけど」と、私ではなく、義孝に向かって言う。しかも、めちゃくちゃ早口で。


 他の男って! いや、確かに他の男ではあるけれども!


「どうも、初めまして。お世話になってるようで」


 それを受けた義孝も、何やら含みのある言い方で応戦である。

 

「ウチの、だぁ? おい、こいつ誰だよ、マチコさん!」


 割って入りたいのに、あのですね、と説明しようとしたところで、義孝が「ちょっと黙ってろ」と、私の肩を掴んで自分の方へと引き寄せる。


「お前が誰なんだよ。見たところ、コイツより若いみたいだけど」

「はぁぁ? 年齢なんて関係ねぇだろ。つうか、マチコさんから手を離せよ。コイツとか馴れ馴れしく言ってんじゃねぇ」

「お前がどこの誰で、どういう関係なのかを知るまでは離さない」

「なんだと!? お前こそマチコさんの何なんだよ!」


 私を挟んでぎゃんぎゃんと言い合っていると、さすがにこの騒ぎで後部座席の蓮君が目を覚ました。ふぇぇ、とぐずり始め、そこでやっと小さな子どもの存在に気付いたらしい白南風さんが「お前既婚者かよふざけんな」と怒り出す。駄目だ。さすがに私も黙っていられない。


「義孝、いい加減にして」


 私だってお姉ちゃんなんだから、これくらいのことは言えるのだ。ただ、かなり勇気がいるやつだけど。深呼吸して、掴まれていた手を振り払う。


「は? 名前呼び? しかもマチコさんがタメ口とか……」

「あの、白南風さん、違うんです」

「何が違うんだよ、マチコさん。俺のことはいまだに名前で呼んでくれないのに」

「それは、その……」

「はっ、何だお前、名前ですら呼ばれてないのか」

「うるさいな、これからだわ」 


 だよな、マチコさん、と振られ、反射的に「は、はい!」と返してしまう。それを受け、「な?」と勝ち誇ったような顔を義孝に向けた。その顔に、後部座席に手を伸ばして蓮君をあやしていた義孝がプッ、と吹き出して、「いや悪い悪い」と肩を震わせた。


「面白い子じゃん。それで、何? 君が姉さんの彼氏なわけ?」


 そう言ってくつくつと喉を鳴らす義孝に、私と白南風さんの、


「か、彼氏なんてそんな」

「姉さん?」


 という言葉が被る。

 それで、私の発言はスルーして、白南風さんの方だけを拾い上げた我が弟は、


「どうも、弟の義孝です。姉のこと、どうぞよろしく」


 とにんまり笑った。

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