第29話 そんなつもりじゃなかった

「今日も美味しそうだなぁ。白南風、ドレッシング。違う違う、そっちじゃなくてノンオイルの和風のやつ。――あ、そうだマチコさん」


 カウンター端に置いてあるドレッシングを白南風さんから受け取った岩井さんが、それをキャベツにかけながら私を呼ぶ。


「今日って遅番だったりしない?」


 かけ終えたドレッシングを当たり前のように白南風さんに押し付けて、こちらに視線を向けてきた。白南風さんはというと、立場的に逆らえないのだろう、嫌々ながらも応じている。白南風さんのB定食、唐揚げが冷めちゃうので、もう席に着いて食べてしまった方が良いのでは? それとも、そういうのも何か暗黙のマナー的なものだったりします?


 唐揚げも味噌汁も冷めてしまうし、ご飯も乾いてしまう。それにきっとお腹も空いているはずだ。それが不憫に思えて、さっさと会話を終わらせないとと、気持ちが焦る。この人の場合、下手にはぐらかしても、諦めが悪いのか、それとも私の反応が面白くてからかいたくなるのか、しつこく食い下がって来るのである。


「きょ、今日は遅番です! あの、どうぞ早くお召し上がりください!」


 だから、それだけ言うと、この話は終わり、とばかりに、安原さんと小林さんの後ろに隠れた。


「ちょ、マチコさんそれはなくない? さっき俺が聞いた時は答えてくれなかった癖に!」


 白南風さんの悔しそうな声が聞こえ、そういやさっき彼には個人情報を盾にして答えなかったのだと思い出す。


「はっはっは。そこが俺とお前の違いなんだよなぁ」

「はぁ?」

「二十七のガキはお呼びじゃねぇってこと。わかったらさっさとそれ食って作業に戻りな、若造」

「くそっ」


 そう吐き捨てると、白南風さんはトレイを持って行ってしまった。慌ててカウンターに駆け寄り、その背中に向かって「あの、違っ」と言いかけたところで、「あー良かった、こっち来てくれた。マチコさん、どうだろ、仕事のあと食事でも」と岩井さんに遮られる。


「結構です」


 それにスパッと返し、白南風さんの姿を目で追う。彼は窓側のテーブルでこちらに背中を向けて座っていた。


 またやってしまった。

 不用意に彼を傷つけてしまった。

 そんなつもりじゃなかった。

 岩井さんにだって同じように返せば良かった。だけど、この人は前にも似たようなことがあって、その時にしつこく食い下がって来たのだ。白南風さんが待たされているような恰好になってたから、早く話を終わらせないとって思って。


 いや、そんなものはただの言い訳だ。

 そんなことよりちゃんと謝らないと。


「そんなにあいつのこと気になるの?」


 カウンターで固まっている私の顔を覗き込んで、岩井さんが尋ねてくる。


「き、気になるというか。その」

「やめた方が良いよ、あいつまだ学生だしさ」

「わかってます」

「そう? なら良いけど。大人はさ、大人同士で仲良くしようよ。ほら、俺とマチコさんって同年代くらいでしょ? あ、大丈夫、レディに年を聞いたりはしないから」


 へらへらとそんなことを言って、「だからさ。ね、ご飯だけ。どう? 奢るよ」と畳みかけてきた。それにもやっぱり「結構です」と返す。


「あーらら振られちゃったわねぇ岩井さん。そんなに可愛い子とご飯行きたいなら、ほら、ここにもいるじゃない。あたし達で良ければ朝まで付き合うけど? あたし達明日休みだし」

「そうよねぇ、大人同士って話なら、あたし達も参加条件満たしてるわよねぇ。マチコちゃんだけとは限らないものねぇ」

「あらっ、何? ご飯? 行く行く。今日、ちょうど旦那の帰りが遅いのよ!」

「あらー、私も良いかしら。ご馳走さまです~」

「ちょっともー笹川さんったらちゃっかりご馳走になる気でいるの?」

「え~違うの~? だってマチコちゃんには奢るんでしょ? だったら私達だってねぇ」

「あ、そっか! そうよねぇ。じゃ、ゴチになりますぅ〜」

「え、あの、その」


 岩井さんは『学食のおばちゃん』達に迫られ、しどろもどろだ。おばちゃん達の結束力を舐めるなとばかりにぐいぐいと押されている彼は、「いや、さすがにこんな人数は」とか「僕の車、四人乗りで」などとどうにか断ろうとしているようである。そこへ、安原さんだけがその輪からサッと外れ「マチコちゃん」と私を呼んだ。


「もう三時だから休憩入んな。真壁さんがマチコちゃんの分の唐揚げも揚げてるから、パパっとB定作って白南風君トコ行きなさい」

「え、でも安原さん、岩――」


 岩井さんは。


「いーから! こっちはあたしらに任せて」

「でも、安原さん今日早番ですし、もう上がりなのでは」


 そう言うと、「ちょうど良いわよ。帰り仕度してしっかり足止めしといてあげる」なんて頼もしいことを言い、ばちん、とほぼほぼ両目を瞑ってしまっている瞬きのようなウインクをして、ビッと親指を立てた。


「ありがとうございます!」


 そう言って、ちゃっちゃと自分の分のB定を仕上げ、小林さん達が岩井さんの注意を引いてくれている中、私はこっそりとフロアへ出た。


「白南風さん」


 黙々とご飯を食べている白南風さんにこそっと声をかける。


「あれ、マチコさんどした。……それ何、B定?」

「そうです。あの、私、この時間から休憩でして。その」


 もし良ければ、ご一緒に。


 その言葉が出て来ない。


「あっそ。ここ座る?」


 と、隣の椅子を引く。


「い、良いですか」

「いーよ。あ、でもアイツに見つかるかな」

「アイツって」

「あのうるせぇやつ。いまは小林さん達が食い止めてくれてるみたいだけど」

「あ――……はい」

「あっちのさ、柱の陰行こ」

「わかりました」


 なるべく音を立てないようにして、そそくさと柱の陰に行く。確かにここの席はカウンターから死角になっていて、それを知っている学生さんが意図的にだろうか、トレイを放置して行ったりするのである。だから『定期的にチェックしないといけない魔のテーブル』なんて、私達の間では呼ばれているのだ。だけど今回はそれが逆にありがたい。


 柱の陰に隠れる前にちらりとカウンターの方を盗み見ると、どういうわけかその端で立ちながら定食を食べている岩井さんの姿が見えた。何がどうなってあそこで立ち食いすることになっているのだろう。よく見れば、隣で安原さんがコーヒー片手に笑っている。そういや足止めしてくれるって言っていたっけ。小林さんもカウンター越しに何やら話しかけている様子で、ベテラン二人に挟まれる恰好になっている。あれは逃げられない。

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