第30話 アイツだったらどうしてた?

「休憩って一時間? 四時まで?」

「そうです」

「そっか。俺、三時半だから先に上がっちゃうな。何だ、マチコさんの休憩が三時からってわかってたら三十分遅らせたのに」


 さすが男の人は食べるのが速い。

 もう既に白南風さんのB定食はキャベツと小鉢の切り干し大根がそれぞれ一口分くらいしか残っていない。


「あの、でもそれは遅番の時だけというか、それもその時の混み具合ですとか、他の遅番の方とどっちが先に行くかっていうのもその時の状況で」

「成る程、その時にならないとわかんないわけか」

「そうです」


 そんな会話をしながら最後の一口を食べると、白南風さんはペットボトルの緑茶をごくりと飲んだ。


 それをテーブルの上に戻し、「てかさ」と言って私を見る。


「さっきの何」

「へぇっ?!」


 鋭い視線を向けられて、おかしな声が出た。


「さっきの。何で俺には個人情報がどうだとか言って教えてくんなかった癖に、何でアイツには今日のシフトあっさり教えたわけ?」


 むすっと不満げな顔で頬杖をつき、「やっぱアレ? 年? それとも准教だから? まさかと思うけど、あんなのがタイプなん?」と、ジト目で睨んで来る。


「ま、スマートでカッコ良いんだろうな。なーんかいっつも仕立ての良いスーツ着てるし。金持ってそうって、騒いでる女いたし。何より『大人』だもんな。マチコさんより『年上』の!」


 殊更『大人』と『年上』という単語を強調して、つん、と口を尖らせる。


「あ、あの、白南風さん。聞いてください。違います。その、別に全然タイプとかではないです。ほんとに」

「なぁ、俺のプロポーズは即答でNOだったけどさ、それがアイツだったらどうしてた?」

「え」

「俺と岩井さん、まぁまぁ被ってるところはあると思うんだよ。つってもまぁ、見た目が良いってところくらいだけど。あとはまぁ、大学関係、ってとことか。だけどさ、決定的に違うところがあるわけだよな。年齢と、職業。俺は五つ下だけど、あいつは三つ上だ。そんで、俺はまだ学生。まぁあと数ヶ月で助手になるけど、アイツは准教。社会的地位も収入も圧倒的に上。悪かったな、俺、告白とかしたことないし、何をどう言えば伝わんのかとか、考えたこともなかったし」

「あの、白南風さん」

「プロポーズがアイツからだったら、受けてた?」


 答えてよ、マチコさん、と縋るような視線を向けられ、たじろぐ。

 

「わ、私――」


 岩井さんなら。

 もし仮に岩井さんだったら。

 私が引っ掛かっている『年齢』の部分はクリアだ。スペックはどう見ても私にはもったいないくらいで気が引けるけど。いわゆる、好条件である。こんな人が相談所あそこに登録されていたら、申し込みが殺到するだろう。だけど。


「わかりません」

「何で」

「だって、岩井さんのこと、何も知りませんし」

「何それ。じゃあ俺は、ある程度知った上で断られたってこと? もう勝ち目ないわけ?」

「それも、わかりません。ごめんなさい」

「何だよそれ」

「だって、本当にわからないんです。あの、私だって、顔合わせで良い感じだったとしても即結婚するわけではありませんからね?」

「そうなの? ああいうのって、会ってみて良い感じだったら即結婚するんじゃないの?」

「さすがにそれはないです。『良い感じだったら結婚』じゃなくて、『交際』するんです。ただもちろん、通常の恋愛結婚よりも入籍までのペースは早いとは思います。何せ、結婚を前提とした交際ですから」


 そこまで言って、トレイの上のお冷を飲む。


「それで、あの、さっき遅番だって岩井さんに言ったのは、あの人はしつこいので、下手にはぐらかしたら話が長くなると思ったんです。白南風さんはああ言えば、すぐに引いてくださいますけど、岩井さんは前にもああいうことがあって、しつこく食い下がって来たので」

「まぁ――……あの人はそういうところあるな」

「早く話を終わらせないと白南風さんのB定が冷めちゃうと思って、それで。軽率でした。深い意味はほんとになかったんです。すみません」


 ぺこっと頭を下げると、はぁぁぁぁぁ、と深い深いため息をつかれた。え、えええ。もしかして許してもらえなかったりします?!


「くそ」

「あの、白南風さん?」

「焦った」

「はい?」

「焦ったわ。マジで」

「あの」

「あんなおっさんに負けんのかって」

「あの、三十五歳はおじさんではないと思います」

「何でだよ。三十二のマチコさんは『おばさん』なんだろ? だったら三十五の男は『おっさん』で良いじゃん」

「かも、ですけど」


 くしゃくしゃと頭を掻いて、尚も「くそ」と呟き、「あのさ」と疲れたような声を出す。


「俺だって、准教なんかすぐだから。絶対」

「はぁ」

「年の差は埋めらんねぇけど。こればっかりはどうにもなんねぇけど。俺はアンタのこと年上だなんて思わないからな」

「それは、無理があるのでは」

「無理なわけない。第一、どこの世界に二十七の学生にオドオドして敬語使う三十二の社会人がいるっつーんだよ」

「え、と。ここにいます、けど」

「うるさい。いない。そんなやつはいない。だから俺はマチコさんを年上の、ましてやおばさんなんて今後一切思わない」

「そんな。白南風さんがどう思おうと、私が年上である事実は変わりませんよ。あの、おばさんってことも」

「いーや、変わる。俺の気持ち的に変わる。あと、自分のこと『おばさん』とか言うのやめな。アンタは、俺の可愛いマチコさん、以上」

「そんな」


 ハイ決定、とこちらの意見をまるで無視して、白南風さんは壁にかかっている時計を見た。あと五分で彼の休憩が終わる。


「そうだ。さっきの、詫びるならさ」

「はい?」

「さっきの、俺には教えてくれなかった癖に、アイツにはあっさりシフト教えたやつ」

「あ、はい。あの、ですから、すみません、って」

「それじゃ足りない。俺は深く傷ついたから」

「ええ」

「だから、今日一緒に帰ろ」

「いや、あの」

「八時まででしょ。待ってる。飯行こ。それで許してやるから」

「あの、でも、もう夜はかなり冷えますし」

「待ってるから」


 来なかったら風邪引くわ、マチコさんのせいな。


 そんなとんでもないことを言って、白南風さんは席を立った。

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