第31話 『分相応』の結婚

「お帰り、マチコちゃん」

「白南風君とお話出来た〜? って、ちょっとどうしたの、すごい顔してるじゃない!」

「やだ、ほんと! どうしたの!? 真っ赤よ!?」


 休憩明け、私を出迎えてくれた小林さんと笹川さん、真壁さんが目を丸くする。安原さんはもう帰ったらしい。


「いえ、あの、何でも……」

「なくはないでしょ!」

「具合悪いの!?」

「違うんです。そういうのでは本当に」

「ということは白南風君ね……。ウチの可愛いマチコちゃんに何してくれてんだあのガキ」

「お、落ち着いてください。あの、笹川さんは包丁を一旦置きましょ?」


 ちょうど包丁を研いでいるところだったらしい笹川さんの目が据わっていて大変恐ろしい。真壁さんに至っては謎にトングをカチカチ鳴らしているし。威嚇!?


「ちょっともうね、私一度じっくりマチコちゃんとお話したい」

「じっくりお話って何ですか?」


 もしや一対一でお説教とか?!


「女子会よ、女子会」

「ちょ、笹川さん。ウチらの年齢で『女子』は痛いでしょ」

「良いのよ、こういうのはね、言ったもん勝ちなの」

「成る程、勉強になるわぁ。え、じゃあどうする? あたしら上がった後で笹川さんと真壁さんと待ち合わせて、四人でご飯でも行く?」

「あら、良いわね。よくよく考えたらマチコちゃんとご飯なんて最初の歓迎会きりだもの」

「じゃあたし、お勧めのお店が――」

「ま、待ってください」


 私を囲んで急に盛り上がり始めた三人の前に手をかざして、待ったをかける。


「どうしたの、マチコちゃん」

「もしかして何か予定でもあった?」


 ここの人達は知ってるのだ。私に現在恋人も、恋人になる予定の人もいないということを。そして、これといった趣味もなく、いつもまっすぐ帰宅していることを。だから、普段は予定なんて常にガラ空きだ。だけど。


「あの、実は」


 これはもう話すしかない、と覚悟を決めた。お客さんの入りは相変わらずぽつぽつで、ここの学食は単なる飲食スペースとしても機能しているため、持参したパンやお菓子、ジュースを飲む学生さん達も多い。皆が皆、ここで食事を注文するわけではない。


 なので私達はお茶を淹れ、チラチラとカウンターを気にしながらの談笑タイムとなった。私がその話題の中心になったのは、初めてのことだ。


 それで、今日の仕事上がりに食事に誘われた、という話をしたのだが。


「えっ、何」

「それじゃ、この後白南風君と!?」

「待って待ってマチコちゃん、いつの間にそんなことになってたのよ!」


 それがね、と小林さんが名刺の一件を話す。といってもただ名刺を渡された、という話だけど。


「あの白南風君がねぇ……」

「それで? マチコちゃんはどうするの?」

「良いじゃない、年下でも」

「もしかしてアレ? 過去の女性遍歴が気になっちゃう、ってやつ?」

「こらっ、笹川さん! そういうのはね、言わないとバレないんだから!」

「隠したってバレるわよぉ、なんたって白南風君よ?」

「ま、それもそうね」


 真壁さんと笹川さんが盛り上がる。その『なんたって白南風君よ?』というのはどういう意味だろう。まぁ、大層モテてらっしゃったのは存じ上げてますけど。


「まぁまぁ笹川さんも真壁さんも。こっちで勝手に決めちゃ駄目よ。こういうのは本人の気持ち!」

「やだ。ついつい」

「そうよね、ごめんねぇマチコちゃん」

「いえ、そんな」


 でも、本当に、私の気持ちなのだ。大事なのは。


「マチコちゃんがどうしたいかよ。待ってるって言ってたみたいだけど、どうしても断りたいならあたしから言うことも出来るし」

「小林さんに言われちゃあ引くっきゃないわよねぇ」

「そうね。ウチのナンバーツーですもん」

「裏ボスよ、裏ボス」

「ちょっと、二人共! 言っときますけど、あたし、ここでは二番目に若いんだからね!?」

「でもー、社員だしー?」

「社歴もあたしらより長いしー?」

「でも二人ともあたしより十は上でしょうが! いや、それは置いといて、よ。どうする、マチコちゃん?」

「うあ、あの、ええと」


 本当にどうしたら良いか、わからないんです。


 そう絞り出すように言うと、三人は顔を見合わせて、「困ったわねぇ」と呟いた。


「白南風君のことは? 嫌い?」


 まるで小さな子どもに尋ねるような優しい声で真壁さんが言う。それにふるふると首を振る。別に嫌いなんてことはない、と思う。ただちょっと押しが強くてびっくりするというか、そういうのに慣れてないだけで。


「もし仮に、本当に白南風君がマチコちゃんのことを好きだとして、年の差なんてなかったら、付き合っても良いかなとか思う?」


 小林さんの声だ。


 もし、年の差がなかったら。


「えっ、それって、三十二の院生だったらってこと? 無職?! えー、無職かぁ。まぁでも、夢を追う? って考えたら、うん、まぁ――……どうなのかしら」


 そこに笹川さんの指摘が入る。


「ちょっと笹川さん、そういう余計な事言わないの! いまはもしもの話をしてるんだから!」

「あらやだ! そうだったわ! 忘れて、マチコちゃん!」


 慌てる笹川さんに「大丈夫ですよ」と返しつつ、「でも」と私は小林さんに向き直った。


「もし、白南風さんが同い年とか同年代だったら、ここまで悩んでいなかったかもしれません」


 私はきっと、どうしてもそこなのだ。

 年齢が。

 そこが引っかかってる。

 

 相談所あそこでは正直『まだ三十二』と言ってもらえる年齢ではある。まだ間に合う、そういう年齢だ。といっても、悠長なことは言ってられないけど。


 相談所での男性利用者は、自分よりも若い年齢の女性を検索する。相談所を利用してまで結婚したい男性の目的はそのほとんどが『子ども』だ。だから、確実に子どもを産める若い女性を探している。四十代の男性でも、検索でチェックに入れるのは二十代だ。三十代も前半ならぎりぎり引っかかる。だからまだ私でも紹介してもらえる。私は三十二だから。


 たった数ヶ月在籍しているだけの相談所だが、私はもうここでの婚活が染みついてしまっている。自分が望めるのは、自分よりもずっと上の年齢の人で、子どもについても身体的、経済的に諦めているような人で、ご両親との同居が既に決まっていたり、はっきりと言われてはいないが介護要員としてだったりもする。


 だけど、それは夫婦の多くがいずれは直面するかもしれない未来でもある。若いうちに結婚したとしても、親の介護の問題はいつかやってくるのだし、それに伴って同居の話が持ち上がる可能性だってある。子どもだって、若いからといっても絶対に出来るという確証はない。それがちょっと早く訪れるだけだ。


 そう考えていた。


 それが自分にとって『分相応』の結婚なのだと。 

 まかり間違っても、この年齢で、逆転ホームランみたいな、『年収一千万、年齢は二十代で高身長、高学歴。もちろん顔も良くて、専業主婦をさせてくれる人』なんていうのは現れないと思っていた。ちなみにこれは私の希望ではない。相談所の奥のブースから、時折聞こえてくるやつである。皆が声を潜めて相談員さんと話をする中、耳をつんざくような叫び声がしたと思ったら、大抵がこれだ。こういう条件の男をいますぐに紹介せよ、という。


 私はああなるまい。

 そう思っていた。自分はちゃんと『分相応』の結婚をしよう、と。


 思い上がるな。

 夢なんか見るな。

 誰もが振り返るようなイケメンが、二十七歳の未来ある院生が、私のことを好きになるなんてドラマみたいなことが起こるわけがない。

 自分には、自分に合った人がいる。


 そういった内容を、婚活の部分は伏せつつ、しどろもどろになりながら話す。

 

 すると、私を囲む三人は、ほぼ同時に、ぷっ、と吹き出した。

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