第3章 簡単に落ちてはいけない

第28話 どっちを選ぶと言われても!

「プロポーズ、かな。この場合」


 なんてことを言われて。

 それに対して思わず反射的にNOの返事をしてしまったけれど、果たしてこの選択は正しかったのだろうか。


 サチカさんとのアレコレというか、例のプロポーズの話があってから二ヶ月。私はずっとそれについて考えている。


 白南風さんが自分より五つも下の前途ある院生さんじゃなかったら、即受けていただろう。だって断る理由がない。この仕事を続けても良いと言ってくれているし。女性関係は――、まぁ男性はある程度、そういうのがあるものだと言う人もいたし。


 じゃあなぜ私は断ったんだろう。


 五歳も下だから?

 まだ学生さんだから?


 だけど彼は来春には卒業が決まっていて、笠原教授の下で助手の仕事に就くことが決まっているのだ。私が常日頃、相談所の後藤さんに言っている、「相手の収入は特に気にしない。この仕事を続けさせてもらえて夫婦二人で助け合って暮らしていければそれで良い」の相手であることには変わりない。


 それでも断ったのは。


 やっぱりたぶん年齢だ。

 白南風さんはどんな女性でも選べる立場にあるのに、それを私で妥協させてしまう気がして、それが彼の人生を狂わせるようで怖いのだ。


「マチコさーん」

「あーら、本日もきっちり二時半ね」

「毎日熱心だこと」


 B定食の食券を差し出しながら、白南風さんがカウンターに頬杖をつく。


 私が「ごめんなさい」と言った後、


『まぁ、すぐにオッケーもらえるとは思ってないから良いや。今日のは軽いジャブってことで引くよ。でも、諦めないから。頭の片隅に置いといて』


 特にへこたれる様子もなくそんなことを返してきた白南風さんは、それからはほぼ毎日、きっちりと二時半に学食ここへ来るようになった。何事もなかったかのような顔をして。いや、一歩も二歩も近づいているような馴れ馴れしさとか、表情の明るさからして、『何事』は彼の中でもしっかりあったんだろうけど。


 最初はたまたまかと思ったけど、さすがに四日続いた時点で「院生ってこんなにきっちりお昼の時間決まってるものなの?」と職場内で話題になったのである。常連である学生さん達でさえ、その曜日の講義によって利用時間はまちまちだ。もちろん中には院生さんもいる。だけど彼らだって利用時間にはばらつきはある。大学には毎日のように来ているらしいが、曜日によって講義の数も違うし、それとは別に研究があるし。


 そこで自称名探偵の安原さんが「わかった!」と膝を打った。そうしてから「しまった! 手袋したまま膝触っちゃった!」と慌てて使い捨て手袋を脱ぐ。それを専用のごみ箱に放りながら、安原さんはこう言った。


「この時間ならマチコちゃんが確実にいるからよ。だってそうじゃない? 早番だったら三時には上がっちゃうもの」


 と。

 その言葉に、その場にいた面々が「おお」と声を上げる。小林さんも何やら気難しい顔をして、成る程、と頷いた。


「確かにピークタイムを避けようと思ったら二時半以降になるわよね。かといって三時過ぎたら早番の時は上がっちゃうし。さっすが鋭いわ、安原さん!」

「ふふっ、亀の甲より年の劫ってね! 伊達に毎週かかさず『火曜ミステリ劇場火ミス』見てないわよ!」

「あたしも見てるわ、火ミス! いっつも出て来る探偵役の俳優さんが素敵なのよねぇ!」


 誰一人異を唱えることもなく、やんややんやと盛り上がったわけだけど、私だけはさすがにそんなことはないんじゃないのかな、と思っていた。だけれども、こうも毎日同じ時間に現れてマチコさんマチコさんと声をかけられては、もしや、と思わないでもない。

 

 それで、だ。

 B定の唐揚げを揚げていた遅番パートの真壁さんが、私に向かってぽつりと囁く。


「正直なところ、どうなのよマチコちゃん」

「どう、って何がですか」

「白南風君よ。ここの人達はみーんな、白南風君がマチコちゃんに気があるって思ってるけど。だってここ最近ずっとよ?」

「まさかそんな」


 まぁ、プロポーズはされちゃったんですけども。まぁでもあれは絶対に一時の気の迷いっていうか、そういうのだと思うし。質の悪いジョークの線もまだ捨てきれない。


「まぁ仮によ。白南風君にその気があったら、どうなの? マチコちゃんっていま彼氏とかいなかったわよね?」

「いませんけど」

「ちょっとお付き合いとか」

「どうでしょうか。その、年も離れてますし」

「関係ないわよ。そんな十も二十も離れてるわけでもなし」

「ですけど。白南風さんはなんていうか、その、私にはもったいなさすぎるというか」

「そぉ? マチコちゃん美人だし、私は良いと思うけどなぁ。ちょっと考えてみたら? ――はい、唐揚げオッケー。仕上げよろしく」

「わ、わかりました」


 白南風さんとの交際に対してか、はたまたB定の仕上げに対してかわからない返事をし、バットに乗せられた揚げたての唐揚げを受け取る。それをあらかじめ千切りキャベツを用意しておいたお皿の上に盛り付けた。ご飯とお味噌汁は遅番パートの笹川さんが既にトレイの上に準備してくれている。


「B定上がります!」


 そう声を出して、カウンターに運ぶ。それを提供するのは安原さんだ。


「はーい、B定お待ちどうさま」

「あざす。――あ、そうだマチコさん、今日のシフトって?」


 ずい、とカウンターの中を覗き込むようにして白南風さんが問い掛けてくる。


「マチコちゃん、ご指名だけどどうする?」

「え、あの、い、いまは仕事中なので。それに、そういう個人情報は」

「ですってよ、白南風君? 聞くにしても、理由がないと。どうしてマチコちゃんのシフトを知りたいわけぇ?」

「もしかしてデートのお誘いとかぁ~?」


 後ろにいる私を守るように、安原さんと小林さんがサッと肩を寄せて壁を作ってくれる。なんて心強い壁だろうか。


 と。


「おいおい、白南風~。お前こんなところで油売ってるんじゃないよ」


 もう一つの声が割り込んできた。このちょっとねちっこいトーンは――、


「やぁやぁ皆さん。本日もおきれいですね。いやぁ幸せだなぁ、毎日こんな美人さん達に飯を作ってもらえるとか」


 准教授の岩井さんである。この人もまたこれくらいの時間に来るのだ。さすがに白南風さんとは違って毎日ではないけど。


「んまぁ、毎度毎度歯の浮く台詞をありがとうねぇ岩井さん」

「はいはい、ここは美人が作ってるから何でも美味しいのよ〜。B定ね。B定入りまーす!」


 安原さんの声に、私と真壁さん、笹川さんが声をそろえて「B定入ります」と返す。ミスを防ぐために、どんな時でもオーダーは必ず復唱するのがルールだ。


「これは……面白いことになりそうね」

 

 唐揚げを揚げる真壁さんがそんなことを呟いてにやりと笑う。

 そこへ、ご飯をよそった笹川さんが、さささ、とその隣に移動してきた。


「真壁さんも気付いた? 私もそんな気がしているの」


 笹川さん?


「たぶん小林さんも安原さんも気付いてるわよね?」

「そりゃそうよ。あの二人よ?」


 そんなことを言いながら、笹川さんがこちらに向き直る。


「来たわね、マチコちゃん」

「え。何がですか?」

「モテ期よ、モ・テ・期!」


 トレイの上にお茶碗を置き、味噌汁を盛る。そろそろ唐揚げも揚がる頃だ。


「は、はぁ?!」

「ねぇちょっと、どっちを選ぶ~?」

「どっち、と言われましても」

「片や将来有望そうな年下イケメン、片やちょーっと癖があるけど同年代の准教授!」


 岩井さんに至っては『ちょっと』どころではないと思うけど。


「三十五で准教授って、そこそこ優秀と見て良いのかしら。あたしちょっとそういうのわからないのよね。でも、そう考えると、白南風君は博打みたいなところあるし」

「博打ですか?」

「そうよ? だってほら、笠原教授の助手やるって話だけど、そこから順調に准教になれるかなんてわからないわけじゃない? そう考えたら既に准教の岩井さんにしとくってのもアリ……?」

「さ、笹川さん!」


 ずいずいと迫って来る笹川さんに辟易していると、抜群のタイミングで真壁さんが唐揚げのバットを寄越してくれる。


「はいよ、唐揚げ~」

「は、はい! B定上がります!」


 天の助け! とそれを受け取り、ささっと盛り付けてカウンターへと運ぶ。後ろで「あら、逃げられちゃったわ」という楽しそうな笹川さんの声が聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る