第34話 白南風さんとの食事

 テーブルの真ん中に、どん、と置かれたカセットコンロ。その上には土鍋が乗せられている。『なべ屋』という店名の居酒屋だ。その名の通り鍋の専門店なのかと思えば、どうやら店主の名前が『渡辺わたなべさん』というだけで、別に鍋の専門店ではないのだとか。この店を選んだ白南風さんがそこまで知っていたので常連なのかと思えば、そうではないらしい。


 最近寒いし、絶対いつかマチコさんと来ようと思ってたんだ、なんてことを言いながら、メニューをこちらに向けて来る。


「なんか、この地鶏鍋が絶品らしくて」


 そう言って指を差すと、温かいお茶を運んで来た店員さんが「あっ、それウチのお勧めですね。ぜひぜひ。先にお持ちしますんで、煮えるのを待ちながら他のメニュー選んでいただくとか、どうでしょう」と割り込んできた。


「そうする? あーでも、こっちの味噌のも美味そうなんだよなぁ。いや、やっぱアレか? 女性はこのコラーゲン鍋とかいうのが良かったり……? どうする、マチコさん」


 眉間にしわを寄せて、悩むなぁ、と唸るのが、なんだかおもしろい。あの、別にコラーゲンは良いです。間に合って……はいないけど、良いです。


「あの、せっかくなので、お勧めのを」


 そう答えると、店員さんはそれはそれは威勢よく「ぁああいっ! 地鶏二人前入りまァす!」と叫んだ。そのボリュームに思わず身体が震える。彼が去った後で、「びっくりさせてごめんな。なんかあれもここの名物らしくて」と、白南風さんが悪い顔をする。言われてみれば、あちこちからとんでもなく威勢の良い声が聞こえてきて、成る程、と思った。あの、心臓に悪いので事前に教えてもらいたかったです。



 それでいま、私と白南風さんの間には、カセットコンロと土鍋が置かれている、というわけだ。


 何を話したら良いんだろう。


 私はひたすらそればかりが気になる。

 そう長くもない暖簾で仕切られた座敷で、私はずっと緊張しっぱなしだ。


「マチコさん」

「っは、はい」

「いやそんな、肩の力抜きなって。ただの飯じゃん」

「そう、なんですけど」

「男と二人で飯とか、あるでしょ」


 その、婚活でさ、と伏し目がちに白南風さんが言う。たしかに、それは、ある。けれどそれはあくまでも『顔合わせ』であって、お互いの人となりを探ったりだとか、今後のすり合わせ、などといった目的があるやつなのである。だから、話題もあるにはある。単なる情報収集といえばそれまでだけど。


「でも、こういうのは、ないです」


 こういうのは、というのは、つまりは、そういったものを抜きにした純然たるお食事、という意味だ。決して『デート』とまで踏み込んだやつではない。そのつもりでそう言った。


 のだが。


「っそ」


 短い言葉を吐き出した白南風さんは、何だか驚いたように目を見開いていてから、


「そ、そか」

 

 とちょっと声を詰まらせた。


 それで、仕切り直すように咳払いをしてから、メニューをこちらに向けてくる。


「鍋だけじゃ足りんし、マチコさん、何か頼も」


 そう話す白南風さんの顔が赤い。わかる。何せ目の前に鍋があるのだ。私もちょっと暑い。


 あんまり脂っこいのとかは駄目かな、とか、

 鍋の後はアイス行くよな? とか、

 あれ、やっぱ女性だしサラダとかいる? 


 などと、彼が話しかけてくれるのをありがたく思いながら、私はとにかく頭を縦に振ったり横に振ったりしていた。私も何かしゃべらなきゃ、しゃべらなきゃと思うものの、ちっとも出て来ない。


 こんなんじゃきっと、つまらないと思われる。

 

 どうしようと気持ちばかり焦っていると、「酒はやめとこ」と言って、白南風さんが笑いかけてきた。


「苦手なんですか?」


 そう聞くと、


「いや? そんな強いわけじゃないけど、普通に飲むよ」

「車じゃないですし、別に」


 飲んでも良いのでは? 


 だって明日は土曜日だ。そう思ってアクリルスタンドに立てられているアルコールのメニューに手を掛ける。すると、「いや」と彼は首を振った。


「酔った勢いでどうこうなったら嫌じゃん」

「え」

「そりゃ、頑張って耐えるつもりではいるよ!? いるけどさ。でも、わからんし、正直。嫌でしょ、そんなの」

「そ、れは確かに」


 そうか、そういうこともあるのか。そんなことにいまさら気が付いて、顔がかぁっと熱くなる。


「あのね、誤解しないでほしいけど、酔った勢いでとか、俺元々そういうやつじゃないからな? ま、まぁ――……セフレがいたようなやつの言葉は信じられないかもしれないし、無理に信じてくれとは言えないけど」


 でもさ、と言って、両手で顔を覆う。


「万が一、マチコさんがしなだれかかってきたらさすがに無理っぽいから。だからお願い、お互いに酒は無しで」

「あ、は、はい。それはもう、はい」


 まぁ正直なところ、そんな経験のまるでない私だ。もしかしたらお酒の力もでも借りなければそんな展開に持ち込めないかもしれないけど、でも、勢いで、なんていうのはやっぱり嫌だ。


「あと、マジでさ。ほんと緊張する必要ないし。ただの飯だよ、ほんと。食ったら帰る。二軒目も行かない。これでどう?」

「た、助かります」

「欲を言えばもうちょい肩の力抜いてくれると良いんだけど。まぁいいや。あんまり言い過ぎんのも逆効果っぽいし」


 気を遣わせてしまったことを申し訳なく思いながら、「善処します」と返すと、


「それ絶対善処しない人のやつな」


 数ヶ月前と同じ言葉を返される。あの時と違うのは、白南風さんが楽しそうに笑っているという点だ。


 その後も、特に会話が弾んだという記憶はない。

 白南風さんは大学でも家でもやはり何かと忙しいらしく、のんびりテレビを観る時間もないらしい。だけど息抜きは必要ということで、馴染みの古書店に寄っては小説を何冊か買い、あのカフェで読むのだという。


 あの作家は外れがないとか、

 新境地を開拓しようとして失敗したとか、

 それくらいの内容ではあったけど、私はただその話に頷いたり相槌を打ったりするだけだった。

 せめて料理を取り分けようとしたけど、「別に女がやんなきゃってもんでもないでしょ」と、トングを没収されたりして。


 私といて楽しいのだろうか。

 こんなので大丈夫なんだろうか。

 そんなことばかり考えるけど、白南風さんは終始楽しそうだった。


 それで、お会計の段になって、私が伝票を手に取ると、ものすごい勢いで止められた。


「おいまさかと思うけど、奢るとか言わねぇだろうな」

「えっ。だってこれはその、今日のお詫びっていうか」

「いやいやいやいや、違うから。詫びの部分は『一緒に帰る』のと、『飯を食う』で終わり! 会計は別の話!」

「だとしても、白南風さんは学生さんじゃないですか」

「だけども! 大丈夫だから! ちょ、その伝票貸せ!」

「駄目です! 私が払います!」

「俺が出すっつってんだろ!」

「駄目です!」

「だー、もう! じゃせめて、ワリカンだ! 半分出す! これで良いだろ!」

「わ、わかりました。でも、明日からもやし生活とかになりませんか? 本当に大丈夫ですか?」

「大丈夫だから! それはほんとに!」


 などというやりとりを経て、会計を半分にし、私達は店を出た。


 お店の人に呼んでもらったタクシーが到着するのを待っている間にお互いの連絡先を交換した。白南風さんの電話番号やメアドは名刺に書いてあったけれど、もっと身近なメッセージアプリのIDを教え合ったのである。もうすっかり連絡手段はこのアプリが主流だ。


 それで、先に来たタクシーに私が乗ることになって――、の前に白南風さんが私の前に手を出して来た。


「最後にもっかい繋いで良い?」


 前をまっすぐに見たまま、手だけを向けて。だから私も、彼の顔を見ないようにして、小さく頷き、その手を取った。温かいものを食べたばかりの私達の手はまだ十分に温かい。


「帰ったらまた連絡する。お休み、マチコさん」

「おやすみなさい」


 なんだかまるで恋人同士みたいだ。なんてうっすら思ったけど、まだそんな関係ではない。白南風さんも特に焦って距離を詰めるつもりはないようで、改めて告白してくることもなかったし。でも、それで良かった。今日のところは、それで。

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