第35話 学食のおばちゃん達との飲み会

「……ですから、その、本当に食事をしただけ、と言いますか」


 翌日の夕方である。

 デザートの種類が豊富だという創作居酒屋である。

 とりあえず昨日の遅番メンバーだけで集まり、白南風さんとのお食事の報告会が開催されたというわけだ。もちろん白南風さんにもその旨――恐らくあれこれ突っ込まれるだろうと伝えたのだが、


「まぁ女の職場だし、そうなるだろうなとは思ってた。良いよ、むしろ公認の方がやりやすいし。外堀から埋めんのも悪かないよな」


 と笑っていた。外堀からとか正直に言っちゃうんですね?


 別にお付き合いが始まったわけでもない。

 

 ただ、ちょっと『文字通りに』抱き合っただけだ。手を繋いでお店まで移動して、向かい合って座って、二人前の鍋と、それから何品かを注文し、それを食べただけだ。酔った勢いで――、なんてことになったら困るとお酒もなし。これといって面白みのない話をぽつぽつとして、お互いの連絡先を交換した。去り際にもう一回手を繋いで、それで、タクシーを拾って帰宅した。まだ家を教えるのも早すぎるし、白南風さんの方でも、いま家に行ったらヤバいと言っていたからだ。


 また連絡する。


 そう言って、白南風さんは、私を見送ってくれた。寝る前にお休みのメッセージが来て、それに返して布団に入り、朝は『おはよう』も届いていた。なんのキャラかわからないが、可愛らしいスタンプが押されていて、思わずクスリと笑ってしまった。


 お付き合いには至っていない。もう少しだけ時間が欲しかったのだ。まだちょっと踏ん切りがつかない。


 と、そんな報告をして。


「これは……大いなる一歩ね」


 ふむ、といかにもな表情で真壁さんがグラスを呷る。


「えっ、でも、食事だけですけど」

「なぁーに言ってんのよ! 食事だけじゃないのよぉ」

「そぉよ。マチコちゃんの心が動いた、って話よぉ」

「な、成る程……」

「だぁって、ちょっとは白南風君のこと良いな、って思ったんでしょ?」

「それは、まぁ」

「良いじゃないのぉ。もうね、一気に結婚まで畳みかけちゃいなさいな」

「えぇっ」

「善は急げよ。いまは晩婚だーなんて言われてるけど、子どものこと考えたら早い方が良いし」

「やぁね笹川さん、そういうのは二人で話し合って決めることよ? こっちがやいやい言っちゃあ駄目よぉ」

「やだ、そうよね。ごめんなさいねぇマチコちゃん」

「いえ、私は別に」


 結婚。

 あんなにうまくいかなかったそれが、いまは少しだけ近くにある。


『良いよ別に、何ならその先に『結婚』があっても』

 

 数ヶ月前の白南風さんの言葉だ。

 本当の彼女にならないかと言われて、それで、餌をちらつかせるかのように、そう言われたのだ。私が望んでも望んでも、どれだけ手を伸ばしてもつかめなかったそれを、彼はいともたやすく提示してきたのである。


『俺はさ、俺のことなんか全然好きじゃないマチコさんが良いんだ』

『俺のことを全然好きじゃないマチコさんと恋がしてみたいんだよね』

『俺に恋をさせてよ、マチコさん』

『駄目だよ。他の女はすぐに落ちる』

『大丈夫、マチコさんはそう簡単に落ちたりしない。年下は考えてないんでしょ?』


 そうだ、彼はそんなことも言っていた。

 私が彼のことを好きじゃないから。

 他の女性のようにすぐに落ちたりしないから。

 そういう私を落としたいのだと。


 じゃあ、そう簡単に落ちてしまったら駄目なのでは?

 落ちた時点でお役御免になるのでは?


「どうしたの、マチコちゃん。なんだか顔色が悪いわよ?」

「いえ、大丈夫です。ちょっと大事なことを思い出したというか」


 そうか、そうだった。

 そういう話だった。

 危うく簡単に落ちてしまうところだった。


「大事なこと?」

「あの、実は」


 多少のお酒が入っている私は、それらも話した。だから私はそう簡単には落ちてはならないのです、と。


 が。


「あっはははははは!」

「やぁーだ、そうなの?!」

「ちょっともー、白南風君ったら!」


 めちゃくちゃ笑われた。


「え、あの、何で」


 皆、私よりもお酒が入っているからか、大層な盛り上がりぶりである。


「あのね、マチコちゃん。もうそこまでいったら関係ないわよぉ」

「へ」

「だって白南風君の方が、もうしっかりマチコちゃんに落ちてるじゃない」

「先に向こうが落ちたんだから、そんなの無効よ――、ってやだ! これシャレじゃないから!」

「さすが上手いわね、笹川さん! ていうかね、あの白南風君相手に数ヶ月抵抗したんだから、大したものよ」

「そんな。だってまだたったの数ヶ月ですよ?」

「白南風君ですもの、下手したら即日お持ち帰りよ――……っていや、違うのよ、えっと、これは言葉の綾っていうか。それくらいすぐってこと」

「でも白南風君に迫る女の子は嫌ってほど見てきたけど、白南風君の方からっていうのは、前代未聞よ」

「そうよねぇ。見たことも聞いたこともないもの」


 だからね、自信持って、どーんと構えてりゃ良いのよぉ。


 そんなことを言って三人は楽しそうに笑い、お酒のお代わりとデザートを注文した。宴はそれから二時間続いた。話題は白南風さんとのことだけではなく、三人の家庭の話にまで及んだ。まさか私がこういう場に混ざることがあるなんてと思いながら。お酒のせいなのか、その日は私もよくしゃべったと思う。


 次は残りの四人も誘って忘年会ね、その頃にはさらに進展してるかも、という真壁さんの言葉にわっと盛り上がって、その日はお開きとなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る