第36話 甥っ子との休日

 なんだか慣れないことが続いて、何となく身体の疲れがとれ切っていないような気がする日曜の朝だ。


 そういえば、相談所の方はどうすれば良いのだろう、ということを考えながら朝食をとる。一度お休みして――、いやお休みというか、退会して、それでもし白南風さんとうまくいかなかったら、また入会すれば良いのではないだろうか。

 

 何せ、紹介してもらっても、もらわなくても、在籍するだけで毎月お金がかかるのである。あの時白南風さんは婚活も続けて良し、なんて言っていたけれど、私にそんな器用なことは出来ない。


 どうしようか、と悩んでいる時に私のスマホがぶるりと震えた。


『急用ができたので、少しの間、蓮を見てもらえませんか』


 弟の奥さんである麻美さんからだ。

 彼女はたまにこういうメッセージを送ってくるのである。

 

 実家は食堂をやっていて、いまは弟の義孝よしたかが継いでいるのだが、従業員として両親も働いている。そう大きい店でもないので、調理を弟と父が、配膳を母が担当しているのだ。


 麻美さんはというと、家事や子育てがあるからと、店の手伝いはほぼしない。両親も、長男の嫁に来てくれたことや、自分達と同居してくれていることに負い目を感じているようで、麻美さんの望みはほぼ叶えたい意向らしく、そのことについて特に揉めたりはしていないようである。しかし、両親が働けなくなったらその時はどうするのだろう、人を雇うのか、それとも麻美さんが手伝うのか。まぁそれもあちらの夫婦で話し合うべきものなんだけど。


 それで麻美さんは、月に数回、私の仕事が休みである土日や祝日にこのようなメッセージを送ってくるのだ。私も甥っ子に会えるのは嬉しいし、頼られるうちが華だと思って快く応じることにしている。将来的に甥っ子に面倒を見てもらうつもりはないが、それでも何か迷惑をかけることはあるかもしれない。そういう後ろめたさから、出来る限りの援助はしないと、と思うのだ。


 だから今回もそれを受け、私はバスに乗って、麻美さんとの待ち合わせ場所である六月町の大型ショッピングモールへと向かった。


 義理の姉に一人息子を預けてどこへ行くのか。それも詮索しないことにしている。いちいちそこを突かれたら、預けにくくなるだろうし。


「おばちゃーん!」

「あ、蓮君。あれ、ママは?」

「おばちゃんが来たのわかったら、行っちゃった」

「ええ――……。そうなんだ」


 六等分に切れ目の入ったホールケーキのような丸いソファにポツンと座っていた蓮君が、私に気付いて駆け寄ってくる。小さなリュックの中にはおそらくいつものセット、もしもの時の着替えであるとか、お菓子とペットボトルのジュースが入っているはずだ。それから、幸いにもまだ一度も使用したことはないが、保険証やらかかりつけの病院の診察券、お薬手帳がひとまとめになったポーチなんかも入っている。さすがにそれを子どもに持たせるのは、と言ったのだが、


「だって、もしものことがあって病院に連れてくってなったら、お義姉さん困りません?」


 と返されて終わりだった。それは確かにそうなんだけど。落としたり、無くしたりしたら大変なのではと思ったが、揉めるのが嫌で言い返せないでいる。まぁ私がしっかり目を光らせておけば良い話ではあるんだけど。だけど、ほんの数分とはいえ、ここに五歳児を一人にするのは、さすがにどうなのか。それくらいは言わなくちゃ。ええと、言っても良いよね?


「それじゃあ、行こうか」

「うん」


 手を繋いで向かうのは、まずはゲームコーナーだ。ここで少しメダルゲームで遊ばせてから、フードコートに行ってご飯を食べ、少し休憩をしたらキッズコーナーの奥にある有料制のアミューズメントコーナーに行く。これがいつもの流れだ。おもちゃコーナーに連れて行っても良いんだけど、以前そこでおもちゃを買ったら、麻美さんからは感謝されたものの、義孝から「そういうのは親の役目だから」と怒られてしまったのである。どうやら『伯母さん』にはここぞ、という時のイベント――誕生日やクリスマス、正月など――にその力を発揮してほしいらしい。


 まぁ確かにそこまで高価なものではないにせよ、『月に何度も好きなものを買ってもらえる』というのは教育上よろしくないだろう。それにまぁ、私の懐的にも厳しいし。とはいえ、ゲームコーナーでも、アミューズメントコーナーでも、それからもちろんフードコートでもそれなりにお金はかかってるんだけど。それについてあれこれ言うのは野暮というものだろう。子育てにはもっとお金がかかるのだし、可愛い甥のためならばこれくらいの負担、どうってことはない。


 ただまぁ一つ気になるのは、だ。


 月に数回――多い時で三回だろうか――も一体何があるのだろうか、という点である。日曜でも食堂は営業しているから、蓮君を家に置いておけないのはわかる。だけれども、実家は昔からやっている食堂で、お客さんも常連さんが多いから、例えば奥の座敷で遊ばせていてもそれを咎めるような人なんてほとんどいないはずだ。何せ私達はそうやって大きくなったのだ。


 もしかして嫁姑問題ってやつなのかもしれない。


 騒がしいゲームコーナーで、じゃらじゃら景気よくメダルを投入しながら遊ぶ蓮君を見つめながら、そんなことを考えたりする。


 結婚は当人達だけでするものではない。それもわかっている。ましてや私の場合は相談所で紹介されるのは年上の人ばかりだから、ご両親も高齢だ。新婚生活の真っただ中に介護の話が差し込まれてもおかしくない。その覚悟もしてはいる。だけれども、その覚悟なんて、所詮は薄っぺらなのだ。何せ、実際に舅姑となる人に会ったこともないのである。だから、彼らがどのような人なのかもわからない。酷い嫁いびりをするかもしれないのだ。


 考えたくはないけれど、もし私の両親が麻美さんに冷たく当たっているのなら、せめて息抜きくらいはさせてあげないと。それとも義孝に相談してみた方が良いのだろうか。でも、外野が下手なことを言って夫婦関係がぎくしゃくでもしたら。


 などと考えていると、「おばちゃん、メダルなくなっちゃった」と蓮君が空っぽのメダル容器を振って笑いかけてきた。時計を見れば、もう十一時半である。フードコートは既に混み始めている時間だ。


「蓮君、キリが良いから、ご飯食べに行こう」


 そう言って立ち上がると、「ぼく、またハンバーガー食べたい」と言って私の手を握ってきた。蓮君は素直で良い子だ。母の話では、好き嫌いせず何でも食べる子らしい。普段は店でご飯を食べるから、こういうハンバーガーやピザなどのジャンクフードを口にする機会があまりないのだという。


 それで、私と会う日くらいはと、そういったご馳走を食べさせることになっている。


 どうせ家にいたってやることなんか特にない。一日中テレビをつけっぱなしにしてちょっと手の込んだご飯を作ったり、掃除を念入りにするとか、それくらいである。そんな時間を過ごすなら、可愛い甥と華やかなショッピングモールを歩く方がよほど有意義だ。お財布の中は少し寒くなるけど。


「じゃあ蓮君、フードコートに行こうか」


 そう言って歩き始めた時、数メートル先の携帯ショップで風船を配っているのが見えた。そっちの道を通ればフードコートへは遠回りになる。けれど、蓮君だってきっと風船は欲しいはずだ。そんな気を回したことを私は後悔した。


 その数分後、通る予定のなかったアクセサリーショップの前を通過した私は、若い女性と並んでショーケースの中を覗き込んでいる白南風さんを目撃することになったからである。

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