第37話 変わるきっかけになれば
「いやぁ嬉しいです。沢田さんが乗り気になってくれて!」
お迎えの時間が来て、蓮君を麻美さんに引き渡した後で、私はそのまま相談所へと向かった。退会手続きのためではない。
例の婚活パーティーの参加申し込みをするためだ。
いまの時間なら空いてますから、と後藤さんに言われて、いつもの個人スペースで向かい合い、差し出されたカラー印刷のパンフレットを見る。
「来月は十二月ですから、毎年、クリスマスに絡めてちょっと気合を入れた感じになってるんですよ」
ふんふんと鼻息荒く、後藤さんがパンフレットを捲る。
「料理もね、もちろんいつもより豪華ですから! 何ならそれ目当てに来る人もいるくらいで――、ってこれはあんまり大きな声で言っちゃ駄目ですね」
後藤さんは、ずっと断り続けていた私が参加を決めたことにものすごく喜んでいる。もしかしたらノルマとかがあるのかもしれない。いや、さすがに参加のノルマはないか。成婚のノルマはあるかもだけど。
「しかし、心境の変化でも?」
ちょっと興奮しすぎちゃいましたね、と照れたように笑って居住まいを正す。
「まぁ、何となく」
何となく、なんて嘘だ。
思いっきり心境の変化があったのだ。
結局、白南風さんには私以外の人がいたのである。確認はしていないけれど、絶対にそうだろう。見た感じ、白南風さんよりも若い、可愛らしい女性だった。
白南風さんは私には気付いていないようで、その女性とショーケースの中を見ながら何かを選んでいるようだった。指輪かもしれないし、ピアスやイヤリングかもしれない。それはわからないけど。彼は何やら真剣な表情で首を傾げながらショーケースの中を指差していて、連れの女性に「さすがにそれはまだ早い」とか「それは可愛すぎる」などと指摘されている。その脇には店員さんがいて、それはいま若い方に流行りのデザインで、だとか、そんなことを言っているのまで聞こえたのだ。本当は一秒でも早く立ち去りたかったけど、蓮君がその場に立ち止まって風船に描いてある絵をまじまじと見つめてしまって動けなかったのである。
笹川さんの言ったとおりだ。
だって私とご飯に行ってから、まだ二日だ。普通なら、このたった二日でアクセサリーを選ぶような関係になるわけがない。けれど彼は、しようと思えば即日お持ち帰りが出来るほどにモテる人なのだ。
ご飯に行った時ですらあんな態度ばかり取っていたから、白南風さんも嫌になったのだろう。五つも上のおばさんなんだから、好きだと言ってもらえた時点で飛びつけば良かったのかもしれない。もっとたくさん話したりして盛り上げたり、率先して料理を取り分けたり、なんかそういうことをしなきゃ駄目だったのかもしれない。だけど私がそうしなかったから、ここまでしても落ちない上に何の面白みもないおばさんなんてやっぱりつまらないと思ったのかもしれない。あるいは、私が落ちたと思って興味を失ったのかも。
どちらもあり得る。
もしかしたら、なんて舞い上がって馬鹿みたいだ。
日常に戻るんだ。
これまで通りに仕事をして、婚活をする日常に戻るのだ。だけど、これまでと同じでは何も変わらないかもしれない。何かを変えないと。一歩踏み出してみないと。それで思い出したのが、婚活パーティーだった。一対一で会うのではなく、集団の中に入ってみたら、何か変わるかもしれない。その場ではうまくいかなくても、自分を変えるきっかけになるかもしれない。その一心だった。
「でもほんと、良いきっかけになればと僕は思っています。沢田さんはいつも『私なんか』とおっしゃいますが、全然そんなことはないですから。今回のパーティーは二十代の女性よりも三十代の方が多いですし、ちょっと勇気を出しさえすれば、沢田さんがあぶれることはないと思うんです」
その『ちょっとの勇気』とやらがこちらにとっては『ちょっと』ではないのだけれども。でも、ここで頑張れなければ、きっと本当に私はずっと一人だ。
「頑張ります」
そう返して、私は相談所を出た。
その日の夜、白南風さんから電話がかかってきたけど、気付かなかった振りをした。その後メッセージも何通か来たけど、それも全部無視した。中身を見るのも怖かったし、白南風さんの名前も見たくなかった。やっぱりマチコさんとは、という内容かもしれないし、私が何も知らないと思って平然と何か別の話をするのかもしれない。どちらにしても辛い。
私達はやっぱりちょっとすれ違っただけなのだ。ただの学食のおばちゃんと、そこを利用する学生。それが何かの手違いで絡んでしまっただけだ。おそらく、白南風さんの身近にいないタイプだったからちょっと興味を持っただけというか。だから、明日からまたその関係に戻ろう。
そう決意して迎えた朝。
泣いたわけでもないし、夜更かししたわけでもないのに顔は酷いことになっていた。やはり三十過ぎると肌にも色々出てしまうのである。いつものように化粧をして、家を出る。今日は早番だ。もしいつものように白南風さんが来るとしても二時半。どうにかやり過ごせば三十分で上がりだ。話しかけられても脇目も振らずにさっさと帰ろう。むしろもう話しかけても来ないかもしれないし。
「マチコちゃん、なんか今日殺気立ってない?」
小林さんがこっそり私に耳打ちする。早番パートの山岡さんと山田さんが黙々と作業する中、冷蔵庫にネギのタッパーをしまいに行く途中で私の後ろを通りがかった時のことだ。別に私語が許されていないわけではない。何せいまは開店前の仕込み作業中だ。おしゃべりをしたからといって手が止まるような私達ではない。
だけど、早番パートの二人は先日の飲み会に参加してないのである。つまりは、私と白南風さんのことを知らない。いや、ここ最近白南風さんが定刻(二時半)に来るという話や、それは私目当てではないのか、といった話まではわかってはいるものの、金曜の夜に二人で食事に行っただの何だの、という部分まではまだ打ち明けていないのである。だから、さすがに詳細を説明することが出来ず、「まぁ、少々」と濁すにとどめた。
それでも小林さんは何かを感じ取ってくれたらしく、
「ま、男女間なんて色々あるもんね。何かあったらいつでも電話とかメッセージくれても良いんだからね。遠慮せず」
と笑った。もしもの時の連絡用として、職場全員の電話番号は登録してあるけどメッセージアプリのIDを知っているのは小林さんだけだ。だから、「その時は」と返して、私も軽く笑みを返した。
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